代表的日本人100人

 今日の朝刊に「文藝春秋」が創刊100年になるらしく、特集「現代の知性24人が選ぶ 代表的日本人100人」という企画の宣伝が載っていた。その24人がおのおの3名の代表的日本人を挙げている。広告にでているのは3x24=72名で、「文藝春秋」本体には100人が載っているらしい。
 広告にでている24名が選んだ人選にはほとんど重複がないが、わたくしが不思議に思ったのは二宮尊徳を選んでいるひとが一人もいないことだった。彼こそが代表的日本人ではないかと思うのだが・・・。もう一人わたくしなら選ぶと思う西郷隆盛は先崎彰容という方が選んでいた。それでわたくしの選ぶもう一人は大石内蔵助
 わたくしの人選は多分に中井久夫氏の「分裂病と人類」(東京大学出版会 1982)の第1章「分裂病と人類」 第2章「執着気質の歴史的背景―再建の倫理としての勤勉と工夫」に影響されていると思う。
 中井氏は尊徳が「やかましくうるさく世話をやきて、漸く人道は立つなり」といっていることを紹介している。尊徳はなにかを創造するというような恰好のいいことを薦めたのではない。現状維持のための努力を説いたのみである。
 中井氏はこれを現代語で示している。「世界は放置すればエントロピーが増大し無秩序にむかう傾向にある。したがって絶えず負のエントロピーを注入して秩序を再建しつづけなくてはならない。」 医療のしていることのほとんども同じだと思う。「現状維持のための努力」である。
 中井氏はゲーテの「ファウスト」もヴォルテールの「カンディード」も同じところに辿り着いたとしている。「まず、自分の土地を耕さねばならぬ」。
 中井氏はこの「執着気質の倫理」の持つ弱点も指摘している。これは、大きなクラスターには対応できない。
 また中井氏は大石良雄をとりあげている。また森鴎外も。その「沙羅の木」
  褐色の根府川石に
  白き花はたと落ちたり
  ありしとも青葉がくれに
  みえざりし さらの木の花

 わたくしが選ぶ代表的日本人
  二宮尊徳
  西郷隆盛
  大石内蔵助

 もう一人選んでよければ、森鴎外
 さらに一人選ぶなら、恩田木工
 滅茶苦茶な人選だけど、尊徳以外は武士。鴎外は軍医だから武士に入れてもいいと思う。

 どうも「武士は喰わねど高楊枝」という諺?が好きで困る(笑)。