その15 丸谷才一氏

 
 学会で東京を離れていて新聞も読まずにいて、丸谷氏の死を今知ったところである。
 丸谷氏は日本の文学をそれが良い方向にか悪い方向にかはまだわからないにしろ変えたひとだったのだと思う。たとえば石川淳の小説にしろ吉田健一の批評にしろ少数の熱心なファンはいたにしても、それが日本文学の主流なのであるとするひとはあまりいなかっただろうと思う。三島由紀夫大岡昇平の小説にしても、反主流ではあっても日本の明治以来の文学の流れの中のどこかに位置づけられるものとはされていただろうと思う。吉行淳之介らの第三の新人もまた然りであろう。
 しかし、丸谷氏はその明治以来の文学の流れとはまったく別のところで書いていこうとしたひとだった(吉田健一にしてもそうであろうとは思うが、健一さんの場合は日本の明治以降の文学、もっといえば日本の文学史全体にほとんど無知であったのではないかと思うので、日本の文学を知らないまま西欧の文学の洗礼をいきなり受けてしまった非常に特異なケースであろうと思う)。日本の明治以降の文学を十分に読んだうえで(あるいは日本の古典といわれるものも十分に読んだ上で)、西洋の文学こそ、文学の正統であり、日本の明治以降の文学はその観点からみるとそのほとんどが箸にも棒にもかからないもの、しかし日本の古典文学は西洋の文学の正統につながるもの、あるいはむしろ西洋の文学の正統を先取りしたものであるとして、自分は西洋の文学の正統、あるいは日本の古典文学の列に連なるものとしての自負をもって文学をはじめたひとなのだろうと思う。
 しかし日本の和歌における本歌取りなどというのは「文学に淫した」一部の教養人にしか通じないものであり、しかもその教養人たちは政治的にはしばしば敗者だった。ナボコフの小説なども「文学に淫した」一部の教養ある人士にか読めないものであるものだと思うが、そういうナボコフの小説がもう面白く仕方がないというのが丸谷氏であった。しかしナボコフの小説などは実用性という観点からみればゼロである。あるいはジョイスの小説も同様である。丸谷氏はその出発の時点では、自分は「文学に淫した」人間であるが、そういう人間は社会的にはゼロであるという強い自覚からスタートしたと思われる。自分は文学が好きで好きで仕方がない人間であるが、自分が好む文学は社会から見れば無用のものである。しかしそういう自分も社会の片隅で生きていくことは許容してもらいたいというような方向である
 明治以降日本で文学とされてきたものは〈本当の〉文学好きには楽しめないものなのだ。だから、自分は〈本当の〉文学好きが楽しめる作品を作ることを目指すと。だから氏の小説は政治から逃げる人間を主人公にすることになった(「エホバの顔を避けて」「笹まくら」)。しかし、氏はそのどこかで自分のめざす方向が日本文学の主流になったと思ったようなのである。自分は文学の正統に連なるものではあるが社会的には敗者であるという認識から、自分は文学の正統に連なるものであり、また文壇の主流にもなったという思いへとかわっていった。「たった一人の反乱」あたりがその転換点であったように思うのだが、主人公が社会的な成功者、少なくとも社会のなかでそれなりの役割を果たしている者であるようになり、それとともにどこか氏の小説には「いい気」なところが見えるようになっていったとように感じる。何だか「偉そう」な感じがただようようになってきた。ということで、わたくしは丸谷氏の作品としては「笹まくら」「梨のつぶて」「後鳥羽院」というような初期の作品のほうを好む。
 「あるときサントブーヴが、テーヌは文学における崇高なものを理解しない、と述べた。するとその場に居あわせたゴーチェが、テーヌは文学の秘密が光り輝く言葉にあるということを知らないからな、と言い添えた。・・彼らは異口同音に、テーヌには文学が判らぬと断言しているのである。」 これは「梨のつぶて」に収められた「津田左右吉に逆らって」の一節。ここで津田左右吉が代表するものは19世紀ヨーロッパであり、この論文は吉田健一の「ヨオロツパの世紀末」を先取りしている。「十九世紀は、生真面目で俗悪で道徳的なブルジョアの支配する世紀であった。歴史学者ホイジンガの巧みな言いまわしを借りれば、「十九世紀は労働服を着こんだ」のである。」
 20世紀の文学は労働服を脱いで宮廷文化の装いをふたたび身につけたのかもしれないが、20世紀という時代は相変わらず労働服を着たままだったのかもしれないし、21世紀になったもそれは変わっていないかもしれない。文学の無力ということについては一向に事態は変わっていないにもかかわらず、最近の丸谷氏の発言には自分は何ほどかでも社会をよいほうへと導いていると思っているかのようなお気楽な気分が感じられて、やはり人間は安心してしまうといけないのだろうかというようなことを感じていた。それに較べると、吉田健一は晩年まで少しも安心することができなかったひとだと思う。それが氏の作品を最期まで緊張したものとさせていたのだと思う。