与那覇潤 「平成史 1989-2019 昨日の世界のすべて」(文藝春秋 2021)(13) 第15章 はじまりの終わり 2018-2019.4

 この期間は平成という時代への喪の作業の期間だったと与那覇氏はいう。
 アベノミクスの成果であるとされた景気の拡大は平成18年(2006年)10月までで、以後は収縮へと転じる。わたくしは2000年頃までがバブルで、2003年くらいまではバブルの小休止、それでまた拡大が始まるのだろうと思っていたが、あれ?いつまでも上にむかわないな、と思っているうちに現在にいたってしまったという感じである。
 ここで西部邁の晩年と自死が論じられる。わからないのは、西部氏がどの範囲の人に知られ、どの程度の影響を社会に与えた人だったのだろうか?ということである。
 氏の若い時の「大衆への反逆」「生まじめな戯れ」「学者 この喜劇的なるもの」などは読んだ記憶はあるが、多分に駒場東大の人事の騒動への関心で読んだもので、氏が右旋回してからは、そういう人がたどる典型的なコースを氏もまた辿っていると思って関心を失った。
 氏は77から78年に米英に留学し、gentleman の国である英国に帰依したことによって、右旋回したらしい。氏は意外に近代的な思考過程により自死を選んだらしいが、どのような死に方を選ぶかはまったく「個人」の選択の問題であって、他人がとやかくいうことではない。
 お弟子さん二人に自死を手伝わせたことが問題となったとしても、それは氏が最後まで人騒がせな自己中心的な人であったということだけで、お弟子さんだってそれを承知でついていったのだろうから、自業自得なのではないだろうか?
 わたくしは氏の自死の報道を新聞などで見て、典型的な知識人だなあと思った(頭でっかち!)。結局は世の中がどうなるかより、自分が「義」の人間であるかの方に関心がある「左」のひとに多く見られるインテリの「右」の亜種だったのだと思う。晩年の氏の著作がどのくらい読まれていたのかは知らないが、ごく普通の人にはその死はまったく何の影響もあたえなったのではないかとわたくしは思っている。
 1982年の「気分はもう戦争」というカルトマンガの話がでてくるが、まったくきいたこともなかった。
 平成の30年間は「アメリカの衰退」と「中国の台頭」の時代だったと与那覇氏はいう。
 1979年の中井久夫氏の「西欧精神医学背景史」から「ルネッサンスの時代は異能の人の時代で、普通の人は生きづらい時代であった」という塩野七生氏の説を紹介し、ルネッサンスを西欧にもたらした新大陸に相当するのが、今の時代では『中国の発見』であるとしている。
 中井氏の「西欧精神医学背景史」は読者に西欧への見方を一変させる力を秘めたとんでもない本で(明るい西欧ではなく暗い西欧、魔女と錬金術の西欧・・)もしかして未読のかたがあればぜひ読まれることをお勧めしたい。
ところで、中井氏は最近亡くなられたが、死の前にカトリックの洗礼を受けたという話がどこからか聞こえてきて、今、それについて少しく考えている(というか戸惑っている)ところである。日本の知識人が晩年キリスト教に向かう場合はまずプロテスタントの方向にいくことはなく、みなカトリックである。それはカトリックこそが西欧の総本山、西欧を支える背骨であって、日本の知識人の99%は西欧渡りの学問をしているわけだから、その深部に向かえば向かうほど、カトリックの神様が近づいてくるということはあるかもしれない。氏がギリシャの詩人の詩を訳し、ヴァレリーを訳したのもそれに関わるのだろうか? 精神医学という分野にいるとどうしても直面せざるを得ない、暗いどろどろした何かから離れ。清浄な空気(ナイチンゲール)、明るい空気のようなものをもとめたのだろうか? カヴァフィスはまだしも、ヴァレリーの詩を氏が訳す必要があったのだろうか? いましばらく、このことについては考えていくことになると思う。
 人文学に較べ自然科学の分野では「神様」を棚にあげることが比較的容易であると思われるが、進化生物学の分野ではそうはいかなくて「社会生物学論争」のような大騒ぎがあちらではおきることになる。しかし不思議なのは日本ではそれはまったくよその国の出来事で、この論争はこちらではほぼスルーされたことである。「学問」と「自分の生き方」がほぼ無関係であることが当然とされていて、むしろ「自分の考え」を自分のしている研究に持ち込まないことが日本では正しいとされているようにみえる。「どうも耶蘇の信仰というのは厄介なものですなあ! 日本に生まれてよかった」といった感じかもしれない。しかし人文科学や社会科学の分野ではそうはいかないはずであるが、どうなっているのだろう?
 本論に戻って、ヨーロッパは中世まではユーラシア大陸最果てのただの岬に過ぎなかった。それを変えたのが新大陸の発見であるが、現代においその「新大陸の発見=金銀の発見」の役割を果たしたのが、「中国の発見=中国の労働力の発見」である。
 それで各国で反移民とレイシズムの動きが広がった。そのような動きの頂点として出てきたのが「トランプ政権」。それにともない、西欧の旧来からの人権といった価値観はこれからの社会の発展にとってはかえって桎梏となる。中国式の専制政治の行き方が今後の世界の方向であるといった議論も台頭して来ている。
 AKB48から「坂道」グループへという話もでるが、さっぱり興味がないので飛ばす。古市憲寿氏の「平成くん、さようなら」も読んでいない。安室奈美恵の引退も関心なし。
 19年初頭に橋本治氏逝去。そして令和に入ってすぐ加藤典洋氏が亡くなる。
橋本治氏はアカデミーの外のひとだった。加藤典洋氏はアカデミーから追われた人? 最近、渡辺京二氏の「小さきものの近代1」をぼちぼち読んでいるが、面白くて仕方がない。氏もまた在野のひとである。
 平成を大きく区切るとすれば、どこということになるのだろうか?
 昭和は敗戦の前後で切断される。昭和から平成の境にかけては、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連という国家も消滅するという非常に大きな画期があった。とすると、昭和と平成の境が大きく、平成はひたすら坂を下っていった時代であり、はっきりした画期はなかったのかもしれない。
 《平成の30年間は「アメリカの衰退」と「中国の台頭」の時代だった》としても、それは日本の外でおきたことであって、日本はそれに対応することにひたすら右往左往しているうちに、気がつけば「坂の下の沼」(天谷直弘氏)に落ち込んでいた、ということになるのかもしれない。
 結局はわたくしには、林達夫氏のいう「Occupied Japan」が今にいたるまで続いているとしか思えない。加藤典洋氏の「敗戦後論」があれほど議論を呼んだのも、現行憲法アメリカ占領軍が作成したものであり、われわれは占領下でそれをただ受け入れるしかなかったのだという事実から日本人が目をそむけ続けているという単純な事実を示したからとしか思えない。われわれ日本人は、その事実を隠蔽し、あたかも日本人が作成し、日本人全体がそれを歓喜して受容したといったフィクションを実に70年以上も続けてきている。そしてその憲法の存在など他の国々は気にもしていないし歯牙にもかけていないという事実からも目をそむけて、これがあるが故に世界の平和が維持されているかのような幻想を振りまいてきている。そしてそれを改正しようという動きは右からでてくるが、左は憲法を守れ!一色である。いいものはいい! 誰が作ったのかはどうでもいい、現行憲法にはその策定当時のもっとも先進的で高邁な理想が表明されているので、その理想は現在においても揺らぐことはなく、むしろますます輝くものとなっている、そういう方向である。
 「日本以外の世界の誰も日本国憲法にはただのひとかけらも関心を持っていない」ことには知らぬ顔をして、国内だけで喧々諤々の議論を続けている。明治の為政者たちは日本がよわく脆く、いつ列強に蹂躙されるかわからないという強い危機感のもとにいた。「とぎすまされた危機感と身がまえた猛獣のような緊張の姿勢」である。(天谷直弘「坂の上の雲」と「坂の下の沼」)。
 おそらく多くの人が、「戦に負ける」という惨めさを、その代償としてえた?「世界の進むべき方向を示す素晴らしい憲法を得た」ことで、いくらかでも打ち消したのだろうと思う。「天皇」から「憲法」に! 天皇ハ神聖ニシテ侵󠄁スヘカラス⇒憲法は神聖にして侵󠄁すべからず
 橋本治氏は「二十世紀」という本を2001年に出版している。1900年(明治33年)から2000年(平成12年)までをあつかっている。だから平成も途中までであるが、1945年の項に「第二次世界大戦の後、「この後社会主義共産主義が勝利する」とするグループと「この後社会主義共産主義は勝利しない」とするグループの二種類に分かれたとしている。そして(ソ連の崩壊で)「社会主義への幻滅」が広がると、もうなにがなんだか分からなくなってしまったのだ、と。
 たぶんこのなにがなんだか分からなくなる状態が一番ひどかったのが日本で、「この後社会主義共産主義が勝利する」とするグループが、ソ連の崩壊を見ても、それでも《社会主義共産主義への郷愁》をたてないひとがいた、それも少なからず(かなり多数)いた。今の西欧でも左の側の政党にはそういう方向の政党もあるがマルクスの説とは縁は切れている。
 しかし日本では共産党はいうまでもなく、立憲民主党でもマルクスを否定するとは断言できないひとが少なからずいる。要するに、資本主義=悪、社会主義=正義といった考えをどうしても否定しきれないわけである。そして今の日本の状況をみれば、日本国憲法が日本の現状を正す道標になると考えるので、「憲法を守れ!」がスローガンになる。日本国憲法社会主義への道を示すもの? そんな話は世界から一顧さえされるはずもないのに、気分は未だOccupied Japanのまま、日本だけ特別というほとんど鎖国状態の思想から抜けられない。
 Occupied Japanであるから、何かあればアメリカが守ってくれる(はず)。手を汚す仕事はアメリカさんにおまかせして、われわれは日本が進むべき道、世界が進むべき道について考えていく・・。
 そもそも、社会主義共産主義ということについて、いわゆる進歩派の方々が今現在どのように考えているのだろう? 現実の世界では、平成の始めに東側は崩壊した。具体的にはソ連が崩壊し、ロシアという国家が出来たが結果としては独裁国家が出来た。中国と北朝鮮の二つの人民共和国は共産党という党名の党が支配する国家として現在も継続しているが、実質は独裁国家である。この二つの国がマルクス主義とどのような関係があるのかが、わたくしには少しも理解できない。
 いつ頃までだろうか、北朝鮮という言い方が許されない時代があった。朝鮮民主主義人民共和国と言わなければならなかった。今の北朝鮮のどこが「民主主義」でどこが「共和国」なのだろうか? 中国ももちろん中華人民共和国である。共和国??
 結局、ベルリンの壁の崩壊、ソ連という国家の消滅もそれが大きな変化をもたらしたのは東欧圏、すなわちもともとヨーロッパの見方が浸透していた国々だけで、アジアにおいてはもっと古くからのその地域での思考法がまさり、それがプロレタリアート《独裁》という言葉と融合し、《前衛》という言葉とも融合して、現在の中国・北朝鮮を作り上げてきたのではないだろうか?
 日本共産党の機関誌(日本共産党中央委員会理論政治誌)は未だに『前衛』のままである。民主集中制も未だに堅持されている。そもそも共産党という党名をこれからも堅持するのだそうである。
 一党独裁とか個人崇拝というのも一つの有力な政治形態・統治形態であって頭から否定されるべきものではない。むしろ効率のよい政治形態なのであるかもしれない。
 これが否定されるのは西欧的価値観が前提にされる場合だけである。「われわれは決して真理にいたることはない。われわれには何が正しいかわからない。だから相互の話し合いが必要で、相互に許し合うことが必要である。・・」 しかしもしも何が正しいかを知るひとや集団(前衛)がいれば、議論など時間の無駄である。その人の指導の下に進むだけ、習近平思想、金正恩最高指導者のもとに・・・。北朝鮮など世襲である。
 われわれは「明るい西欧」だけをみているが、中井久夫氏もいうように西欧には「暗い西欧」があってソ連―ロシアはそちらを継承しているのかもしれない。もちろん西側にも「暗い西欧」は当然あって「赤狩り」などというのは、共産主義=悪魔とでもいうような思想ともいえない恐怖心の産物だったのかもしれない。
 そして宗教の問題がある。イスラム側から見れば、今の西欧はソドムの地であって業火で焼き払われて当然と見えるだろうと思う。
 「ヨーロッパの生みだしたもっとも美しい幻影の一つである、個人のかけがえのない唯一性という、あの大いなる幻想」とクンデラが「小説の精神」でいうのは、まさに「われわれは決して真理にいたることはない。われわれには何が正しいかわからない。だから相互の話し合いが必要で、相互に許し合うことが必要である。・・」の変奏である。
 加藤典洋氏は東大文学部在籍中にいわゆる東大紛争に深くかかわっている。わたくしはこの渦中で文学部がストに参入してきた時、「これは長引く、なかなか終わらない」と思った。文学部の学生さんは「授業などよりストのほうがよっぽど勉強になる」と思っている「思想の方面」のプロの卵も多く、先生方にも「革命」ときくと血が騒ぐ人も多かったので、そう感じたわけである。加藤氏はそれで就職に苦労した。
 加藤氏の「新旧論」というわたくしは読んでいない論に与那覇氏は言及して、小林秀雄支那事変をきっかけにずるずると現状肯定に流れていったことを加藤氏が批判していることが紹介されている。
 橋本治氏の「小林秀雄の恵み」には「戦争と小林秀雄」の章があり、「この戦争協力者は、進んで協力して、嘘もつかず、しかしその実、一向に協力なんかしていないのである。そして、それで咎められないのである。・・なんて食えないオヤジなんだと、私は小林秀雄のイケシャーシャーぶりに感嘆してしまうのである」とある。わたくしには橋本氏の言のほうが説得的で、加藤氏の論はいささか単純すぎるように感じる。
 加藤氏の論には梶井基次郎の「檸檬」と中原中也もとりあげられているのだそうで、それで米津玄師の「Lemon」にも言及されるのだが、これまた聴いたことがない。
 昔々、木村尚三郎氏の「歴史の発見」?を読んでいて、歴史とは過去から現在に至るものではなく、現在から過去に遡るもので、今自分が生きている時代とは明らかに異なる時代が過去1、それとはまた異なる過去が過去2・・。
 自分のなかで、それを考えてみると、1993年(平成5年)ごろが過去1? このころバブルというのは本当に終わったと思った。それ以降はだらだらと現在に至る。過去1の前は1968~1970前後? 政治の季節。その前は1960頃? 60年安保から高度成長へ。
 そうすると平成という時代は日本の外では東側の崩壊という大事件はあったが、日本国内ではそういう大きな動きのあまりない、しかし知らないうちにいつしか茹でカエル状態になっていたという時代だったのかもしれない。
 本文はこれで終わりであるが、後に「跋」という7ページほどの文がある。本書の潜在的なテーマである現在における学者・知識人の役割という問題をふくめ、そこでもう一度全体を振り返ってみたい。