N・モンサラット「非情の海」

    至誠堂 1992年
 
 この本は東京駅の丸善に特設されていた松岡正剛氏選による本棚が9月一杯で終了するというので、その前にと思って見にいって、そこで見つけた。吉田健一訳というのでなければ買わなかったであろう本である。
 第二次世界大戦アメリカからイギリスへ物資を補給する船団の護衛にあたる艦隊とそれを攻撃するドイツの潜水艦との戦いを描いた小説である。この戦いのことを「大西洋の戦い」と呼ぶらしい。
 まずこの小説でわかったのは大西洋というのがとんでもなく荒れる海らしいということである。そんなことは少しでも海のことに関心がある人間にとっては常識なのであろうが、それにまったく関心のないわたくしには初耳であった。この小説の原題は「The Cruel Sea」であり、それは大西洋のことをいっているのであろう。
 主人公はその護衛の艦隊の船長なのであるが、本当の主人公はその船長が乗っている船のほうであるようにも思える。そう考えれば主人公は二人で、前半がコルヴェト艦という潜水艦攻撃に特化してつくられたかなり小さい艦であり、それが途中で沈められるため、後半はフリゲート艦というもっと大きな戦艦となる。印象に残るのは前半のコルヴェット艦のほうで、それは小さいだけに乗り組み員の数も少なく、お互いに顔もみえ、船の扱いも個の裁量にゆだねられる部分が大きいからである。この戦争の過程で、戦いは急速に個人的なものから機械的なものへと変化していく。
 びっくりしたのは、この主人公は職業的な船乗りであるが、船の指揮をする他の幹部的な船員のほとんどが海についても軍事についてもまったくの素人であるということである。究極のOJTであり、その点では多くの船員たちが海と戦いによって鍛えられていく成長小説ともみえる部分もある。しかし、この小説の書かれ方では、経験によって変わるということはなく、経験によってそのひとのもっている本来が明瞭になってくるという感じである。フォースターが「小説の諸相」でいっている「平面的人物」ではないにしても、「立体的人物」ともいえなくて、だからその点でこの小説は一流のものではないのかもしれない。
 吉田健一は「あとがき」で、この小説は読んでいて面白かった、ということをいっている。「戦争は人生そのものではなくても、われわれがそこで遭遇する困難が異常に多くて、短時間に起きることから、それが人生の縮図であるという見方をすることも出来るのである。これに即してモンサラットはこの小説を書いていて、その証拠に、そこで書かれていることが如何に凄惨であり、悲壮であっても、われわれがそこに惹かれるのは、その凄惨や悲壮よりも、その事態に処するものが、それにも拘わらず、われわれが知っている日常的な人間でありつづけることによってである。・・この小説には、そういう実際の経験によってわれわれが人間と認めるものが何人も登場して、それで船も沈み、乗組員が助けられ、あるいは死に、爆雷が投下され、砲弾が炸裂し、潜水艦が沈む時もわれわれの眼の前で実際に沈む。これ以上のことが小説に求められるだろうか。この小説が面白いというのはそういう意味である。」
 わたくしもまた面白かった。面白かったのだが、それは主として船の上でのさまざまな出来事の部分であり、そこは男の世界なのであるが、たまに船が港に入り、陸での生活がはじまると女がでてきて、なんだか話がつまらなくなる。作者もつまらなそうに書いている感じで、このひと、女が嫌いなんだなあという気がする。後半に恋愛話がでてくるのは読者へのサーヴィスなのかもしれないが、この美人の軍人は別に女でなく美少年でもいいようにも思える。多くの海の男たちは海の上での生活がリアルなのであり、岡にあがると精彩がなくなる。吉田健一のいう日常的人間は海の上では実現するが、岡ではそうではなくなるようなのである。
 本書はまたイギリス人というものについても考えさせる。第二次世界大戦のイギリスを描いたものとしては、わたくしが思いつくのはたとえばボーエンの「日盛り」(これも吉田健一訳)なのであるが、これは戦時下ロンドンの生活を描いたものでまさに陸の話である。しかしどこかそこに共通したものを感じる。(「日盛り」の方がずっと奥がある人物がでてくるが。)
 吉田健一の「あとがき」を読んで、想起したのが「文学の楽しみ」の中の「現実」という章の末尾にある吉田満戦艦大和の最期」への感想である。沈みゆく戦艦のなかには静寂があり、そこでは時間が静かに過ぎていっているのだとしている。ここは最初に読んだときからどうしても違和感が残るところなのだが、この「非情の海」を読んで、氏のいっていることが少しわかってきたように思った。
 吉田満阿川弘之の「暗い波濤」を評した文で、「実のところ戦争行動は、日常茶飯事そのままにまことに無造作なさりげない偶然の連続であり、戦争の死には予告もない。そのような意味で、「暗い波濤」は、誇張や歪曲に妨げられずに、戦争体験者が安心して読み通すことのできる数少ない戦争記録なのである」といっている。これも同じことなのかもしれない。
 「暗い波濤」は日本の海軍を描いた小説であるが、読んだのはだいぶ昔のことでほとんど覚えていない。ただ海の恐ろしさといった印象をそこから受けなかったことは確かで、吉田健一がいっているような同じ海国といっても日本は海との親しみかたが英国と較べると圧倒的に少ないということとも、それは関連しているのであろう。日本の海軍は伝統的に輸送船団の護送といったことへの関心が乏しいといわれているが、それもそれによるのであろう。日本で海軍を描く小説で輸送船団の護送といった活動が描かれることはまずなさそうに思う。
 

非情の海〈下〉

非情の海〈下〉