加藤典洋「アメリカの影」 1985年 河出書房新社
加藤氏の近著「戦後入門」を読み、少し感想を書いてみて、なんとも消化しづらい異物感のようなものが残り、はて感想を続けたものだろうかと思い、氏が「戦後入門」の先行作としている「アメリカの影」と「敗戦後論」を本棚からだしてきた。20冊くらい、加藤氏の本が棚にはあった。記憶があいまいな部分もあるが、おそらくわたくしがはじめて読んだ加藤氏の本が「敗戦後論」で、それはこの加藤氏の本がいろいろなところで叩かれているのを見て、それで興味を持ったからであったのだと思う。それがとても面白かったので、前駆する「アメリカの影」も読んでみたという経緯だったはずで、この本の刊行は1985年であるが、もっている本は1991年の新装初版版である。
「アメリカの影」は加藤氏の最初の本である。「「アメリカ」の影―高度成長下の文学」という本全体の半分を占める論、「崩壊と受苦―あるいはフロンティアの消滅」という短めの論、「戦後再見―天皇・原爆・無条件降伏」というやや長めの論の3つの論をおさめている。前二者は基本的に江藤淳の提示した問題、特にその「成熟と喪失」での議論の対象している。最後の文章も江藤の「無条件降伏」にかかわる論に触発されたものと思われるが、「無条件降伏」ということになぜルーズベルト大統領が執拗に拘ったかの論考で、近著の「近代入門」と大幅に重なる部分がある。一部はほとんど同じではないかと思う。わたくしは「アメリカの影」の前半の二つの論は読んだが、最後のものは読んでいない(あるいは読みだしたが、途中で抛りだしてしまった)可能性が高い。第2論まで読んだことは、そこで論じられている富岡多恵子の「波うつ土地」を買っていることからも間違いないと思う。
最初に読んだときには「「アメリカ」の影」に付された「高度成長下の文学」という部分にはあまり関心がむかなかった。高度成長は終わっていても安定成長といわれる時代が終わるか終らないかの時にかかれた本で、「失われた十年」のまだ前ということのためだったのだろうと思う。
最近、ここに書いていることは渡辺京二氏の論考での市場経済体制の肯定(成長の肯定)とそれがもたらす共同性の破壊への抵抗、しかし現在はまだ機能している国家は肯定?(否定しない? そこから目をそむけない?)というアクロバット的な議論を読んでいて、説得されるとともに微妙な違和も感じて、まず「高度成長」についての吉川洋氏の本を再読したりと、戦後をめぐる諸論の間をふらふらしている。
今回「「アメリカ」の影」を読みかえすと最後の方に石牟礼道子氏の「苦海浄土」への言及があり、ちゃんと渡辺京二氏の名前もでてきていた。吉川氏の「高度成長」では水俣病は高度成長の負の部分の象徴であったが、本書では必ずしもそうは捉えられていない。最初読んだときに注意がいかなかったのは、どうも水俣病というあたりが苦手で、記憶が混乱しているのかもしれないが、「怨」という筵旗を押し立ててなどというのも見るともう生理的に駄目で、そういう「祟りじゃあ!」というような怨念、ぬるぬるドロドロしたものというものからはひたすら逃げたくて、目をそむけてしまうのである。横溝正史も苦手。今では「苦海浄土」がそういう本ではないことを承知しているが、当時はその系統と思い込んでいた。たぶん、「苦海浄土」は汎生命論的というか汎宇宙論的というかD・H・ロレンスの方向に連なるものなのだと感じているが、その方向も苦手なのである。もっと乾燥してサラサラして淡いものがいい。君子の交わりは水の如しでいたい。わたくしは江藤淳というひとをよくは知らないのだが、もれ聞くところでは、淡交どころではないなかなか大変なひとということのようだった。だから、占領軍の検閲の問題などを猛然と論じはじめたのを見ても、やっぱりね変わったひとだからね、というような思いだった。
しかし江藤氏の「成熟と喪失 ― 母の崩壊」はとてもとても面白かった(わたくしの持っているのは昭和42年(1967年)刊の初版だから、二十歳くらいで読んでいることになる)。小説というのはこんな風に読めるのだ、小説を材料にこんなことも論じられるのだ、と目から鱗であった。
わたくしが小説などを読み始めたのは中学に入ってからだが(小学校時代は「少年探偵団」)、進学校にはいってすぐにおちこぼれ、自分はがり勉なんかしないで文学なんかも読む人であるということをプライドのつっかえにしていたのだろうなと、後から考えると思う。しかし世界名作路線に走ったのが間違いで、岩波文庫などで全部翻訳で読んだのだからほとんど筋を追うだけに終わり、ほとんど後に何も残っていない。例外が高校初年くらいで読んだ太宰治で、たぶん、うまい日本御を読んだのだはじめてだったのであろう、いかれた。後は小林秀雄だが、これも文章の力、啖呵のきりかたにやられたのであろう。それで大学にはいって吉行淳之介などを読んで、ふんふんと思っていた。これも今から思えば淡交の路線だったのだろう。それで「成熟と喪失」を読んで、吉行をふくむ第三の新人あたりが目にも鮮やかに料理されているのをみて、唸ったわけである(江藤氏は吉行には否定的)。
「成熟と喪失」は何人かの小説家の作を材料に、その小説を書いた作家本人でさえ気がついていない日本の病理がそこに示されているとしたものなので、本当のターゲットはその当時の日本の病理にあるというものだった。文学作品をそれ自体を味わうのではなく、何かを論じるための手段として用いるというのは、今から思うと変なのだが、それができる前提は小説が読めるということで、江藤氏も加藤氏も抜群の小説の読み巧者である。
何しろ読んだのがまだ二十歳のころだから、何も知らなくて、エリク・エリクソンの名前もアイデンティティという言葉も本書ではじめて知ったのだと思う。しかし一番記憶に残ったのは「ゆっくり行け、母なし仔牛よ・・」というカウボーイの子守歌であるかもしれない。
「アメリカの影」は江藤淳が村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を全否定し、田中康夫の「なんとなく、クリスタル」を絶賛したことから論をはじめている。この二つの小説はともに基地小説だが、村上龍の小説がその根底に「ヤンキー・ゴー・ホーム!」という能天気を宿しているのに対し、田中のものは「アメリカなしにやっていけない」という「弱さ」の自覚という批評精神を蔵しているというのが江藤の視点であったという。
《アメリカという「説教がましい自信の強さと親分肌の寛仁大度」》対《日本という「自律心が強く温和で協調的で忠誠心がある」》という対比は、ほとんど男性対女性という視点をも導くもので、それは有名なマッカーサーと天皇が並んだ写真にも通じていると加藤氏はいう。村上の作にあるのが「屈辱」であるとすれば、田中の作にあるのは「依頼」なのだ、と。「依頼」とは決して「従属」をいうのではなく「所属」を意味するのだ、と。「《アメリカに依存している、アメリカなしではやっていけない》ということが、いまやぼく達のタブーになっている」と加藤氏はいう。
「アメリカなしでもやっていける、という身ぶりが所詮身ぶりでしかないのは、彼らが貧乏を恐れている(!)からである。「アメリカ」なしでやる場合、経済的困窮を覚悟しなければならないが、いまより生活程度が下がることを恐れるという彼らの本音が、『なんとなく、クリスタル』に露骨に現れていればこそ、彼らはこの作品に生理的な反応を生じているのである」、と。(ここでの彼らとは、当時、田中作品を評価しなかった文壇の多くの人間を指す。)
この当時の右翼政党「愛国党」の「日米同盟強化による民族自立」というアクロバットな主張と江藤の主張は重なっていたというのが加藤氏の論の中心をなしている。(この当時の)政府はアメリカに対して弱腰であるが、そのことに国民はいら立っているようにはみえない。経済大国として成功したということが国民の自尊心を一定程度満足させているからだと加藤氏はいう。つまり(この当時の)国民の意識からは「国家」というものが消えかけていた、と。
高度成長は確かに自然を崩壊させたが、そのことをわれわれ日本人が自分達が社会的に「成熟」するための好機とできないか?、われわれが「国家」というものに直面するための良い契機とはできないだろうかという問いが「成熟と喪失」の主題であったのだと加藤氏はいう。たとえ「“母”なる自然」を失ったとしても、その喪失を通じて「社会」を獲得し、社会的に成熟できないかと問うものであった、と。
「母」の喪失⇒「父」の回復? 「父」とはほとんど「国家」? しかし、国民は「国家」のほうはアメリカにまかせて繁栄という果実だけが得られればいいとしたのであり、「父」の役割のほうはアメリカにまかせておけばいいとした、と加藤氏はいう。この「アメリカの影」は1980年代に書かれているから、未来の「失われた20年」の到来ということは知らずにかかれている。高度成長が江藤氏の「成熟と喪失」を生んだとすれば、「失われた20年」の体験が加藤氏に「戦後入門」を書かせることになった。高度成長という果実が「国家」というものに直面することの回避を許したとしても、「失われた20年」がもうそれを許さなくしていると。
江藤氏がいう「“母”の崩壊」の“母”を加藤氏はほとんど“母なる自然”と同一のものと見なして議論を進めているように感じるのだが、これにはいささか疑問を感じる。ここでの母とは“人為ではないもの”といった含意なのではないだろうか? 「理屈」ではないもの。国というのは自然なものではなく人為の産物であり、制度の産物である。アメリカという国がまさしく人為の産物である。それは作ろうという意思によって生まれた。そして近代というのも人為の産物である。しかし日本という国は人為の産物ではなく自然なものなのではないだろうか?というのが江藤氏を転回転向させた視点だったのではないだろうか? つまり父ではない国家の形態というのもありえるのであり、それが日本なのである。
江藤氏は「成熟と喪失」の終わりのほうで、庄野潤三氏の「夕べの雲」の読みを通して「治者」という言葉を呼び出してくる。そしてそれを論じて、加藤氏は近代日本の知識人の二つの方向として「治者の道」と「個人の道」ということをいい、それぞれを「鷗外の道」と「漱石の道」と形容している。山崎正和氏の「鷗外 闘う家長」はまさに「治者としての鷗外」の像を描いたものであろう。
しかしこのあたりの加藤氏の論を読んでいて、わたくしが想起するのが中井久夫氏の「分裂病と人類」に描かれる二宮尊徳の像である。「彼は幼年にしてすでに「甘え」を決意を以て断念している。・・彼は父親役をひきうけ、良心を「甘えさせ」たのである。これは社会の波風に対して家族を代表し、家族を守るものとしての「父」である。家族を守るものとしての父親役であって、家父長として家族の中心に位置するものではなかった。」「「天道」を畜生道にひとしく善悪を知らぬものとする二宮の哲学は、今日でも儒教文化に育った中国や朝鮮の知識人に一種の衝撃を与えるようである。」「ところでこの倫理、二宮にしたがえば「こまごまと世話をやいてこそ人道は立つもの」であるという認識の上に立つ倫理は、その裏面として、「大変化(カタストロフ)」を恐怖し、カタストロフが現実に発生したときには、それが社会的変化であってもほとんど天災のごとくに受け取り、再び同一の倫理にしたがった問題解決の努力を開始するものである。」「この世界観は「辺縁的(マージナル)なものに対する感覚」がひどく乏しい。ここに盲点がある。マージナルなものへのセンスの持ち主だけが大変化を予知し、対抗しうる。ついでにいえば、この感覚なしに芸術の生産も享受もありにくいと私は思う。」「この倫理に従った技術者たちは、敗戦によって他の人々のような深刻なアイデンティティの混乱を起こさず、戦争と政治への反省を行わなかった。彼らはたとえば軍艦のかわりにタンカーをつくる。大戦直後には鍋釜さえつくった―「とにかくわれわれは頑張ったのだ」「科学の力の差だ」。」 この論理(倫理)の延長に中井氏はゲーテの「ファウスト」の末尾や、ヴォルテールの「カンディード」の末尾、さらにはT・S・エリオットの「荒地」の「結局せめて自分の土地でも耕そうか」の呟きまでも見る。わたくしには「夕べの雲」の主人公の大浦は尊徳の末裔に見えるのである。ところが江藤氏は突然「しかし「治者」の、つまり「不寝番」の役割に耐えつづけるためには、彼はおそらく自分を超えたないものかに支えられていなければいけない」などといいだして、「 Except the Lord keep the city, the watchman waketh but in vain. 」などというところを引いてくるのである(これはエリオットの「「岩」の合唱」の一部かと思ったら「詩篇」の改変のようである)。神様の降臨。いくらなんでも強引なのではないだろうか?
わたしが気になるのは、渡辺京二氏がいう国家に関しての二重の捉え方、複眼的な捉え方、一方に「国家なんか知らないよ」、他方に「日本という民族国家が現存するし、その規定性から逃れることはできない」双方が必要という見方である。多くの日本人は「国家」の方面(その一番の正面にあるのが軍事の部分)はアメリカにまかせたといって、そこは見ないこととし、制度としてではなく、まるで自然物のように存在している日本という部分のみを日本としているのではないかと思う。それには渡辺氏は異を唱えるわけである。江藤氏のいう“母”というのは、渡辺氏のいう「共同性」といったものに近いなにかなのではないだろうか?
わたくしは自分もまた「国家なんか知らないよ」派だと思っている。しかし、それを正義だとかは全然思っていなくて、それは不当であるとして咎められることがあれば、甘受するしかないと思っている。一方「共同性」というほうからも逃げたくて、それは不幸な生き方であるといわれれば、否定はしないけれども、一人でいるほうが楽であるという気持ちはわたくしの一番根っこにあって、これからも変わることはないだろうと思う。「鍵のかかる部屋」に一人でいること以上の望みはあまりないように感じる。
わたくしは「個人」というのは西洋の産物だと思っていて、だからこそ小説というのが西洋を起源としているのだと考えている。小説というのはしがない個人のなかにも実は神話の英雄に勝るとも劣らないドラマがあるのだという信憑が成立したからこそでてきた。それは英雄の物語ではなく小人の説、典型が「ヴォヴァリー夫人」! しかし平凡な田舎女もまた英雄でありうるのだとすれば、その英雄譚を作った作者は創造の神に擬せられる立場に祭り上げられることにもなる。芸術家の神格化! そうでなければベートーベンのあの「偉そう!」は理解できない。あれは音の組み合わせの中で何か今までにはないものを探るというようなことではなくて、全人類に向かって説教をしているわけである。何の資格あって?、という気がするが、カントの哲学などもまた偉そうである。一人の人間が世界を理解できる! 芸術とか哲学の方面から異様にドイツ人の名前がでてくるのは、政治の方面ではイギリスやフランスに遅れをとったドイツが「個」の力でそれに対抗しようとする試みだったのだと思う。ロマン主義は後進国ドイツから生まれてきた。しかし、ナポレオン以降の国民国家の肥大化にともなって個人の力は弱くなる一方で、だからこそカフカの作やオーウェルの「1984」などが出てくる。どんな大芸術家であろうと鉄砲をもたせたら単なる一兵士である。しかももはやライフルやカラシニコフ銃の時代ではなく、戦車や毒ガス、ついには核兵器の時代なのである。そういうなかで、ノーベル賞というものが異様に過大な評価を受けるのも、ピカソ(「ゲルニカ」!)などの芸術家をめぐる天才信仰なども、現代においてもまだまだ個人の力にも何ほどかのものがあると信じたい気持ちの産物なのであろう。
明治期に輸入された西洋は、一つには戦争機械としての国民国家構築という側面であり、それを支えるものとしての科学技術という方面であった。それと同時に「個人」というものも平行して輸入されたはずであり、だからこそ大量の西洋の小説が翻訳もされた。しかし第二次大戦に負けてみると、それは「個人」というものがあまりに未成熟で、それは国家を批判できないほどの非力であった、それが惨めな敗戦をもたらしたという見方がでてきて、丸山真男などがその中心になった。だがそれは「aux armes, citoyens!」という方向にはいかなかった(丸山真男は市民の武装の必要ということをいっていたらしいが)。フランス人は国家斉唱の度に「市民よ! 武器をとれ!」とやっているわけである。一方、日本は「君が代」。
国家が暴力装置を独占してしまうなかでは個人の実力での抵抗などは無力である。一方が、刀狩以来、武装を解除された日本人であり(実際には、武士の象徴としての刀は農民には持たせないということで、農のなかにも武力は残ったらしいが)、他方が、今でも個人の銃の所有が人民の権利とされているアメリカである。非対称性は明らかである。そのアメリカに軍事の部分の相当部分を丸投げしてきた日本が、アメリカと対等の地位にたつことがありえるかという問題をあえて(わざと?)みないようにしてきたこと、それが戦後の日本人が抱える根底にあるというのが江藤淳の提起したものであったわけである。
国民国家とはもともと戦争に強いということによって成立成長していったものであるが、かつては戦争が絶えなかったヨーロッパは高齢化が進行し、もはや相互が戦うなどということは想像もできない、そうであるからこそEUというものが可能になったとトッドはいっていた。これからは国民国家同士の戦争というのは方向としては少なくなっていくのであろうが、しかし民族同士あるいは宗教間での争いが根絶されることはないでろう。国同士の争いは軍事によるものから経済によるものへと変貌し、しかも経済は国境を越えるようになった。そういうぐちゃぐちゃしてわけがわからなくなってきた世界を「個人」対「国家」というような古典的な対立に機軸をおく江藤淳の「成熟と喪失」は、今からみれば随分と単純な見方に立脚しているように感じられる。しかし、このほとんど半世紀前にかかれた本がいまだに説得力を持つ部分があると思われるのは、日本人のもつ武力や軍事への見方が、そのころからまったく変わっていないからなのであろう。あるいは一部は説得力が増した部分さえあると思われるのは、軍事はさておいて経済成長による経済大国化という部分にも非常な翳りが見えてきているからである。
アベノミックスというのが一定程度の評価を受けているのは、株価がどうこうはさておいて、日本のめざすべきは経済の方向しかないと思うひとが多いからかもしれないし、安倍首相が「ねじれ」ているのは、自身は経済云々にはプライドを感じることができず軍事の方面にしかプライドの根拠をもてない人である点にあるのであろう。そして多くの日本人は、多分もう経済の方向でもだめなのだろうなと思っているが、さりとて軍事の方向はもうこりごりしていて、平和の方向、それも世界の争いの局外にいる、いられるようにする消極的な方向を希求していて、「平和憲法」というのはそのための護符のようなものになっているのではないかと思う。
「アメリカの影」は、日本人がそうと自覚している以上に日本人はアメリカに支配されているのであるが、一種の精神分析的機制が働いて、日本人はそれから目を背けている、あるいはそれが見えなくなっているという問題意識を提示したものである。江藤淳はその根っこに日本がアメリカに「無条件降伏」したということがあるとしていたので、加藤氏もまた無条件降伏ということを第3の論「戦後再検―天皇・原爆・無条件降伏」で詳細に論じている。加藤氏はこの「無条件降伏」を強引に推し進めたのはルーズベルト大統領であり、それはアメリカが原爆の開発に成功し、それを日本に対して使用することを決心したときに、原爆という兵器のもつ非戦闘員を無差別に殺戮する兵器という非倫理性、あるいは非合法性(戦時国際法違反)について、原爆投下後のおきてくるであろう批判を封じるために必要としたとしている。もしも原爆投下がアメリカの手を汚すものであるとするならば、その汚れた手で極東裁判のような「戦争犯罪」を裁くことができるだろうか、それを可能にするためには、日本が何ら異を唱えず無条件に降伏することが絶対に必要であったとする。加藤氏の論は読んでいて説得的であると思われるが、きわめて文学的な論であってルーズベルトの内面という証明のしようもないものの推論である。客観的な事実としてのルーズベルトの急死ということでさえ、倫理的苦悶がもたらしたという推論だって可能である。しかし、それをアメリカという国が公式にみとめるということは現在までなされていない以上はこれからなされることも絶対にないであろう。日本政府は1945年8月10日に(つまり降伏前、まだ交戦中に)戦前戦後を通じてただ一度、この原爆投下についての対米抗議文を出しているのだという。「・・従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性残虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり。帝国政府はここに自らの名において、かつまた全人類および文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時にかゝる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す。」 この抗議文中に「米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り・・」とあるが、本当にその通りで、連合国によるドレスデン大爆撃にしても、ドイツによるイギリスへのロケット砲撃にしても、Uボートによる通商破壊にしても、すべて国際法違反なはずである。従軍慰安婦とか南京虐殺とかにくらべてもはるかに大きな問題であるように思われるのだが、これも「無条件降伏」したためなのだろうか? 加藤氏は「中国で、朝鮮で、また南方で「残虐非道」な侵略をほしいままにした日本政府が、何をいうか」といい、日本が先にこれを完成していれば、必ずやこれを敵に用いたに決まっているではないかといっていて、それもまたもっともであると思うのだが。第一次世界大戦から後は戦争は総力戦となっており、単に敵の軍隊を叩くのではなく、相手の国力を殺ぐことが戦争遂行能力を低下させることであるという理由で、双方の国民はこれらの非戦闘員、非戦闘地域への攻撃や爆撃もやむをえないものと思っていたのだろうか?
おそらく、日本人の多くは原爆の投下ということがなければ日本は降伏のきっかけをつかめなかったと思っているのではないだろうか? 「終戦の詔勅」においても、「敵は新に残虐なる爆弾を使用し惨害の及ぶ所真に測るべからざるに至る」ということがいわれ、このまま戦争を継続すれば、「我が民族の滅亡を招来するのみならず延て人類の文明をも破却すべし」ということがいわれている。昭和天皇自身が降伏受け入れにこれによって踏み切れたのではないか、というようなことはルーズベルト大統領の場合と同じで永遠の推測にとどまる。
そして、原爆が異次元のものであったことが、象徴天皇制をふくむ異次元の憲法を日本人が受け入れることができた理由なのではないかという気がする。加藤氏はいう。日本人は「天皇の傘」を脱して「原子爆弾の傘」の下へとそっと移った、と。原子爆弾は天皇を生物学者へと変えた。原子爆弾は天皇を人間とし、マッカーサーを占領期の天皇とした。「地獄の黙示録」におけるカーツ大佐は、アメリカのマッカーサー経験が影を落としている、と。原子爆弾は合理性と科学性の代表であり、日本人はそれによるモノ信仰によって高度成長をとげ、しかも何かそこに空虚なものがあることも感じるようになっていった。と。
この本を読んでいると、1985年と現在が基本的にかわっていないということを感じる。30年という時間の間、ずっと見ないようにしてきたことがあるからなのだろうと思う。
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