三浦雅士「石坂洋次郎の逆襲」(1)

 最近、書店で偶然みつけた本だが(本年1月28日に刊行)、とても面白かったので、しばらく、これについて、いくつか書いてみたいと思う。石坂洋二郎の小説群を「母系制」という視点から見直そうとしている本である。
 しかし、困ったことが多くある。第一にというか一番困ったことに、わたくしは石坂洋次郎の小説をまったく読んでいない(正確には、数年前、思うところがあって「青い山脈」を読みだしたのだが、はじめの方で挫折したままになっている。) また上述のように、本書は石坂の小説のほとんどすべてが母系制の問題とかかわることを主張したものであるが、その関係で民俗学の話が当然のように出てくる。柳田國男とか折口信夫とかの名前もでてくる。この辺りについてもいたって不勉強なので、最近文庫になった岡野弘彦折口信夫伝」などというのも買ってきてみたりはした。しかし、どうにも苦手というか、こういう濃いひとというのは自分の体質にはあわないと思った。折口は民俗学者であると同時に国学でもあるわけで、だから「大君は 神といまして 神ながら思ほしなげくことの かしこさ」ということになるのだが、「神がかる」という方向には一切背をむけて、わたくしは生きてきた。それで折口の「死者の書」は昔トライした記憶があるが、巻頭数ページで挫折している。
 また、宮本常一網野善彦の名もでてくる。さすがに土佐源氏の話は読んだことがあるし、網野氏の本は往時の網野ブームの時にかなり読んでいる。網野氏にはエクセントリックなところはないと思う。
 グレゴリー・ベイトソンとかマーガレット・ミードの名も挙げられている。ベイトソンの本は昔、熱心に読んだことがある。ニュー・エイジ系の思想家のなかで唯一まともひとがベイトソンなのではないかと思っている。(それならカプラは? 意図的に正統科学の硬直をおちょくるという使命は十分に果たしたとひとだとは思うが・・・)
 確か一時はベイトソンの奥さんであったミードの「サモアの思春期」にも言及されているが、この本は学問的にはかなり問題な本ということになっているのではないだろうか?
 またE・トッドも随所で論じられる。最近、トッドはいろいろな学問分野での基礎文献となってきているようである。トッドの本も少しは読んでいるが、多くの情報は鹿島茂さん経由である。
 吉田健一「文學の楽み」に以下のようなところがある(旧かなで引用したいので全集から引く)。「併し学者は或る程度まで養成できても、批評は文学に属することで、例へば、受験勉強で身に付けられるものではない。英国の大学でも。折口信夫を英国人にしたやうなものがいつまでも、どこにでもゐる訳ではなくて・・・」
 最初読んだときに、ここで躓いた。吉田健一折口信夫はまったく肌合いの違う文学者だと思っていたからである。
 最新の葬式は仏式かキリスト教あるいは無宗教がほとんどで、神式というのは滅多にないが、まれにあるそれに参列すると、そこでの祝詞というのがどうにも駄目で、なんともおどろおどろしい。悲憤慷慨というのだろうか。だから、「あはれ折口春洋主 今しはるけき青波の果、いや遠き海境硫黄が島より 足の音もしみにより来たまひて、主が廿年住ひしこの家のくまに彳みて、われどち主が友がき学び子親たちの言ふことのをぢなきをつばらに聞きわき給へ。ことし、今日この日かの時より既く五年経て国がら山川の姿よりはじめて、人心のおくがまで全くあらたまり行くを主は見明らめたまふらむ 国々の中にも大倭国 人々のうちとも大倭びと然思ひ相ほこりし心もくづほれて、われどちいつまでかくだちゆかむとすらむ ・・・」などといういのも、生理的に受けつけない。
 以前にも言及したことがあると思うが、三浦雅士氏が丸谷才一全集第七巻の巻末に書いた解説の「文学史とは何か」で、一時國學院大學で教えていた丸谷才一はそこで折口信夫の学統に触れたのだということがいわれている。そこではまた最晩年の折口は吉田健一を数度にわたって國學院大學に招聘し、英文学を講じさせたことが述べられている。折口は吉田健一のなかに自分の文学と同質のものを見出したのだ、という。しかし日本の正統的な吉田健一信者の書くもの(たとえば長谷川郁夫氏の「吉田健一」)には折口信夫路線はまず言及されていないように思う。
 丸谷才一鹿島茂三浦雅士の三氏が架空の文学全集を構想するという変た本である「文学全集を立ちあげる」では、柳田國男折口信夫にそれぞれ一巻が充てられているが(吉田健一も一巻)、「死者の書」について、丸谷「ぼくはさっぱりわからないんだ」、鹿島「私もわからないんです。どこがいいの?」、三浦「「した、した、した」って、最初の出だしからして、気持ち悪いよね」、鹿島「ああ、よかった。みんなわからないんだ(笑)。」ということになっている。それでもこの架空の日本文学全集に「死者の書」をいれることにしているのだが。わたくしも「みんなわからないんだ、ああ、よかった」の口なのであるが、この石坂洋次郎論では、三浦氏は母系論の観点から折口について、いろいろと論じている。
 それで信太妻の話「恋しくば、たづね来て見よ。和泉なる信太の森の うらみ葛の葉」もでてくるが、これが母系制とどうかかわるのか今ひとつ呑み込めなかった。わたくしには信太妻の話は岡倉天心の書いた英語のオペラ脚本「白狐」の原話なのである(大岡信岡倉天心」)。「 (Yasuna) In thee I am. (Kuzunoha) In myself I am not. (Kuzunoha and Yasuna) Sweet mystery, / Sacred rapture. / Passions are merged / In the passion eternal. / Thoughts have vanished / In the thought supreme. / Sweet mystery, / Sacred rapture, / Nirvana of Love. 」 この英語の詩句のどこからも母系制の香りは感じられない。
 本書にも書かれているように、わたくしが若いころ、石坂洋二郎の小説は次々とベストセラーになり映画化されていた。それでわたくしの頭のなかではどこかで、石坂洋二郎と石原裕次郎がオーバーラップしているくらいである。本書では書かれていないが、テレビドラマにも多くなっていたように記憶している。原作も読んでいないし、映画もみていないが、テレビドラマはところどころ見た記憶があって、何だか気恥ずかしい感じというのが残っている印象である。戦後開明された若者たちが封建的な古い戦前世代の親たちと対立するといった構図のドラマのように思えて、何だかなと思った。一言でいえば、観念的かつ図式的であって、若い世代に媚びているように感じたのである。
 今では、封建的という言葉は死語であろう。しかし、私が若いころには、これはまだ相当に切れ味のある言葉で、戦前の価値観を引きずっているという批判をふくむ重宝な言葉であった。わたくしの感覚では、封建的という言葉が使われなくなるのと並行して、石坂洋二郎も第一線の作家ではなくなっていった。
 「戦後の明るさ」の代表という観点から石坂洋二郎を論じているのが渡部昇一の「戦後啓蒙のおわり・三島由紀夫」である(「腐敗の時代」所収)。これは本当は三島由紀夫論(特に「鏡子の家」論)であって、石坂洋二郎はその対照にあるものとして前座として参照されているのだけなのであるが、そして映画「青い山脈」の西条八十作詞の主題歌(若く明るい歌声に/ 雪崩も消える花も咲く・・)にもよりかかった論なのであるが、わたくしが若いころ石坂洋二郎原作のテレビドラマをみて感じた気恥ずかしさをうまく説明してくれているもののように思う。
 しかし、長くなったので、この渡部昇一氏の論から稿をあらためる。

石坂洋次郎の逆襲

石坂洋次郎の逆襲

丸谷才一全集 第七巻 王朝和歌と日本文学史

丸谷才一全集 第七巻 王朝和歌と日本文学史

文学全集を立ちあげる (文春文庫)

文学全集を立ちあげる (文春文庫)

岡倉天心 (1975年) (朝日評伝選〈4〉)

岡倉天心 (1975年) (朝日評伝選〈4〉)

腐敗の時代 (1975年)

腐敗の時代 (1975年)