今日入手した本 加藤典洋「戦後入門」
- 作者: 加藤典洋
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2015/10/06
- メディア: 新書
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本書の宣伝は新聞で見ていたのだが、書店で実物を見て新書であったのでびっくりした。本書で加藤氏自身が書いているように、これは氏の「アメリカの影」や「敗戦後論」の後を受けるものであることを企図されているものと思われるが、前二著が単行本であるのに対して本書は新書である。もちろん新書もまた単行本であろうが、本書は600ページを超える大著である。最初から新書であることを前提に書き出したのかもしれないが、最初の1200枚を三分の二にするのに苦労したと書いている。そのままだと900ページになっていたのかもしれない。新書の域を超えている。なぜこれが新書でない独立した本として出版されなかったのかがわからない。何か現在の出版業界の抱える問題を反映しているのかもしれない。本が売れずに困っていて、それでも新書ならなんとか、ということなのかもしれない。
まだ100ページくらいしか読んでいないが、疑問に感じるのが、たとえば53ページの「2009年、日本の政府は、沖縄の住民、広範な日本国民の願望と意思を体して、米国に危険きわまりない米軍普天間基地の国外移転を要求しました。これは国際的な基準に照らして正当な要求でした」ということろの「国際的な基準」というのが何なのかということである。あるいは49ページにある「民主原則に立つインターナショナリズム」という言葉の民主原則とは何を指すのかということである。
「「ドイツ帝国」が世界を破滅させる」でE・トッドは現在世界はアメリカ・ロシア・ドイツが主導していて、それ以外の国はそれらに従属する形でしか存在しえていないということをいっていた。あるいは西欧的なデモクラシーというのも地球規模でみれば少数派なのであるということもいっていた。民主原則というものが普遍的な遵守すべき規範として世界に受理されていて、それは国際的な基準となっているので、どのような国もその国際原則には従わざるをえないということなのだろうか? それらの原則というのは知識人(本を読む人びと)の間では多数意見とはなっているかもしれないが、本を読むひとというのは少数派であって、政治を動かす力とはならないのではないかという疑問である。
「敗戦後論」も読書するひとのあいだには小さな波紋を投じたとは思うけれども、日本の政治の動向に影響することは一切なかったと思うのだが・・。