加藤典洋さん

 加藤典洋さんが亡くなったらしい。先日の橋本治さんのときもそうだったが、新聞をとっていないので、訃報記事などを目にすることもなく、書店で偶然、本のカバーに「追悼〇〇さん」などという帯が巻かれているの見て、それを知ることになることが続いている。
 加藤さんも橋本さんも1948年生まれであるから、わたくしより一歳下ではあるが、同世代ということになる。ということは全共闘世代である。橋本さんは独自の感性で全共闘運動の一番根っこにあったであろう《知識人的なもの、インテリめいたもの》(それは、それ以前にあったいわゆる進歩的文化人といったもののありかたへの反発という側面をもったものであったが、それにもかかわらず、民衆を指導する前衛という図式からついに自由になれなかった)に身体感覚的に反発をしたわけだが、加藤さんの場合、全共闘運動にかかわったことが、アカデミーの道に進むことを許さず、後年、大学の教壇に立つことがあったとしても、基本的に在野のひととして生きることを選ばせたのではないかと思う。
 この度、その訃報に接して、本棚をあらためて見てみたところ、氏の著作が30冊近くあることがわかっていささか驚いた。
 氏の本にはじめて接したのが何だったか判然としないが、あるいは評判になった(というよりも批判的な評が多かった)「敗戦後論」だったかもしれない。手許にあるのは1997年8月の初版であるが、98年7月購入というメモがある。20年以上前ということになる。「敗戦後論」「戦後後論」「語り口の問題」の3つの論を収めているが、「敗戦後論」は「群像」95年1月が初出である。これはきわめて政治的な論文で、1991年の湾岸戦争での文学者の反戦声明などをとりあげ、戦後憲法戦争放棄条項が配線直後に原爆の威力、軍事的威圧のもとに押し付けられたという背景を一切抜きにして平和憲法を自明のものとして論じるいきかたなどを強く批判している。現行憲法が連合国総司令部によって作成され押し付けられたものであるという明々白々たる事実をなかったことにして、当時の日本は占領下であり、占領軍の意向に逆らうことなど到底できない状況であったこともなかったことにして、自分達の手で勝ちとった成果であるが如き顔を平気でしている欺瞞をついている。これは日本の"左派"のアキレス腱であり、日本の右側から、だからこそ「自主憲法」制定といった方向からの攻撃をうけてきた。しかし、加藤氏は左のひと、戦後憲法の肯定者なのである。にもかかわらず、氏がこの「敗戦後論」で主張したことは右側からも左側からも袋叩きという気の毒なことになった。それに対する反論(というのともちょっと違うかもしれないが)として書かれたのが「敗戦後論」に収められている「戦後後論」と「語り口の問題」で、実はわたくしにはこのほうがずっと面白く、それで加藤氏の書くもの、あるいはそこで紹介された著書をもっと読んでみたいと思ったように記憶している。この後の方の論文で論じられているのは、例えば、太宰治の「トカトントン」であり、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」であり、アーレントの「イスラエルアイヒマン」なのである。加藤さんというひとは文学が読めるひと、その点で信用できるひとなのだと思った。それでアーレントの著作なども何冊か読むことになったと記憶している。
 そういう点で面白かったのが「テクストから遠く離れて」とか「小説の未来」といった方向の本で、もっとこういったものをたくさん残してもらいたかったと思う。
 「僕が批評家になったわけ」という本で、氏が批評を書きだした当時、文壇を席巻していた蓮實重彦氏や柄谷行人氏らを筆頭とするポストモダン批評、フーコーデリダらのポストモダン思想から文化人類学記号論の分野からの引用に満ち満ちた批評に対し、そういう中途半端な学問のようなものではない、自分はどう思うかということを根拠とする批評、それを自分は目指したということが書いてある。そうでないと、「一部の人の玩弄物」になってしまうという、と。しかし、わたくしには「敗戦後論」は引用に満ち満ちたものに思えてしまうし、橋爪大三郎氏との対談(審判:竹田青嗣氏)の「天皇の戦争責任」などで展開される論はスコラ哲学顔負け煩瑣で些末な議論でしかないように思う。
 昔から「政治と文学」といったことがいわれるが、そういうことを口にするのはもっぱら文学の畑の人々だけで、政治の畑のひとがそういう議論を一顧だにしたことはない。
 加藤氏は「敗戦後論」が十全に論壇に届かなったという思いからなのだろうかか、2015年に「戦後入門」という本を書いている。自分なりの憲法改正案をふくむ大部の本であるが、こういうものが現実政治に場に微かにでも影響を与えるとは思えない。海に美酒を捧げても一瞬たりとも海が赤らむとも思えないのである。
 氏の生き方は全共闘世代の一つの典型であったのかもしれないが、憲法とかではなく、もっと文学の方面で多くの仕事をしてほしかったと思う。

敗戦後論 (ちくま学芸文庫)

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テクストから遠く離れて

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小説の未来

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僕が批評家になったわけ (ことばのために)

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天皇の戦争責任

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戦後入門 (ちくま新書)

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