音楽関連
昨日の稿に関して「三部形式 A―B―Aという形式は、ソナタ形式から派生したものだろうか?」という質問を寺尾さんから頂いた。わたくしは単なる一音楽好きにすぎないので、以下に書く事は全くの素人の見解としてお読みいただければと思う。 ちょうちょう ちょ…
最近、岡田暁生氏と片山杜秀氏の本「ごまかさないクラシック音楽」について少し論じたが、不思議なことにこの本ではソナタ形式とか、曲としてのソナタというものがあまり論じられてはいなかった。 もうすでに論じつくされているということなのかもしれない。…
本書の大部分は昨年の4月から5月にかけて、新型コロナウイルスの感染拡大を受けてコンサートなどが次々に中止になっていった時期に書かれたということである。(最終章のみは6月後半) 著者はいわゆるクラシックの分野での評論に長年たずさわってきたかた…
実は、このタイトルをどう読むのか知らない。You tube でピアニストのファジル・サイを見ていて、偶然いきあたった曲のタイトルである。最初は作曲家でもあるサイ氏が作曲した曲なのかとも思ったのだが、オーケストラは全員休んでいて、サイさん一人のピアノ…
今日の朝日新聞の朝刊に音楽学者の岡田暁生氏が「「第九」再び抱き合えるか」という文を寄稿している。「いつか「コロナは去った」と世界の誰しもが感じるようになる日。それを祝うコンサートとして、ベートーベンの「第九」ほどふさわしい曲はないだろう。…
片山杜秀さんの「革命と戦争のクラシック音楽史」を読んでいたら、ベートーベンのピアノソナタ「悲愴」を論じている部分で以下のような記述があった。「とりあえず、第一楽章冒頭の一小節目を見てみましょう。出だしから強烈かつ単純の極みです。ハ短調の主…
以前アルテスパブリッシングというところから「音盤考現学」と「音盤博物誌」という題で刊行された本を再編集して「音楽放浪記 日本之巻」「音楽放浪記 世界之巻」の二冊にして文庫化されたものの一冊である。政治思想史を専門とする片山氏にとって音楽関係…
岡田氏のいう「自己表現するロマン派」というのは、大きな視野でみれば、フランス革命の産物ということになると思うが、それと対立する「反=フランス革命」路線というのも、また西欧の思想のなかでつねに一定の勢力を占めてきている。わたくしが二十歳をす…
クラシック音楽とは何か、という問いに、仮に答えて、それはベートーベンのことである。あるいはベートーベンの作曲した音楽のことであるとしてみよう。 吉田健一の「文学の楽しみ」の第7章は「西洋」と題されていて、そこに岡倉天心がベートーベンの第五を…
最近、刊行された「世界の未来」という「朝日地球会議2017」に参加した数名の講演記録とE・トッドへのインタビューを収めた新書で、トッドがわれわれが、自分は「帝国以後」を書いたときとは、かなり違う見地にたってきているということを言っている。…
今、われわれが自明のものとしているさまざまな価値観は結局のところ西欧に由来しているのだと思う。それは突き詰めれば「個人」というものにいきつくような何かで、現在の中国あるいはロシアがどの程度「個人」を尊重しているのか大いに疑問はあるにしても…
小学館 2017年11月 このようなタイトルの本ではあるが、すべての内容がその問題を論じているわけではない。しかし、多くはそれと関連した話題を扱っているので、しばらく、この本にそって、それについて考えていきたい。 で、岡田氏によれば、クラシッ…
佐村河内氏の「交響曲第一番」について少し書いていて、やはりあれが大きな問題になった原因のひとつが《交響曲》を書いたということにあったのだろうかと思った。ヴァイオリンのためのソナチネとかピアノ・ソナタとかを書いただけであれば、あれほどの騒ぎ…
佐村河内氏の「第一交響曲」はCDを持っている。最初に聴いたときの印象は、少し長すぎるな(特に2楽章)というのと、ところどころ妙に音楽が薄いなという感じはあったが、非常に才能のあるアマチュア作曲家の作というのが感想だった。最近、聞き直して、…
昨日の朝日新聞の夕刊に「人生の贈り物」という題の5回連載のインタヴュー記事があり、今週は中村紘子さんで、昨日が最終回。 質問「日本人がクラシック音楽をする意味は何でしょうか」 解答「若い頃からの一番の悩みでした。でも世の中がグローバルになっ…
この章は他の章にくらべて短く、よく主張したいことがわからなかった。 わたくしには、いわゆる音楽評論家といわれるひとの文章で読むに値すると思われるのは吉田秀和さんのものだけである。吉田氏は音楽を材料にして考えるということをしているだけなのだか…
著者は「戦後のオペラ」あるいは「日本のオペラ」には、日本における西洋クラシック音楽受容におけるさまざまな問題が濃縮された形であらわれているという。それはそのとおりと思うのだが、わたくしは最大の問題は、戦後のオペラの聴衆はどこにいるのかとい…
この章は面白かった。日本の西洋芸術音楽史からつねに排除されてきたものがある。それが合唱音楽と吹奏楽であるという。ともにアマチュアの世界のものだから、と。もちろん、間宮芳生の「合唱のためのコンポジション」や林光の「水ヲ下サイ」などは例外なの…
作品社 2010年11月 わたくしは音楽に関しては守旧派であるので、十二音の音楽というのをほとんどきいたことがない。ベルクのヴァイオリン協奏曲などというのも十二音なのだろうか?(そう思って今、ケーゲルが指揮しているベルクの「ヴォツェック」と…
講談社ブルーバックス 2007年 本書を読んで今まで根本的に誤解していたことがあることに気づいた。楽音と非楽音(雑音?)の違いとでもいうのだろうか? 木琴のように一定の長さの木片を叩くと楽音がでると思っていたのだが、両端が固定されていない木片…
白揚社 2010年3月 音楽と脳について書いてある何かいい本がないかなと思っていたところ、丁度、そういう本をみつけた。感想は「そんなことまでわかってきたのか」というのと、「まだそれしかわかっていないのか」が混合した奇妙なものであった。わたく…
春秋社 2009年12月 こういうタイトルではあるが、バッハを論じたものではなく主として平均律について論じたものである。平均律を論じるのであるから当然その対比としての純正調の問題が論じられる。著者は純正調の側に立ち、音楽は純正調を意識して演…
みすず書房 2009年9月 著者は日本ではほとんど知られていないうようだが(わたくしはまったく知らなかった)、アメリカ生まれのLPやCDを多くだしている向こうでは高名なピアニストらしい。1927年生まれとあるからもう相当な高齢である。原著は…
中公新書2009年6月 主としてクラシック音楽について、なんらかの知識をもって聴いたほうがより楽しめるのではないか、音楽に対して受け身でなく何かの楽器を自分で演奏できるようになることが聴き方をも変えるのではないか、ということを述べた本である…
春秋社 2009年3月 こういうタイトルであり、表紙にも漫画風の絵があるが、クラシック音楽を斜に構えておちょくっている本ではない。クラシックを熱愛する著者が、これからもクラシック音楽がみんなのものであり続けるためにはどうしたらいいかを真剣に…
アルテス 2008年2月 著者の片山氏は専攻が政治学で、思想史方面の著書もあり、音楽が専門というわけのひとでは必ずしもないらしい。以前に読んだ矢野暢氏の「20世紀の音楽」(音楽の友社 1985年)もそうだったが、わたくしには音楽評論家と称する…
[文藝春秋 2005年11月25日初版] 村上春樹が「ステレオサウンド」誌に連載した音楽論、といってもほどんどが演奏家論である。10編のうちの3編がクラシックで、あとの7編がそれ以外であるが、わたくしはクラシック音楽以外の音楽にかんしてはほと…
[中公新書 2005年10月25日初版] クラシック音楽は西洋音楽の歴史のごく一部である。西洋音楽は千年以上の歴史を持つが、クラシック音楽は18世紀から20世紀初頭までのたかだか200年の歴史を持つにすぎない。われわれが通常耳にしている音楽が…
河出書房新社 2005年10月20日初版] この前に取り上げた許氏の本が深刻野暮な本であるとしたら、こちらはいたって気軽な本である。副題になるような粋な本であるかどうかは微妙なのであるが。前にとりあげた同じ著者の「いい音が聴きたい」の続編であ…
[青弓社 1998年9月30日初版] お気楽極楽なんて副題がついているがとんでもない話で、生真面目深刻である。その深刻趣味が鼻につく人も多い本だだろうと思う。 クラシック音楽は西欧文明のある時期に咲いた徒花のようなものであり、現在もうほとんど死…