佐村河内氏の曲のことなど

 
 佐村河内氏の「第一交響曲」はCDを持っている。最初に聴いたときの印象は、少し長すぎるな(特に2楽章)というのと、ところどころ妙に音楽が薄いなという感じはあったが、非常に才能のあるアマチュア作曲家の作というのが感想だった。最近、聞き直して、少しパッチワーク的なところが目立つように思ったが、これは今般流布しているいろいろな話に影響されての感想なのかもしれない。
 アマチュアの音楽愛好家で作曲の勉強をしているひとは少なからずいるだろうと思う。そういうひとの中で突出して能力が高い人が、中世の教会音楽から後期ロマン派あるいはそれ以降あたりまでのさまざまな音楽作曲技法を身につけて、曲を作るとこういう作になるのかなと思ったわけである。
 音楽が好きで、でもいろいろ勉強してもどうしても現代音楽だけは好きになれない、自分に一番ぴったりくるのがロマン派から後期ロマン派あたりの音楽であるというアマチュア作曲家が、こつこつと一音一音スコアを紡いでいって、ついに完成した大作、だがこういうものはアマチュアの作品であり、ましてや3管編成で多くの打楽器を要するオーケストラ作品ということになれば通常実際に演奏されるなどということはありえないのに、多くの偶然が重なって、それが演奏されることになり、しかもどういうわけかCDにまでなり、それもたくさん売れているらしいのをみて、微笑ましいことだなあと思っていた。
 多くのプロの作曲家(というのは定義が難しい。プロというのが作曲で食べていけるということであれば、日本では武満徹さんくらいしかいないかもしれないので)の作品で、譜面はあるが実際には一度も演奏されたことのない曲(特にオーケストラ作品)は非常に多くあるはずである。かりに僥倖で一度演奏されることがあったとしても、まずその一回で終わりで、再演までいく曲ということになるとさらに極端に少なくなるはずである。また今日頻繁に演奏される曲であっても、作曲者生前には一度の演奏されたことがなかったり、一回の演奏で終わりになっていた曲も多いはずである。また、たくさんの作品を書いたが後世に残ったのはただの一曲でそれ以外の曲はすべて忘れられているという作曲家もいるだろうと思う。
 今回、この曲を作った(代作した?)とされる新垣隆という方は、現代音楽の世界では知らない人のない高名なひとであり、またピアニストとしても卓越した技術と才能の持ち主なのだそうである。(作曲家伊東乾氏の記事による。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39905 以下に書くことは、この伊東氏の論に負うところが大きい。) 新垣氏のような才能をもったひとにとっては、この「交響曲第一番」のような曲を作ることは朝飯前というかというか赤子の手をひねるようなものであるらしい。もちろん、一時間をこえるオーケストラ作品のスコアを完成させるということは膨大な時間を要する作業ではあるだろうが、基本的には既知の手法の使い回しなのであるから、「創造」に要する時間は必要がなく、ここはこの主題をつかったフーガ風の展開、ここは別の主題を使ったコラール風の曲調、最後はマーラー風に派手に盛り上げるといったことは、自分が過去に勉強したさまざまな手法を適宜用いればいいわけであるから、それほど難しいことではないということのようである。
 伊東氏は「課題の実施」ということをいっている。これは作曲の勉強の過程で課される「このテーマを使って3声のフーガをつくれ」とか「ある声部の旋律だけあたえてそれに和声づけをせよ」といったもののことらしい。
 これはあくまで技術の試験であって創作ではない。過去のさまざまな音楽の歴史のなかで使われてきた技法をどれだけ身につけているかが試されるわけである。とはいっても、そのような制約のなかでどれだけ面白いことができるか、相手の裏をかけるかといったことはそれはそれでとても刺激的なことであって、その楽しみというのはやってみたひとか本当にはわからないのではないかと伊東氏はいう。
 そして今回新垣氏のやったことも、まさにこの「課題の実施」なのではないかという。佐村河内氏があたえた「課題」(それはどうも旋律の断片ですらなく、「ここは静謐なコラール風、ここは苦悩の場面」といったものであったようだが)に新垣氏が応えて作ったものが、この「交響曲第一番」であったのだというのである。「課題の実施」であるから何らそこにはオリジナリティは問われていない。ただいかにそれらしく完成させるかということは、それはそれで自分のオリジナルを作るあいだの息抜きとしては大変に面白い作業で、それなりに力を注ぐに足るものであるが、所詮「課題の実施」であるから後世に残ることなどありえないという前提で作られている。それがどういうわけか有名になってしまったということから、今回のさまざまな問題がでてきているということなのだろうと思う。
 それでわからないのが、佐村河内氏がいったい何を目的として新垣氏にこのような作の実作を依頼したのだろうかということである。上に述べたように、そのようなものを作ってもらったとしても実際に演奏される可能性は限りなくゼロに近いはずなのであるから(実際に相当の期間、スコアのままで眠っていた)、そのようなものを作る実利はまずないはずである。ここからはわたくしの想像だが、どうも佐村河内氏には表現したい何かというものが熱烈にあり、しかもそれは今回新垣氏が作ったものに近いような何かで、「情念」だとか「苦悩」だとか「祈り」だとかいったものの複合のような言うに言われない何かで、それは音でしか表現できないものであるのだが、しかし佐村河内氏には残念ながらそれを音にする能力がない。あるのは表現したい気持ちだけである。一方、音楽で情念を表現するといった方向にはまったく関心はないが、それにもかかわらず過去において情念を表現してきた様々な音楽の語法についての該博な知識を持ち、その知識を応用してそれに類似した音楽を作ることは造作もなくできるひとがいて、たまたまその二人がペアを組んだ。意があって力がないひとと、意はないが力はあるひと。
 そして、今回はあまり問題にされていないが、その佐村河内氏の曲として発表された曲がかなり多くの聴衆から、これこそが自分たちの待ち望んでいた曲だ、ようやくこういう曲が現れた、というような熱烈な受け取り方をされたということがある。
 スコアとして定着した佐村河内守作曲として発表された「交響曲第一番 Hiroshima 」は、その実際の制作の過程が明らかになった後でも変わらず同じものとして残るはずで、そこから音になったものは後にも先にも変わるはずはないのだから、以前には感動できたものがこれからは感動できなくなるということは本当はおかしなことであるはずである。
 もっとも「ショスタコーヴィッチの証言」以降、ショスタコーヴィッチの曲が以前と同じようには演奏できなくなったように、この「交響曲第一番」もパロディ的に演奏するとか(指揮者も高揚せず、最後のほうの鐘なども打楽器奏者はいかにもつまらなそうに叩くとか)という方向はありうるかもしれない。
 作曲家が作る曲のなかにも、作品番号をつけて自分の作とみとめる作と、職人仕事として依頼されてつくる映画音楽とかがあると思う。この依頼されてつくる音楽に相当するのが今回の新垣隆作曲の「佐村河内守 交響曲第一番 Hiroshima」なのだと思う。「病気に苦悩し全聾になってしまったにもかかわらずひたすら創作にはげむ作曲家」を主人公にした映画の中で作曲家の作として演奏される曲がこの曲なのである。
 松本清張に「砂の器」という小説がある。映画にもなった。小説では主人公は前衛音楽作曲家なのであるが(推理小説なので殺人もおきるわけであるが、心臓の悪いある男は前衛音楽のあまりに不快で奇怪な音で心臓発作をおこして死んでしまう。松本清張が前衛音楽をどうみていたかがよくわかる)、映画ではロマン派風の曲(主人公の作曲家の苦悩の描く「宿命」とかいう曲が映画では演奏されていた)を書く作曲家となっていた。つまり小説では音楽は作曲家の感情とかとはまったく無縁の構築物であるのだが、映画では自己表現の音楽となっていた。多くのひとにとって音楽というのは、何らかの感情の表現、情感の表現なのであって、そういうものをまったく欠いた音の戯れには感情移入できないらしいのである。
 かつてソヴィエトという国があり、社会主義リアリズムという言葉があった。音楽というのは自己を表現するものではなく(そういう音楽はブルジョワ的な退廃した音楽とされた)、人民に奉仕し社会主義社会建設に貢献するものでなければいけないとされた。そうすると、そのころソヴィエトで作曲されていた曲というのは「課題の実施」であったのだろうか? ショスタコーヴィチも卓越した作曲の才能の持ち主であると同時に、またピアニストとしても卓越した技術と才能の持ち主でもあった。第一交響曲は卒業制作のようなものだからお行儀のよい作品となっているが、第2・第3交響曲は才気煥発な若者がやりたいことをやって遊んでいる印象の作品である。あの路線のままでいっていたらショスタコーヴィッチは駄目になっていたのではないかと思う。「社会主義リアリズム」の要請によってショスタコーヴィッチは鍛えられたと思う。一部のわかるひとにだけわかってもらえばいい音楽からもっと多くの聴衆を想定した音楽をいやでも書かざるをえなくなったことによって、何かをえたのではないかと思う。その第五交響曲は「ベートーベンの第五」を「課題」とした「実施」であるのかもしれないが、何も「課題」がない場合よりも地に足がついた音楽となっているような気がする。
 さらにショスタコーヴィッチは映画音楽もたくさん書いている。映画「馬虻」の音楽のように「ロマンス」とかそれだけで演奏される曲もそこからでている。これはたまたまショスタコーヴィッチが作ったからそうなったのであって、本来だれでも作れるレベルの音楽であるのだろうか?
 あるいは武満徹が書いたテレビドラマ用の音楽「風の盆」とかは、これも武満が書いたから有名になっているのであって、本来は「課題の実施」であって、教育を受けた作曲家なら誰でも書けるものなのだろうか(武満徹はほとんど音楽教育は受けていないと思うが)。
 伊東氏は、課題の実施はそれ自体は興味あるものでもあり、それなりに注力するに値する行為ではあるが、それはすでに手垢にまみれた過去の技法による二番煎じ三番煎じなのであるからオリジナルな部分はなく、それを自己の創作とみなすものはいないだろうという。しかし、たまたまyou tube にあった新垣氏のオリジナルな作品というのはいかにも現代音楽であって、わたくしは一向に面白くないものであった。つまりあまりにオリジナルな作品というのは“痩せる”のはないかと思う。
 現在のいわゆるクラシック音楽の演奏会で演奏されるオーケストラ作品というのはモツアルトでありベートーベンでありシューベルトでありブラームスでありチャイコフスキーでありブルックナーでありマーラーである。20世紀のひとであればストラビンスキーやショスタコーヴィッチなどであるかもしれないが、ストラビンスキーにしても演奏されるのはほとんどが「春の祭典」や「火の鳥」であって、「詩編交響曲」や「ハ調の交響曲」などはあまり取り上げられていないのではないかと思う。
 オーケストラというあれだけ大人数での演奏がペイするためにはある数の聴衆がいなければならないわけで、相当数の聴衆から支持される音楽というと自ずとそういうプログラムとなってしまうのだろうと思う。
 そこでわからないのだが、そういう曲目を演奏している指揮者あるいはオーケストラ団員は本当はそういう曲の演奏に飽き飽きしていて、もっと斬新なプログラムでの演奏をしたいのだが、そういう曲では客席ががらがらとなってしまうので、やむをえずそういうプログラムとなることを甘受しているのか、それともたとえばベートーベンの7番とかを本当に心から演奏したくて、過去の7番の演奏はすべて何か違う、自分の7番こそが本当の7番だと思って演奏しているのだろうかということである。
 昔、少し知っていた芸大の作曲科出身で指揮者志望のかたはブルックナーとかマーラーのような音楽が嫌いで嫌いでといっていた。ああいうヌルヌルベタベタした音楽がもう厭で仕方がないといっていた。音楽は音のみからなる構成物であるのに、音楽にそれ以外を持ち込んで人を煽るといういきかたがゆるせないらしかった。
 また別の作曲家志望のかたは作曲とはあたらしい音色の発見であると思っているようなことをいっていて、それにも驚いたことがある。(そのころわたくしは作曲とは様式の構築であると思っていた。) ある楽器でいままで試みられたことのない奏法で奏してみるとか、まったく試みられたことのない楽器の組み合わせで曲を書くとかである。昔、何かで読んでうろ覚えなのであるが、ある作曲家がテインパニの上に鈴か何かをおいて、それでそれでティンパニを叩くという奏法で曲をかき、そうすると独特の音がして、その音だけきいた他の作曲家はどういうふうにすればそういう音がでるのかわからず、演奏会の後であれはどうやって作った音だとみんなきいてきて、してやったりと思ったというようなことをいっていた。
 もう「すべての書は読まれてしまった」のであり、天が下新しきことはないのであれば、手垢のついた過去の語法によるのでない二番煎じ三番煎じでない曲を書くということは絶望的に困難な道であることになるが、伊東氏によればそれこそが現代の作曲家に科せられた使命なのであり、新垣氏もまたその道を追求する作曲家として、その世界では知らぬもののない存在ということのようである。
 しかしその世界では知らないものがいないとしても、その世界にいない人間にはほとんど知られていないということでもあり、恥ずかしながらわたくしは新垣氏の名前を今度のことではじめて知り、伊東氏の名前もはじめて知った。
 佐村河内守作曲として発表された曲は二番煎じ三番煎じの手垢にまみれた手法のパッチワークなのであるから、そのどこにも新垣氏の個性はなく、新垣氏とすればこういう曲を書いてくれといわれたから書いてみましたというだけにすぎないことになる。しかし、それにもかかわらず、それに感動するひとがたくさんでてきて、これこそがわれわれが待望していた曲というひとが続出した。
 モツアルトだってハイドンを乗り越えようとしたのだと思う。その弦楽四重奏は本当に聴いてほしい相手はハイドン一人であったのかもしれない。ベートーベンは本当はモツアルトのような曲を書きたくてしかたがなかったのかもしれないが、どういうわけかそういうものが書けず(ベートーベンはロンド形式のような、音楽だけで推進する音楽についてはついにモツアルトを越えることができなかったのではないかと思う)、何かわけのわからない想念が頭に充満していたこともあり、できてきたものは「英雄」であったり「運命」であったり「第九」であったりした。「英雄」は明らかにそれ以前にはなかった音楽で、音楽+αなのである。αがメッセージであるのか情念であるのか思想であるのかそれはよくわからないが、とにかく音楽だけではない音楽がそこに出現した。
 そして「第九」である。音楽は抽象的なものであるからいくらメッセージを込めたつもりでも具体的な何かは伝わらないのにいらだってついにメッセージ自体を音楽の中に直接埋め込んでしまった。第九は後生の作曲家に決定的な影響をあたえたと思う。一つはその開始で混沌からはじまって次第に音楽が形成されてくるようないきかたで、これはブルックナーには決定的な呪縛となったし、マーラーの一番の開始などもその直接の影響であろう。もう一つのメッセージ性はワーグナーに直接うけつがれた。こういう「英雄」や「運命」や「第九」あるいは「荘厳ミサ」が外向的な音楽であるとすれば、晩年のピアノソナタ弦楽四重奏はきわめて内向的な音楽で、これまた個人の内面をあらわす音楽というもう一つの方向でこれまた後世に決定的な影響をあたえたと思う。
 わたくしはベートーベンは超一流の音楽家で三流の思想家であると思っているが、一流の音楽が書ければ、三流の思想をその中に盛ることができて後世に伝導できるのである。その直接の後継者がワーグナーであろう。
 ベートーベンは音楽のなかに「野暮」を持ち込んだ。つまりベートーベンはロマン派の水源地となったのであり、なによりも芸術家のイメージを形成した。芸術家とは作品を通して何らかのメッセージを発するひとであり(広島、福島・・)、また作品を通して自己の苦悩(病むひとであること、壟であること・・)を表現するひとであることになった。佐村河内氏は「芸術家」あるいは「天才」になりたかったのだろうと思う。そして多くのひとが芸術家と天才の出現を待望していたのだろうと思う。
 二番煎じ三番煎じでない音楽を意識的あるいは知性によってつくるこころみはシェーンベルクからはじまったのではないかと思う。シェーンベルクの「作曲の基礎技法」では、作曲にはいっさいインスピレーションなどはいらないこと、それは技術の問題であり、何らの才能を持たないものであっても作曲は可能であることが述べられている。まさに伊東氏のいうとおり、それは課題の実施にすぎないのである。
 しかしシェーンベルクの本を読んでいて同時に感じるのは西洋が営々と築き上げてきた音楽の歴史への熱烈な愛情であって、もうそれが好きで好きでたまらないといった感じである。西洋の音楽は和声学についての膨大な研鑽の蓄積をつくってきているわけで、それが次第に7の和音、13の和音と拡張していくると調の安定性がどんどんと失われてくことになるが、そういう危機のなかでの技法の拡張の限界、もうこの方向をすすめていっても先がないといった感覚が、12音技法という方法を発明させたのであろう。
 そして伊東氏の論をみていても感じるのは、氏がまさにシェーンベルクの末裔であるということで、つまり手垢のついた2番煎じの方法で曲を書くということににはなんら感興を感じることができないひとなのである。
 最近佐村河内氏(実は新垣氏)作曲の「ヴァイオリンのためのソナチネ」の一部をきいた。一部だけなのであまり多くのことはいえないが、ロマン派の曲そのものという感じである。多くの作曲家も最初音楽を愛し、その道に進もうとするきっかけは、シューマンの曲に感動したりシベリウスの曲に感動したりということだった可能性が高い。それでそれを模倣した音楽を書いたりしているうちに作曲家への道をすすむことになり、やがてそういった模倣の道には先がないことを悟り、まだ誰も試みていない何かというきわめて狭い道を追求していくことになる。そしてその結果としての作品は仲間うちでの評価はされても、聴衆がほとんどいないものとなる。
 現在でも「手垢にまみれた」技法で平然と音楽を書いている作曲家もいる。ニノ・ロータなどは映画音楽でだけああいう曲を書いていて自分の作品としては現代音楽を書いているのではなくて、自分の作品でも同じような甘々ヌルヌルの音楽を書いている。しかしその音楽にはメッセージ性はいっさいない(あるとすれば、この時代にこんな音楽を平気で書いているというのがメッセージなのであるかもしれない)。
 エンニオ・モリコーネもまた演奏会用の作品も書いているらしい。メロディーを作るというのは手垢にまみれた作業の最たるものということになるのかもしれないが、モリコーネは希代のメロディーメイカーとされているらしい。7つか8つの音の順列組み合わせの数には自ずと限りがあるはずであるが、それでもメロディーをつくることにも何らかの才能というのがあるのだろうか? それなら現代でもハ長調でも音楽が書けるのだろうか? モツアルトのホ短調のバイオリン・ソナタなど単純な分散和音からはじまるわけだが、それにもかかわらず、なぜあんなに強く印象に残るのだろうか? あるいは「レクイエム」の「ラクリモーサ」の開始部。
 アメリカにだってピストンとかハンソンとかいかにもわれわれが音楽と考えるような普通の音楽を書いているひともいて、一定程度は今でも演奏されるているのではないだろうか?
 日本でも、矢代秋雄氏などはいわゆる現代音楽ではないし、原博さんのような確信犯的な反=現代音楽派もいる。そもそも尾高尚忠氏の音楽をどのようにみるかといこともあるし、伊福部昭氏の音楽などは位置づけがきわめて難しいはずである。池内友次郎氏の音楽など「粋」の追求のような音楽である。
 現代では吉松隆氏のようなひともいる。(「私の二十代は、「美しい音楽が書けたら死んでもいい。」という理想と、「しかし、あんなグチャグチャ・ヌトヌトなものを書くくらいなら死んだほうがましだ。」という絶望がぶつかり合い軋み合う泥沼のような日々になってしまった」(「魚座の音楽論」)) 「朱鷺にささげる哀歌」なんかは開き直って、もうこうなったら何をいわれてもいい、自分の好きな曲を書いてやれと思って書いたらしいが、氏の書くものは純粋の音楽であっても、何かメッセージが込められているものが多い。滅びつつある朱鷺(これはクラシック音楽の象徴でもあるかもしれない)であるとか、亡くなった妹さん(サキソフォン協奏曲の第2楽章)であるとか・・なんだか宮澤賢治の「永訣の朝」みたい。なんらかそういう大枠というか物語なしに、まったくの虚空から音を紡ぎ出すということは至難の技であるらしいのである。吉松氏の音楽にはどこか「野暮」なところがあるかもしれない。
 吉松さんはシェーベルク以降の現代音楽の保守本流を仮想敵としているけれども、現在にかかれている音楽はなにもいわゆる現代音楽ばかりではないわけで、不協和音と雑音?からなるわけではなく楽音からなるものも多い。そしてそれらは多くはないにしてもある数の聴衆は獲得しているのではないかと思う。だが、それらのさまざまな楽音?によって作られた音楽のなかで、ただ一つ書かれていなかったのが佐村河内守交響曲第一番」のような作品なのである。ただ一つなかったもの、愚直で「野暮」な音楽。そういうものが待たれていたのである。
 ナポレオンに捧げるはずでそれを放棄した交響曲、全人類に抱きあえと呼びかける交響曲、そういったものに通じるような何か大きな「物語」を想起させる音楽が求められていた。たしかペンデレツキだったか「広島の犠牲者に捧げる哀歌」とかいうのがあったと思うが、トーン・クラスターを使ったようないかにも現代音楽というようなものではなかったかと思う。
 そして皮肉なのは、自分からはマーラーもどきのそういったヌラヌラ・グチョグチョした「野暮」な音楽は死んでも作ろうとはしない現代音楽プロパーのようなひとが佐村河内氏の代作者だったということである。もちろん新垣氏はバッハもベートーベンも愛するひとであろう。しかし多くのひとが感じるとは全然別のところを面白がったしているのではないかと思う。
 クラシック音楽はある時期、ロマン主義と結びつくことによって水膨れした。現在ではロマン主義は完全に過去の思潮となっているけれども、クラシック音楽のなかではまだ生き延びていて、クラシック音楽そのものを愛するのではなく、ロマン主義的な心情を愛するひとが、クラシック音楽ファンのなかの相当数を占めているということがあるのではないかと思う。
 マーラーのある交響曲について、奥さんのアルマが「なんであんな空虚で派手なフィナーレを書くのだ」と非難したところ、「ブルックナーだってやっているではないか」とマーラーが答えたという話をどこかで読んだ記憶がある。交響曲というのは自分の書きたいことを書くというだけではなく、どこか祝祭的な要素があったほうが一般受けするわけで、指揮者でもあったマーラーはそのことがよくわかっていたのではないかと思う。
 「交響曲第一番 Hiroshima」は、あるひとからみれば、そういう受けねらいばかりが目立つ曲ということになるのかもしれない。しかし、受けをねらうということは聴衆のことを考えているということでもあるわけで、伊東氏の論をみていると氏の考える音楽は聴衆に捧げるものではなく音楽史に捧げるもののように見える。伊東氏がめざすものは芸術である。佐村河内氏が希求したものは芸術家であった。
 芸術家というのはまさにロマン主義が生んだ概念であるが、伊東氏の音楽観もわたくしには随分とロマンテックなものに思える。
 夾雑物のない芸術作品は痩せる。「交響曲第一番」は夾雑物だらけなのかもしれない。一方、現代音楽は夾雑物ゼロである。
 現在のクラシック音楽は再現に大きく偏っていて、新たな創造がほとんどなされていない。その分野に今回の騒動はいろいろと考えさせる問題を提供したのではないかと思う。
 

砂の器〈上〉 (新潮文庫)

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作曲の基礎技法

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魚座の音楽論

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