岡田暁生 片山杜秀 「ごまかさないクラシック音楽」(1)

 2023年5月25日新潮社刊の本。まだ出版されたばかり。二人の対談の前後に、「はじめに」を岡田氏、「おわりに」を片山氏が書くという構成。
 岡田氏は『オペラの運命 十九世紀を魅了した「一夜の夢」』『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』『「クラシック音楽」はいつ終わったのか? 音楽史における第一次世界大戦の前後』『音楽の危機 《第九》が歌えなくなった日』などという本を書くひとであり、片山氏も政治学者にして音楽学者という二足の草鞋を履きながら、どちらの分野においてもそれぞれが評判になる本を書くという才人である。ということであれば、その対談が面白くないはずはない。
 ということで暫くこの本とつきあっていきたい。
 本書の章立ては、
はじめに 岡田氏
序章 バッハ以前の一千年はどこに行ったのか
第一章 バッハは「音楽の父」か
第二章 ウィーン古典派と音楽の近代
第三章 ロマン派というブラックホール
第四章 クラシック音楽の終焉?
おわりに 片山氏
 見てわかるようにロマン派の後、いきなりクラシック音楽の終焉である。本書の問題意識は常に「クラシック音楽の終焉」にある。
 「はじめに」で岡田氏はいう。「日本人が今もってクラシック音楽を聴いている」という不思議。「近代」というものが本質的にはらんでいる宿命的な不条理。音楽は「不要不急」なものだろうか? だが岡田氏は叫ぶ、「音楽はホントは怖い」のだ、と。なにしろ音楽は政治や宗教に利用されてきたし、人間を集団的に操作する極めて有効なツールであった、と。そうであるから本書は「音楽を時代/社会の暗号としてどう解読するか」について真剣に語りあったものとなっているはずである、と。
 序章のはじめから、いきなり「クラシック音楽」とは何なのか、という恐ろしい問いが提出される。とんでもない問いなので、稿を改めてみていくこととする。