ちくま学芸文庫版 加藤典洋「敗戦後論」の内田樹氏による解説

 ちくま学芸文庫版の「敗戦後論」は2015年の刊行である。1997年に講談社より刊行された原著の出版から20年近くたっている。
 本書には2005年刊のちくま文庫版「敗戦後論」に付された内田樹氏による「卑しい街の騎士」という解説と、2015年刊行のちくま学芸文庫版のためにかかれた「1995年という時代と「敗戦後論」」という伊東祐史の解説の二つの解説が付されている。1997年といえば今から22年前だから、わたくしが50歳くらい、
 この「敗戦後論」は原著の刊行当時の論壇ではほとんど袋叩きという感じで、その悪評を見ていて、それほどの言われ方をするというのはどんな本なのかなと思って手にとってみたと記憶している。「敗戦後論」「戦後後論」「語り口の問題」の三つの論文をおさめた本であるが、わたくしには「戦後後論」での太宰治サリンジャー、「語り口の問題」でのアーレントを論じた部分が面白く(要するに、政治の議論より、文学の方面の話)、加藤氏は文学の読み巧者なのだなとまず思った。それで、「イスラエルアイヒマン」などを買ってきたことも思い出す。
 なぜ袋叩きになったのかといえば、加藤氏は今次大戦で死んだ我が国の兵士や市民たちをまず悼むこと、それなしにはアジアの死者を悼むこともまたできない、ということを言ったからである。「日本の三百万の死者を悼むことを先に置いてその哀悼をつうじてアジアの二千万の死者のへの謝罪に至る道は可能か・・・」
 これはすぐに靖国問題などの困難な問題につながることが避けられない。わたくしに長男が生まれた時、その名前の候補の一つに靖というのを選んで父に相談したら、靖は靖国の靖だから絶対に駄目だと血相を変えて反対されたことを思い出す。南の島に送られて九死に一生を得て帰還した父は、その戦争を美化すると思われる靖国神社といったものを絶対に許すことができなかったのだと思う。
 ドイツには戦没者ならびにナチ党の暴力支配の犠牲者を追悼する記念日である「国民哀悼の日」というのがあるらしい。第二次世界大戦の日本人戦没者に対しては「全国戦没者追悼式」があるが、これは日本人だけ(兵士と市民)が対象である。しかし、加藤氏が主張しているのは、そのような式典ではない。日本の兵士(あるいは世界のすべての兵士)は汚れているのであり、その汚れのままに追悼をするといったきわめて屈折した話なのである。つまり、汚れているから追悼してはならないではなく、汚れていることを認めたうえで悼もうではないかという提言である。
 これは当然、左右両派から叩かれる。
 右の靖国派からいえば、そもそも靖国神社は軍人だけを祀るものであるが、日本の軍事行動に殉じた軍人はすべて英霊となるのだから、それを汚れているなどということは言語道断である。他方の左派からみれば、日本の軍事行動は侵略戦争なのであるから、その戦争に従軍して死んだ兵士を悼むことは侵略戦争を肯定することに繋がる断じて許すことのできない行為であり、まず悼まれるべきは侵略戦争の犠牲になったアジアの人々であるということになる。侵略された側は侵略した人間を非難する権利があり、われわれがその人たちを悼むことをまだ十分にはしていないにもかかわらず、それを措いて侵略戦争に加担した兵士を悼むことなどありえないことになる。これは昨今の韓国との関係にもかかわる話であるはずである。つまり、加藤氏の提言は古びていない。
 ということで加藤氏は、気の毒に、四面楚歌の状態になった。
 それで内田樹氏の解説である。そこで氏はいう。「「敗戦国民」という私たちの立場は、加藤の卓抜な比喩を借りれば、火事場で自分の上に身を覆い被さって焼け死んだ人の灰に守られて生き延びた人が、生きて最初に命ぜられた仕事が「自分を守って死んだその人を否定することである」という理不尽なあり方をしている。」 内田氏はいう。ここには万人が納得できるような「正解」はない。
 内田氏は加藤氏の批判者である高橋哲哉氏の主張を「正しすぎる」という。高橋氏の論理を受け入れれば、世界のすべての共同体における慰霊の儀式が廃絶されなければならないからである。高橋氏は「いかなる汚れもまぬがれた無垢の政治的立場」というものがありうると想定しているのだが、そのようなものは存在しないのだ、と内田氏はいう。高橋氏の立場は、すべての存在を悪であると糾弾し、すべてのものは滅びるべきであるという論理に通じてしまう。内田氏は、加藤氏は「正しさは正しいか?」ということを問うているのだという。だから加藤氏は以下のようにいうのだ、と。「悪から善をつくるべきであり、それ以外に方法はない。」
 ちくま学芸文庫版への解説を書いている伊東祐史氏は、加藤氏は「敗戦後論」の後、変わったという。その通りだろうと思う。2015年の「戦後入門」には「敗戦後論」の柔らかさは微塵もみられなくなってしまっている。そしてこの解説を書いている内田樹さんもまた、「ためらいの倫理学」のころの著作の中核にあった「ためらい」が最近の書作においてはどこかに消えてしまっているように思える。
自分の言説が現実の政治において何らかの実効性を発揮できる、あるいは発揮したいと思う、その誘惑に負けると、その言説は固くなり、柔軟性が失われていく。
 林達夫氏はいう。「政治くらい、人の善意を翻弄し、実践的勇気を悪用するものはない」(「新しき幕明」)、「私は政治について人から宣伝されることも人に宣伝することも好まない。どぎつい政治的宣伝は、たといその中に幾分の正しさを含んでいる際にも私にとってはやりきれない心理的攻撃であって・・」(「共産主義的人間」)
 福田恆存氏のチェーホフ論では、こんなことがいわれる。「かれ(チェーホフ)が唯物史観といふ武器を採りあげようとしなかつたのは、ほかでもない、それが武器であるといふ、ただその一事のためではなかつたか。チェーホフはひとを裁きたくなかつたのだ。・・・かれにはぜつたいに他人を裁けないのだ。・・・ロマンティックなもの、メタフィジカルなもの、センティメンタルなものを、なぜチェーホフは憎んだか。理由はかんたんだ。これら三つのものに共通する根本的な性格――それは他人の存在を忘れることであり、他人の注意を自分にひきつけることであり、他人の生活を自己の基準によって秩序づけることである。チェーホフはそのことにほとんど生理的な嫌悪感をいだいてゐた。」(福田恆存チェーホフ」)
 さらにポパーの啓蒙論では、以下のようなことがいわれる。「「啓蒙とは何か」とヴォルテールは問い、そして次のように答えています。「寛容は、われわれとは誤りを犯す人間であり、誤りを犯すことは人間的であるし、われわれのすべては終始誤りを犯している」という洞察から必然的に導かれてくる。としたら、われわれは相互に誤りを許しあおうではないか。これが自然法の基礎である。」(カール・ポパー「啓蒙と知的責任」(「よりよき世界を求めて」所収))
 さらにフォースターはいう。 「残念ながら、この地上ではたしかに力が究極の現実である。しかし、それがいつでも正面に出てくるわけではなのだ。それが存在しない状態を「デカダンス」と呼ぶ人もいるが、わたくしはそれを「文明」と呼んで、こういう休止期間があることこそ、人間がしようとすることを許せる最大の根拠だと考える。」(フォースター「私の信条」)
 林達夫氏はまたいう。「日本のアメリカ化は必至なものに思われた。新しき日本とはアメリカ化される日本のことであろう・・・。私は良かれ悪しかれ昔気質の明治の子である。西洋に追いつき、追い越すということが、志ある我々「洋学派」の気概であった。「洋服乞食」に成り下がることは、私の矜持が許さない。」(林達夫「新しき幕開き」) ここでいう西洋とはヨーロッパである。アメリカは含まれていない。
 そして、吉田健一氏は、「文明は人智が或る段階以上に達して始めて現れるものと考えられて、この文明の状態は我々が人を人と思うということに尽きる」という。(吉田健一「ヨオロツパの世紀末」)

 この何年かの世界の動きをみていると、われわれが漠然と信じてきたように思える「世界は文明の方向に向かっている」というヨーロッパ18世紀の啓蒙派に由来する信念に大きな翳がさしてきているように感じる。
要するにわれわれが奉じてきた価値観というのは18世紀のヨーロッパ啓蒙に由来する何かであった。だが、アメリカという野蛮な国だっていずれは文明化するだろうという淡い期待ははずれて、アメリカは野蛮のままいっこうに文明化する気配もみせずに、よいよ非寛容の国となって世界を支配しようとし、ロシアという辺境はロシア正教ではなく帝政ロシアのツァーの伝統を蘇らせようとし、中国は日本人が中国文明の精華と思ってきた李白杜甫の中国ではなく(「風急に天高くして猿嘯哀し 渚清く沙白くして鳥飛廻る・・」「花間一壷の酒 独り酌みて 相親しむもの無し 盃を挙げて明月を迎え、影に対して三人と成る・・」)、科挙制度を基礎とする官僚国家として蘇ろうとしている。
そして本家本元のヨーロッパもまた何だか野蛮に戻ろうとしている気配である。
 加藤氏の「敗戦後論」からのその後の後退もまた、そういう流れの中で理解できるのかもしれない。そして内田氏もまた現実政治での何かを目指して「ためらい」を捨てようとしている。
 フォースターがいう「この地上ではたしかに力が究極の現実である」というのが、昨今では剥き出しに表にでてこようとしている。「われわれは相互に誤りを許しあおうではないか」などというのは薬にもしたくない時代になってきている。
 わたくしがなぜ西欧啓蒙派の信者となったのか? それは自分が単に臆病だったからという気もする。大学時代、威勢のいいひとがたくさんいて、教師をつるしあげて「手前!」よばわりをすることが平然とおこなわれていた。こちらは別に育ちがよかったわけではないが、そういう風潮にはどうしてもなじめなかった。
 とにかく武に通じるようなものすべてがきらいで、そういうものからただもう逃げていた。吉田健一氏が若いころ怖かったのが「兵隊さんとお巡りさん」といっているのを読んで我が意を得た。とにかく、体育会系といわれるようなものがすべて駄目で、わたくしが好きなのは唐様で書く三代目である。
 現在から振り返ってみると、昭和22年生まれとして、わたくしもまた「洋学派」として生きてきたのだと思う。洋学派とはヨーロッパ派の謂いである。帝政ロシアだってヨーロッパに憧れていたし、米国もまたイギリスへのコンプレックスを隠せないできた。しかし、時代は変わった。
フォースターのいう「力」というのは武ばったもの、単的には軍隊のことであろう。戦後の日本が憲法の規定によって軍の問題を正面から見ることを回避できてきたことは、わたくしにとっても幸いであったのであろうと思う。
 啓蒙とは自分が正しいとは信じない立場である。しかし、その力は、現在、世界のあらゆる地域で間違いなく後退している。
 とはいっても、まだ10~20年くらいはその立場のものがゼロになってしまうということはないであろう。もともと啓蒙派が多数であったことなど世界の歴史で一度もなかったのだから、少々の後退で過度に悲観的になることもないのかもしれない。
わたくしの一生というのは20歳ごろ経験した全共闘運動というのはいったい何だったのだろうか、ということを考えている何となく過ぎてきてしまったように感じられる。
 結局、あれはマウンティングの競争だったといったらあんまりであるけれど、あの運動ほど、非政治的なものはなかったという気がする。民青系の運動がとにかく嫌われたのは、それが政治の運動であったからである。自分にしか関心がない政治運動というのも奇妙奇天烈なものだけれど、自分が正しいこと、正しいが故に他の上に立っていると信じることができること、関心はただその一点にあったような気がする。
 つまりこれはヨーロッパ啓蒙とは正反対のものであって、ヨーロッパ啓蒙が敵としたのはキリスト教なのであるから、敵の敵は味方という論理にしたがえば、これは宗教運動という側面を濃厚に持つ運動だったことになる。一人一派の宗教運動などというのはほとんど自己矛盾であるが、自分が教祖で信者は自分一人という宗教があるとすれば、これがまさにそうなのかもしれない。
 ヨーロッパにおける反=啓蒙の動きの代表的なものとしてロマン主義がある。全共闘運動もロマン主義の系譜に属する。などといっているときりがなくなるが、わたくしにとってクラシック音楽とは、自分の中にもあるロマン主義的な何かを自己消費ししまって、そとには持ち出さないようにするための手段という側面が大きいような気がする。その手本は小林秀雄の「モオツァルト」であったかもしれない。
 マウンティングという独自の観点から鹿島茂氏が、最近、ユニークな文学史の点検をおこなっている(「ドーダの近代史」など)。確か、鹿島氏は若いころ全共闘運動にかかわったひとではなかったかと思う。若き日の小林秀雄は典型的なドーダの人である。小林秀雄ランボー路線というのは全共闘運動の一部に結構大きな影響をあたえたのではないかと思う。
 庄司薫氏の「赤頭巾ちゃん 気をつけて」はユニークな視点からの全共闘運動批判であったと思うが、その庄司氏が若い日に福田章ニ名義で書いた「喪失」は、若者同士のマウンティング競争を描いたものであった。
 ここでとりあげた何人かの文章、林達夫福田恆存ポパー、フォースター、吉田健一といった人たちが言っていることは、すべて広い意味でのマウンティングの否定、あるいは他者の肯定である。
 という方向に話をひろげると収拾がつかなくなるが、加藤氏がたどった軌跡をみると、なんでこのひとは政治の話題に首を突っ込んだのだろうと思う。文学の世界にとどまっていればよかったのに。林達夫氏がいうように、「政治くらい、人の善意を翻弄し、実践的勇気を悪用するものはない」のだから。
 政治と文学という話題はつねに文学者の側からのみ語られ、政治家の側からは一顧だにされることはなかった。

敗戦後論 (ちくま学芸文庫)

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西欧作家論 (1966年)

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よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)

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フォースター評論集 (岩波文庫)

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ヨオロッパの世紀末 (岩波文庫)

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モオツァルト・無常という事

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ドーダの近代史

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赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

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喪失 (1970年)

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