今日入手した本

官僚制としての日本陸軍

官僚制としての日本陸軍

 片山杜秀氏の「未完のファシズム」を読んで以来、第一次世界大戦から第二次世界大戦かけての歴史、特に軍のかかわりについての本を何かと読むようになっている。森山優氏の「日本はなぜ開戦に踏み切ったか」の感想を7月くらいに書きかけたまま中断しているが、本書もまたその関係の一冊。
 まだ40ページくらいしか読んでいないが、明治維新前後の西郷隆盛が持っていた独特の権威というかカリスマ性というのは何に起因するのだろうということを、「序章 予備的考察」を読んでいてまず考えた。
 それから第一章「政治と軍事の病理学」のはじめにある1990年の湾岸戦争についての記載を読んで、あためてその当時のことを思い出した。いまでも覚えているが、その当時の朝日新聞の論調を見て吃驚仰天した。わたくしは朝日新聞は絶対平和主義の立場なのだと思っていて、あらゆる紛争の解決は非軍事的な手段でおこなうべしという主張であると考えていた。だから日本は湾岸戦争に軍事的にかかわるべきではないとするのは、その立場からすれば一貫していると思ったのだが、同時にその立場からすれば、湾岸戦争は軍事的手段で問題を解決しようという方向なのであるから、それ自体にも反対し、交渉による解決とか、国連がどうすべきとかいう方向の主張をするのかとばかり思っていたのだが、そうではなく、湾岸戦争自衛隊など軍事力がかかわることには反対なのだが、多国籍軍(といったかな?)のイラクへの介入には反対しないが、それへの経済的協力、資金援助にのみ日本の関わりは限定すべきであり、それこそが平和憲法を持ち経済大国(当時は)となった日本のできる最大の貢献であるするような論調だった。ある場合には紛争解決の手段として軍事力が必要となることがあることは認めるのだが、そういう場にも日本は軍事力をもっては参加すべきではなく、日本に限っては平和的手段?による協力のみに限定すべきである、というのである。本書での言い方によれば「資金のない国々の兵士の血を金で購う」方向である。
 そういう主張もありうるであろうと思う。しかし、それは顔を赤らめ、羞恥心をもって、本当に恥ずかしいけれどわれわれにできることはこれだけなのです、という形でしか言えないことなのだと思う。世界に冠たる平和憲法、世界に先んじた第9条を持つ国としての当然の行き方みたいな主張を読んで、唖然呆然としたものだった。
 著者はかなり「右」のほうの人のようである。上のようなことを考えるわたくしもまたやはり「右」の人間なのだろうか?