三浦雅士「青春の終焉」(3)


 「文学界」の最新号での、鹿島茂関川夏央の対談での巻頭で、「青春の終焉」が論じられている。三浦の言うとおり、70年代で確かに小説は終ったのであり、同時代のものとして小説があったのは、大江健三郎の「万延元年のフットボール」をもって最後とする、という。
 そして、それを最後として大江の小説が現在に対するアクチュアリティーを失っていったのは、大江が当時の学生運動バリケードのなかで「唐獅子牡丹」が歌われたことがどうしても理解できないひとであったからなのだという。
 「青春の終焉」においても、当時全盛のヤクザ映画の観客の多くが急進派の学生だったことをあげて、それが「八犬伝」の世界と響きあっているのではないかといっている。仁義礼智信・・・。ヤクザ映画は男の世界である。「男のロマン」という言葉はあるが、「女のロマン」という言葉はない。
 三浦氏は、日本の教養の時代を終わらせたのはフーコーであるという。しかし、実存主義があるいはサルトル大江健三郎の小説とどこか共鳴していたような意味においては、フーコーあるいは構造主義に対応した小説といったものはない。
 実存主義とともに70年代で小説は終わったといっても、その後も小説は書かれている。しかし、それぞれの小説は各自にてんでにばらばらの方向を向いている。
 西欧近代は個人が顔をもった社会を作り上げた。そこでは、偉人でもない平凡な人間がそれぞれに顔をもつ。そのそれぞれの顔を描きわけるのが小説である。フーコーが(ロマン的)人間の死を宣告し、70年代で「青春」が終焉したとしても、「個人」がおわったわけでは決してない。ただロマン主義を支えていた個人への無条件の信頼が失われただけである。
 われわれがロマン主義を脱して得たものは、自己陶酔の幼さからの脱却であり、失ったものは個人への篤い信頼である。ヤクザ映画には自己陶酔があるのと同時に、自己陶酔の無効性への醒めた目もある。だからそれは60年代と70年代をつなぐものでありえ、自己陶酔が消えうせたあとには、醒めた目だけが残ったのかもしれない。そして、もしもフーコーがなんらか時代とかかわるところがあったとしたならば、その醒めた視線によるのかもしれない。
 人生とか人生論とかいった言葉はもはや死語である。それは個人への無条件の信頼が失われたことを反映している。しかし、それはただ単に、ある時代に規範とすべき生きかたがなくなり、それぞれの人間はそれぞれで自分の生きかたを考えなくてはけなくなったというあたりまえのことを示唆しているだけである。個人というもの自体の意味がなくなったということでは決してない。
 これからも相変わらず若者はいる。しかし、若いからかくあらねばならぬということはもはやなくなったのであり、それぞれがそれぞれの生きかたを考えるという地道な行きかたが求められるという普通の状態にもどるということなのであろう。
 この本は60年代の海底に錨をおろすことに成功しただろうか? 
 なにか60年代のまわりをぐるぐるとまわってるだけで、60年代の深部にはとどいてはいないように思える。
 60年代の学生の反乱はたしかに産業資本主義の発達による「長い青年期」の保証がなければおきなかったのかもしれない。また資本主義の爛熟による教育の大衆化ということがなければおきなかったのかもしれない。もはや大学生というものが、それだけではなんの価値ももたなくなろうとしている時代への、最後の空しい反撃の狼煙であったのかもしれない。
 そういったものは、学生の反乱がおきる必要条件ではあるかもしれない。しかし十分条件ではない。それらがなければ、学生の反乱はおきなかったのかもしれないが、それらがあるだけで学生の反乱がおきたのか、十分に説得的な説明はあたえられていない。
 60年代の学生の反乱を準備した時代の気分といったものが確かにあったのだと思う。青春というのは上昇を志向するものである。その爛熟は確かにあった。しかしそれが、下降を志向するものと組み合わさったとき、ある大きなエネルギーがうまれたのではないだろうか?
 60年代には青春が爛熟をむかえた。同時に別の方向からきた下降する動きがそれにあわさった。その下降する動きがあったからこそ60年代が、学生の反乱がうまれたのではないだろうか? 構造主義は上昇も下降もない無時間的なものである。構造主義とは違う何か積極的な反進歩主義といったものがあったのではないだろうか? 「万延元年のフットボール」の鷹四や、「コインロッカー・ベイビーズ」のキクとハシの破壊への衝動に、三浦はその秘密を見ようとしているように思えるが、成功していないように思われる。
あの時にあった政治的主張などは、実は自分達のカーニバル空間(<解放区>)に口をはさませないための口実で、実際には、ある終末論的な負のカーニバル空間といったもの少しでも長く維持してゆくことだけが目的だったのではないか? そうでなければ、「唐獅子牡丹」はでてこないのではないだろうか?
 カーニバルは蕩尽する場であって、生産する場ではない。カーニバルは未来を志向しない。すべてに「ノン!」ということ。未来にも「ノン!」ということ。カーニバルという現在にとどまること。だが、そうであっても、蕩尽しつくしたときにカーニバルは終わる。
 蕩尽の終りが「青春の終焉」なのだろうか?
 そうではなく、ある上昇への意思が終焉したときに「青春は終焉」したのではないだろうか?
 その点で最終章の「失うものはなにもなかった・・・」の章は、それだけで、もう一度独立した本として書かれるべき主題を底に秘めているように思われる。
 「失うものはなにもない」というのは、確かに、「根源」に「ラディカル」につながるものであるのかもしれない。しかし、「失うものはなにもない」ときに、ひとは必ずしも、未来を志向するとはいえない。現在に立ち止まろうとするかもしれないからである。
(完)


(2006年3月11日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

  • この本を読んだのは、自分がその渦中にあったことがある(単にまきこまれただけで、参加したわけではないが)学園闘争(紛争)について考えてみたいということであったのだと思う。結局、あれは何だったのだろう? かつて存在したことのあるソヴィエトロシアのことをなんかみな、そんなものがあったっけ、という顔をしていないだろうか? あの学園闘争(紛争)というのが、どのくらい社会主義というものと関係があり、どのくらい関係がなかったのだろうか? みんな社会主義青年同盟とか、革命的マルクス主義とか名乗っていたのではないだろうか? あれは何だったのだろうか? (2006年3月11日付記)