岡田暁生 片山杜秀 「ごまかさないクラシック音楽」(4)

第二章  ウィーン古典派と音楽の近代 ハイドンモーツァルトベートーヴェン   

 片山 バッハとベートーヴェンでほとんどのことは語れる。
 岡田 バッハは前近代の人、ベートーヴェンは近代の人。ハイドンには聴衆一人一人の顔が見えていた。
 片山 ハイドンは雇い主の楽しみのために書いた。しかし貴族の家の楽長では食えなくなり、市民相手に稼がなくてはいけなくなった。
 岡田 ハイドンはマーケットの商品としての音楽を書いた最初の人。
 片山 ハイドンは市民には大合唱が受けることに気づいた。それで「天地創造」「四季」といったものを作った。
 岡田 これが「第九」へとつながっていく。
 片山 「第九」ロンドン・フィルハーモニック協会からの委嘱で作られた。この当時のイギリスは作曲家のパトロンといった立ち位置。
 岡田 ところで、シベリウスはイギリス趣味ど真ん中の作曲家。あとラフマニノフも。ビートルズをふくめイギリスの音楽は田園的。しかしドイツ人はイギリスの音楽を低くみる。
合唱は本質的に労働者文化と結びついている。

 とここまででイギリスの話が終わって、ようやくモツアルトへ。
 岡田 モツアルトの音楽は貴族社会的な感性が強く残っている。
 片山 それに対してベートーヴェンはガサツな田舎者。
 岡田 ラストの盛り上げにおいてベートーヴェンの右に出る作曲家はいない。第九は西側民主主義のシンボル。であるとともに、資本主義イデオロギーを体現するものでもある。
 片山 とにかく、ベートーヴェンはしつこい。
 岡田 ベートーヴェンの音楽は司馬遼太郎の「坂の上の雲」的である。
ロマン派が大好きな「命がけの愛」はベートーヴェンから生まれた。
 片山 しかし、ベートーヴェン・モデルから脱却しない限り人類に未来はない?
 岡田 ベートーヴェンは一つの「世界観」なのである。
 岡田 1986年のサントリーホールのオープンは日本のクラシック音楽受容の歴史において画期となる象徴的な出来事だった。そして、この頃から日本のクラシック受容にもポストモダンの影響がでてくる。教養からオタクへ。ポストモダンのモツアルトへ。
 それでも年末の第九は変わらない。
 片山 これからその代わりになるのは「涅槃交響曲」?

 この章も題名に偽りありで、「ウィーン古典派と音楽の近代」というタイトルだが、語られるのは「西洋における貴族社会から市民社会への転換の中での音楽」である。ハイドン・・貴族社会の人。ベートーヴェン・・市民社会の人。モツアルト・・転換期の人。
 次の第三章ではロマン派をとりあげているが、現在の日本のクラシック演奏会はロマン派~後期ロマン派がレパートリーの中心なのではないと思う。バッハ・モツアルトなどはそれほどとりあげられない?
 わたくしはモツアルトまでのクラシック音楽には(変な言い方だが)音楽しかないような気がする。ベートーヴェンはそこに+αというか音楽以外の夾雑物を持ち込んだ。ロマン派の音楽は+αを見つける競争? それで西洋クラシック音楽は生き延びることが出来たのだと思う。それがなければ今頃、西洋クラシック音楽は歌舞伎や能楽のような古典芸能になっていたと思う。そしてロマン派の作曲家たちはベートーヴェンの毒に当たって七転八倒したのだと思う。それを見た20世紀以降の作曲家達はモツアルトに回帰し、音楽だけで曲を作ろうとするようになったのだと思うが、そうすると聴く人が減り、岡田氏や片山氏のような高級でマニアックな人にしか楽しめない音楽となっていく。
 面白いのはアメリカで、20世紀になっても平気で「ロマンチック」などというタイトルの交響曲を作る。(ハンソンやピストン・・・)
 バーバーの「弦楽のためのアダージョ」はヨーロッパの音楽史ではどの辺りに相当するのだろう。なにしろアメリカにはバッハもモツアルトもベートーヴェンもいなかったのだから・・。
 では日本は? アメリカと変わらないのだが、まだアメリカはヨーロッパの出店というところがあるが、日本は明治維新にいきなり西洋受容を決行したわけで、そもそも五音音階から西洋の音階に音楽の体系自体を転換したのだから、その混乱たるや大変なものがあったであろうと思う。
 とすれば、日本で西洋クラシック音楽を考えることは、すなわち日本の西洋受容そのものを考えることにもなるわけで、ましてや片山氏は歴史学者でもあるわけだから当然議論が音楽だけにはとどまらないことになる。
 例えば、松平頼則は「盤渉調越天楽による主題と変奏」では雅楽をフルオーケストラで演奏させる。ところで、伊福部昭の「マリンバとオーケストラのためのラウダ・コンチェルタータ」はヨーロッパの音楽にそれに相応するものがあるのだろうか? 
 日本の作曲家も、ヨーロッパ正統派と民族派というのだろうかの二派にわかれると思う。尾高久忠の「フルート協奏曲」は前者の代表なのだろうと思うし、
 伊福部氏はもちろん後者。では諸井三郎氏の交響曲は?
 わたくしは高校生のころだったか、日本のクラシック音楽は明治以降に西洋から受容されたものであるという当たり前のことに気づき、そうであるとすれば日本の西洋受容の歪みは日本人が作曲した音楽の歴史にも表れてくるのではないかと思い、そういう少し変わった観点から日本人の作った曲をきいてきた。
 おそらく片山氏にも岡田氏にもはるかに強くそういう意識があるだろうと思う。
 ところで、ハイドンには聴衆一人一人の顔が見えていたとして、現代日本の作曲家には聴衆の顔が見えているのだろうか? 見えているのは吉松隆さんくらい? なにしろ「朱鷺によせる哀歌」なんて曲を平気で書く人だから。「音楽というものがあまりに素晴らしいので、せっかく生きているのだからせめて美しい音楽のひとつも書いてからのたれ死ぬのも悪くない、とそう思って作曲を始めた」と書く人だから。(「魚座の音楽論」(音楽之友社 1987)
 そこでは、シェーンベルクウェーベルンシュトックハウゼン、ケージ・・の悪口も散々。「こんなものが音楽か?というものを書いて人前で鳴らしても・・営倉にぶち込まれることもない・・」
 若い頃、誰かに誘われていった「二十世紀音楽研究所」主催の会で確かブーレーズの『ル・マルトー・サン・メートル』( 主なき槌)を聴いた?記憶がある。何だか宗教儀式のような厳粛な雰囲気だったことだけ記憶している。
 ベートーヴェンの話からまったく離れてしまったが、ベートーヴェンについてはもうすべてのことが語られてしまっているように思う。
 もっとも岡田氏も片山氏もそれらの言説を少しも知らずに能天気に今日の演奏は今一だったなどと言っている〈音楽愛好家〉に苛立っているのかもしれないが・・。