[今日入手した本」 北田暁大 栗原裕一郎 後藤和智「現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史」

 

 本屋さんでこの本をパラパラとみていて買ってみる気になったのは、かなりのページが内田樹さんがなんであんな風になってしまったのかということを議論しているようであったからである。
 本当に最近の内田さんはよくわからなくて、あれほど面白い言説を吐いていたひとが、今では何だか単なる一人の(われわれの世代の言い方を使えば)進歩的文化人である。わたくしなりに思ったのが、無名時代に蓄積した勉学の蓄えがそろそろ枯渇してしまったのだろうかということと、いつからか現実政治にかかわるようになって、それがどうも大阪あたりの政治らしく、反=橋下徹陣営に参加してからというもの現実政治の言語で語らざるをえなくなり、「ためらいの倫理学」(これは2001年刊)に見られたような、絶対に正義の言葉では語らないという禁欲の姿勢はどこかに飛んでしまい、いつのまにかただの凡庸な「正義の人」になってしまったのではないかというようなことである。
 ある時期の内田さんの本は、そうかこういう見方もあるのかといった言説に充ちていて刺戟的であったのだが、最近の書くものはタイトルをみても手にとる気がしないようなものばかりでる。
 本書の読んでも内田さんが変わったということは指摘されていても、その変貌の理由については明確なことはいわれていないようである。
 その他、リフレ派の問題も論じられている。「人文系、文化系でリフレ派はほとんどいない」ということがいわれている。わたくしは経済学音痴なので、リフレ派の正しいのかどうかということは判断できないのだが、一時期、すこし勉強してみた印象ではリフレ派の言っていることは正しいように思えた。物価上昇目標の設定というようなことでそれが実現できるか否かはよくわからないのだが(というか、人為的な操作で、経済を変えることができるのかということ自体がわからない)、本書では、様々な問題を解決するためにはパイを大きくするしかないのに、ほとんどの人文系、文化系の学者たちは、これからはもはや成長は期待できない、パイは大きくならないということを議論の前提にしてしまっているとということがいわれている。
 パイを大きくしなくてはならないというのとパイを大きくできるというのは同じではないと思うのだが、今の人口動態をみているとわたくしにはとてもパイを大きくできるとは思えない。パイが大きくするためにはシュンペーターのいう血気が必要なのではないかと思う。高度成長期の日本人には血気があったのだと思う。全共闘運動などというのも血気が別の方向に流れ出たことでおきたのではないだろうか? トッドのいう若年人口の爆発(ユース・バルジ)のようなことがおきないとパイは大きくならないのではないかと思う。ここでリフレ派というのはなんであんなに偉そうなんだ、ということがいわれているが、確かにそういう印象はある。
 総じて、本書は朝日新聞岩波書店路線の文化人への批判に大きなページが割かれているが、論壇というもの自体が力を失ってきているのだから、そういう批判というのもコップの中の嵐という印象を免れないように思った。