啓蒙主義

 若い時は啓蒙主義とか啓蒙思想とかに非常な反感を持っていた。要するに、学ぶことによって世界の真理を会得したものが、まだ無知蒙昧で世界の仕組みを理解していないものに教えをたれて良き方向に導いていく、というような何とも傲慢で思いあがった考え方のことだと思っていた。今では死語であるが、わたくしが若いころには進歩的文化人という言葉もあって、啓蒙思想はそれと同義だと思っていた。
 その見方を根底から覆したのが、「より良き世界をもとめて」と題する本に収載されたポパーの「寛容と知的責任」という1981年の講演記録を読んだことによってであった。この日本語訳の刊行は1995年であるから、おそらくわたくしが読んだのは40歳後半である。
 この講演当時の世界の混乱(ベトナムカンボジアイラン革命アフガニスタン・・・)に対してわれわれは何をできるかという疑問を提出して(ポパーはここでのわれわれとは「知識人、つまり、理念に関心をもつ人間、とりわけ、読書しそしておそらく著述するであろう人間のこと」であるとしている)、ポパーはできると断言する。なぜなら「われわれ知識人は何千年来となく身の毛をよだつような害悪をなしてきたから」。
 そして啓蒙主義の父ヴォルテールの言葉を引用する。「寛容は、われわれとは過ちを犯す人間であり、誤りを犯すことは人間的であるし、われわれすべては終始誤りを犯しているという洞察から必然的に導かれてくる。としたら、われわれは相互に誤りを許しあおうではないか。これが自然法の基礎である。」 ポパーはこれを自由訳であると断っているので、どこまでヴォルテールの言葉に忠実であるのかがわからないのだが、とにかくこの言葉を読んだときには仰天した。それまでのわたくしの啓蒙主義理解とはまったく正反対であったからである。この論に従えば、進歩的文化人も《何千年来となく身の毛をよだつような害悪をなしてきた》知識人の正統の後継者であることになる。なぜなら彼らは自分が考えていることが正しいことを微塵も疑っておらず、自分が過ちを犯す可能性があるなどとはまったく想定しないからである。間違っているのはつねに他人であり、自分はそれを批判する正当な権利をもつと彼らは確信している。
 しかし、知識人は何か正しいことがわかったと考えることで、世界に多大な惨禍をもたらしてきたとすれば、知識人が自分もまた無知であって、何も知らない人間の一人であることを自覚すれば、その惨禍の多くを無くすことができる、という、ポパー経由のヴォルテールの言葉の線で「啓蒙」を理解するとするならば、わたくしはずいぶんと以前からその方向には親しんできたこともわかった。
 たとえば福田恆存の「平和論に対する疑問」。洞爺丸転覆事故の翌日の新聞紙面に掲載された文化人の「堂々たる卓見」へのからかい(発表は昭和29年、わたくしが読んだのは昭和42~43年?) しかし、福田氏のことを啓蒙主義者などというひとは一人もいなかった。氏は保守反動といわれていた。
 この「平和論に対する疑問」について吉田健一は「原稿料稼ぎに少し枚数を多くした感想文に過ぎないのに、それが所謂、知識階級の手に掛かると「福田提案」などとものものしくなるのだから、実際、こういう連中は早く消えてなくなればいい、とこっちも思うのである」と書いている。(「三文紳士」)ある時期までわたくしは所謂「進歩的文化人」≒「啓蒙思想の流れの人」と思っていたわけである。
 ポパーによれば、われわれが考え得ることはすべて仮説にすぎない。その説自体をいくら眺めていてもその説の正否はわからない。しかし仮説はもしもわたくしの考えることが正しいとするならば、未来はこうなるであろうという予見をも同時に提示するのだから、仮説の正否を決めるのは、未来に何がおきるかである。
 おそらくポパーの頭にあるのが、ニュートン力学からアインシュタインの相対性原理への転換である。アインシュタインが相対原理を提出するまで、リュートン力学は《真理》であると思われていた。「ニュートンは真理を発見した。その真理によって世界は説明できたし未来も予見できた!」 「個人は真理を発見しうる。その真理によって世界は予見できるし、設計することができる!」 この思考法のもっとも悪しき応用がマルクスによる科学的社会主義の主張、歴史の発展法則発見の主張で、進歩的文化人、知識階級などといわれたひとたちはみなその後裔であったわけだから、東側の崩壊によって、その人たちはすごすごと言論の世界から退場していったかといえば、決してそういうことにはならなかった。《マルクスの考えは残念ながら真理ではなかった、しかし世の中がむかうべき正しい方向があるということ自体は間違っていないのだから、それを見出して人々に指し示していくのが知識を持つ人間の相変わらずの義務であって、われわれはその要請にこれからも応えていかなければならない》という信念は揺らぐことはなかった。
 その典型が私見によれば朝日新聞である。その紙面からは、われわれは現在こういう主張をしているが、それが正しいかどうかはわからない。だから将来おきることによって現在の主張があやまっていることが明らかになった場合には、それを直ちに取り消すことは当然のことである、という姿勢などは微塵も感じられない。
 その朝日新聞にとっては、絶対悪、これだけは100%間違っているという仮想敵があることは大変重宝なわけで、それが安倍政権的なもの、《美しい国を回復するために憲法を改正する》といった方向であったのだと思う。安倍氏は毛並みのいいボンボンとしてドブ板選挙で苦労するなどということは一切なく政治家になれて、純粋培養のなかで本気でその理念を信じていたのであろうが、政権が長期になり、世界各国と外交で伍していく経験をつむなかで、「美しい国」などというのは全然明後日の方向であって世界からは相手にもされないことを痛切に感じるようになった。それで現実にはその方向は棚上げして、アベノミクスといった形而下の方向に舵をきったのであろう。そもそも、一億総活躍社会などというのが、「美しい日本」とは真逆の方向である。だから一部自分を信奉する支持者を繋ぎとめておくために、憲法改正などの看板は下ろさないものの、それは神棚に安置されたままになる。
 しかし朝日新聞にとってはたとえ神棚に安置されただけのものであっても、憲法改正の看板がひっこめられずにそこにあるということはとても重要なことであった。仮想敵は目に見えるところになければならない。そうであるとすれば、今回の安倍首相退陣は、朝日新聞の終わりの始まりを告げるものなのではないかという気がする。
 次の首相は菅氏がなるらしいが、菅氏はまさに安倍氏と正反対、ドブ板たたき上げの苦労人で政治とは利害調整のことである信念のもとに生きてきたひとであろうと思うので、理念などという腹の足しにならないならないことにはまったく関心がないだろうと思う。
 わたくしが記憶している限り、政権誕生時に、朝日新聞が持ち上げた唯一の宰相は、民主党政権誕生時を除けば、田中角栄宰相であったと思う。小学校しか出ていない人は今までとは違う何かをなしとげてくれるだろうといった論調だった。田中氏もまた、日本列島改造には熱心であっても、「美しい国」などという方向にはいささかの関心ももたなかった。
 菅氏は安倍政権の継承などといっているので、仮想敵であることは続くのであろうが、およそ理念などいう関心を持たないであろう菅氏にどう反応していったらいいのか、とまどっているのではないかと思う。
 世界はポパーのいう啓蒙主義とは真逆の方向に動こうとしている。「寛容は、われわれとは過ちを犯す人間であり、誤りを犯すことは人間的であるし、われわれすべては終始誤りを犯しているという洞察から必然的に導かれてくる。としたら、われわれは相互に誤りを許しあおうではないか。これが自然法の基礎である。」などというのはトランプ大統領にとっては寝言以下の戯言であろう。プーチン大統領習近平主席とっても同様であるはずである。
 啓蒙思想というのは西欧の軟弱な文人が抱いた一場の夢であったのかもしれない。加藤典洋氏の「ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めてゆくんだ」(2002年)に「悪魔の詩」を書いたことによってホメイニ師から死刑の布告をだされているサルマン・ラシュディの文章が紹介されている。「安易な日常生活、ぬるま湯につかった平和こそが大切なのであり」「公の場でのキス、ベーコンサンド、意見の対立、最新流行のファッション、文学作品、寛大さ、飲み水、世界の資源の公平な分配、映画、音楽、思想の自由、美、愛」といったささいでありふれた自由こそが大事、「安逸な日常生活、ぬるま湯につかった平和」といったものこそが何よりも大切であるとその文章はいっている。
ミラン・クンデラエルサレム賞受賞講演で、「個人が尊重される世界」というヨーロッパに抱く私たちの夢はもろくはかないものであることをわたくしたちは知っているが、個人の尊厳。個人の独自な思想と侵すことのできない私的生活の権利の尊重というヨーロッパ精神の貴重な本質は小説の歴史のなかに預けられている、といっている。
 村上春樹の同じエルサレム賞受賞講演での《高く堅牢な壁と、そこにぶつかれば壊れてしまう卵》の話も同工異作というか、クンデラ講演の延長のようなものであると思うが、ヨーロッパで発明された《一見しがない一個人も、実は神話の英雄と何ら変わることのない内実をもつ存在》というおそらく世界の歴史のなかで唯一ヨーロッパでのみ発明された奇矯な見方を踏襲したものである。
 それがもっと極端になれば「結婚して子供を生み、そして、子供に背かれ、老いてくたばって死ぬ、そういう生活者をもしも想定できるならば、そういう生活の仕方をして生涯を終える者が、いちばん価値がある存在なんだ」という吉本隆明の激越な言葉にもつながってくる。
 今まで、個人の「安逸な日常生活、ぬるま湯につかった平和」に対立するものは、国家というような大きな物語、「美しい国」というような神話であった。しかし「(平和とは)自分の村から隣の村に行く道の脇に大木が生えていて、それを通りすがりに眺めるのを邪魔するものがいないことである、或いは、去年に比べて今年の柿の方が出来がいいのが話題になることである(吉田健一)」のだとして、道端の大木を眺めていると、今そんなのんびりしたことをしている場合かと文句をいってくるひとがでてきたり、去年に比べて今年の柿の方が出来がいいことを話題にしようとしても、去年と今年はまったく違ってしまったのだから、柿の出来などはどうでもいいではないかということになってしまったり、日々の当たり前の生活がこれからも継続していくであろうという確信が昨今のわれわれには持てなくなってきている可能性がある、それが一番の問題なのではないかと思う。
 「公の場でキスすること」など今ではなかなか難しいであろう。「映画、音楽」の鑑賞もままならない。すべての行動がビッグ・ブラザーの監視下にあるような息苦しさが昨今の状況にはある。
 われわれにできるささやかな抵抗は、極力、今まで通りの生活を続けていくことなのではないだろうか? 「個人が尊重される世界」というヨーロッパに抱く私たちの夢はもろくはかないものであることをわたくしたちは知っている」し、実際、個人というのは壁にぶつかれば簡単に壊れる脆い卵であるのだが、しかし、それでもヨーロッパ以外の文明はついに個人という虚構を発明できなかった。
 「個人の尊厳。個人の独自な思想と侵すことのできない私的生活の権利の尊重というヨーロッパ精神の貴重な本質は小説の歴史のなかに預けられている」とクンデラはいう。小説というのは小人を描くものであるが、小説の中では風車と対峙する郷士ドン・キホーテも騎士ものがたりの英雄であり、冴えないダブリンの中年男もまたホメロス叙事詩の英雄なのである。そしてそんな英雄物語などは必要ない。ただ生きて死ぬということそれ自体が大事業なのだというのが、「結婚して子供を生み、そして、子供に背かれ、老いてくたばって死ぬ、そういう生活者」を礼賛する吉本隆明のいわんとするところなのであろう。
 最近、明らかに小説は低調である。ヨーロッパが18世紀ごろに発明した個人という虚構の賞味期限がそろそろ切れかかってきているのかもしれない。それに加えて、最近の新型コロナウイルス感染の流行によって、今までとは異なった顔をした「公」のようなものを形成されてきているようにも思える。そして個々の人間は「われわれとは過ちを犯す人間であり、誤りを犯すことは人間的であるし、われわれすべては終始誤りを犯しているという洞察」などはどこかにすっかり忘れてしまって、お互いに批判しあい罵りあうことに汲々としているようにみえる。「われわれは相互に誤りを許しあおうではないか」というような気持ちはどこかにいってしまった。
 To err is human, to forgive divine(過つは人の常、許すは神の業)というのは確かポープの言葉だったと思うが、今は小さな神様同士が互いに争っている。
 最近のいろいろな知見をみるならば、専門家と称する人間のいうことがいかにあてにならないものなのかは一目瞭然である、専門家も素人も五十歩百歩であることが白日のもとにさらされることになった。しかし、実際には誰かは真理を知っているはずである。それが誰なのか、という不毛の方向へとみなが走りだしているように思える。
 われわれは今、啓蒙の数世紀の賞味期限の最後の時間に立ち会っているのかもしれない。しかし、それでも、もしも啓蒙の時代がこれからももう少し続いていくことを望むのであるならば、それが可能となるか否かは、われわれが今まで通りに「「安逸な日常生活、ぬるま湯につかった平和」を続けていけるかどうかにかかっているのだろうと思う。
 そして、もしもそれに行き詰まったら、「本当に困ったんだったら、泥棒して食っていったっていいんだぜ」(吉本隆明)である。
 吉田健一も生活に窮した挙句、近所に住んでいる人の所に金と米が欲しいと言いにいった話を書いている。(「貧乏物語」(「三文紳士」所収)) 
 「何の理由もありはしないので、ただのゆすりとどこが違うのか決めるのは難しい問題」なのであるが、「併しその人は一晩中、酒を飲ませてくれた上に、こっちが言っただけの金と米を出して家まで送って来てくれた」ということになっている。「こういう行為に対して何をなすべきか、これも問題である」と吉田氏は言う。確かにそうである。
 吉田氏は嘘を書く名人であるから、この話もおそらく創作であろうが(「貧乏物語」の後半の横須賀線終電車転覆計画などは「嘘つき健一」の面目躍如であって、健一さんは007ものなども愛読していたのだろうと思う。
人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」というのと啓蒙主義がどのように関係するのかはよくわからないが、何となく無関係ではないような気がする。しかし太宰治はその強さを持てなかった。
 「われわれとは過ちを犯す人間であり、誤りを犯すことは人間的であるし、われわれすべては終始誤りを犯しているという洞察」はその裏に、例えわれわれは誤ることがあったとしても、臆することなく生きていてもいいのだという一種の《生の肯定》の方向性をももっているということなのだろうと思う。