北岡伸一「官僚制としての日本陸軍」

    筑摩書房 2012年9月
 
 序章「予備的考察」 第1章「政治と軍事の病理学」 第2章「志那課官僚の役割」 第3章「陸軍派閥対立(1932―35)の再検討 第4章「宇垣一成の15年戦争批判」の5章からなる。序章は書き下ろしであるが、第1章が1991年、第2章が1990年、第3章が1979年、第4章は書き下ろしということで、かなり古い論文に最近の論考を追加してできたもので、近代日本における政軍関係の特質を論じている。
 第2章と第3章のあいだに補論「満州事変とは何だったのか」(1994年執筆)があり、そこに次のような部分がある。「実力行使による満蒙の直接掌握以外に、満蒙解決の方法はないというコンセンサスは、同年6月の張作霖爆殺事件以前には、少壮陸軍官僚の間にも存在しなかったと筆者は考える。そして河本大作が事件の拡大に失敗したとき、河本を守れという運動とともに成立したものではないかと考える。」
 ある人があることをおこなったときに、その人を擁護しようとするひとたちは、自動的にその人のしたことを正しいとする方向にいく、ということはよくみられることであり、仲間(共同体の内部の人間)を守ることが第一の優先事項となってしまう。日本の企業でおきる不祥事のかなりはこのメカニズムによっているのではないだろうか? とはいっても、ここでの北岡氏の論が正しいとするなら、極論をいえば、太平洋戦争は河本大作を守ろうとしたためにおきたという論も成り立つのかもしれない。
 「論語子路第13の18が前から気になっている。「葉公、孔子に語りて曰わく、吾が党に直躬なる者あり。其の父、羊を攘みて。子これを証す。孔子曰わく、吾が党の直き者は是れに異なり。父は子の為めに隠し、子は父の為に隠す。直きこと其の内に在り。」
 父は子の為めに隠し、子は父の為に隠す。仲間は仲間のために隠す。
 小室直樹氏の「危機の構造」に「日本社会の組織的特色は、組織とくに機能集団が運命共同体的性格を帯びることである。・・内外が峻別され・・外部に対する鋭い関心を喪失するのと比例して、成員の主要関心は共同体内部にのみ集中し・・自分の所属する(海軍、大蔵省、通産省、企業などの)機能集団の機能的要請は絶対視され・・」とある。
 「危機の構造」には、また「大戦争を起こしながら、明確な決断の主体は一人もなく、誰しも戦争に反対しつつも、集団における傾向に自覚的に対決しないままズルズルと引きずられてゆくうちに、気がついてみたら戦争が始まっていた」という文もある。いま北岡氏の本を読んでいるのは、片山杜秀氏の「未完のファシズム」を読んで、その説はとても面白いのだが、どうも話がうますぎるのではないかという気がしたことがきっかけとなっている。しかし、片山説が具体的にどこが問題なのかということをうまく指摘ができなかった。
 今回、本書を読んでいるうちに「顕教密教」という部分が問題なのかもしれないという気がしはじめた。片山氏によれば、皇道派精神主義と短期決戦主義は、実はそれは素質劣悪な弱敵にしか通用しないもので優秀な強い相手には通用しないことを当然の暗黙の前提としていたのだが、公式の文書として皇道派が主導し作成した『統帥綱領』や『戦闘要綱』にはもちろんそんなことは書かれていない。日本は装備もよく補給力も十分な敵とは絶対に戦争してはならないことは自明とされていたのだが、その暗黙の前提は皇道派が統制派に駆逐される過程で失われてしまい、文書化されたタテマエだけが残され、それが暴走していった、ということになる。『統帥綱領』や『戦闘要綱』が顕教で、『装備もよく補給力も十分な敵とは絶対に戦争してはならない』というのが密教ということになる。
 顕教密教というのは、確か丸山真男の著作を通じて知った用語で、明治憲法の条文が顕教で、そこでは「大日本帝ハ万世一系天皇之ヲ統治ス」であり、「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」と明記されており、それに従えば日本は天皇専制君主とする絶対主義国家であることになるが、実際は天皇は統治に関与しないイギリス流の立憲君主国家であった(小室直樹の「日本国憲法の問題点」によれば、それが確立されたのは日清戦争のとき)。だがそれは元老たちや高級官僚などには共有された認識であっても、国民一般には知らされないものであった。だから密教である。
 この明治憲法顕教の部分は明治国家の統合のために有効に機能した部分もあるはずである。ところが『統帥綱領』や『戦闘要綱』は片山氏の認識でも日本を滅ぼす元凶となったものなのである。それなら、そこで想定されていた日本の国力でも勝てる「素質劣悪な弱敵」というのはどこだったのであろうか? 中国や朝鮮がそうだったのではないだろうか? ある時期までのロシアもそうであったかもしれない。(ひょっとするとアメリカでさえ、確かに「持てる国」ではあっても、その国民は素質劣悪で精神力に欠ける弱卒であるとされていたというようなことだってなかったとはいえないのかもしれない。) 「装備もよく補給力も十分な敵」というのは欧米のことであり、ここで言われている密教の部分というのは日本は欧米とは戦うつもりはない(戦えない、戦っても勝てない)ということであり、裏返せばアジア大陸の国々(ソヴィエトをふくむ)を相手にするのであれば、勝てるということであったのではないだろうか? 日本は日清・日露戦争に勝利し(後者は本当は引き分けだったのかもしれないが)、アジアにおいて唯一近代化に成功した国として、国家の統一ができていない中国やロマノフ王朝が倒れたばかりのロシアなどとは違うのだとする変な自信(自惚れ?)ができてきており、それらの国への蔑視が日本の精神性を強調させることになったのではないだろうか?
 加藤陽子氏との対談「昭和史裁判」で半藤一利氏は「(日中戦争開戦当時それが)二、三ヶ月で片づくというのは、当初陸相杉山元が言った言葉ですが、昭和天皇自身にも、少々中国に対する侮蔑感のようなものがあったのでしょうかね」といい、加藤氏が「それは日本全体にありましたね」と答えるのに対して、「ええ、私ら悪ガキにもあった」といって「当時の少国民も、中国や中国人にたいしてはひどいもんだった」という自身の体験について語っている。そしてこれは今でも少しも変わっていないのではないかというようなことを、最近のいろいろな出来事をみていて感じる。
 この北岡氏の本は、陸軍内部における近代化路線派(兵器の近代化、すなわち機関銃などを導入し、自動車などにより機動化して、戦車や航空機などを重視する派)とそれに反対する派の対立を主として論じているが、反対派は「貧しい日本が、そして技術水準の低い日本が一挙に第一次世界大戦で登場した飛行機・戦車・毒ガス・潜水艦といったものを取りいれるは無理がある。日本の周辺にあるのは中国と革命ロシアだけで、これらを相手に、最新の兵器は不要である」という立場であったことを紹介している。この派がいわゆる皇道派であるのだが、それらが作った「対ソ軍歩兵戦闘」や「対ソ戦闘法要項」でもソ連軍の能力をはなはだ軽視したものであるのだそうで、短期決戦重視、精神的要素の強調、夜中や白兵戦を重視する、機械化時代の到来を否定するであったという。しかし、ソ連満州事変勃発以来、国境の軍備増強を強力に推し進めたので、日本は航空戦力で決定的に劣勢になったのだという。皇道派を批判する永田鉄山は、そういう軍の近代化を否定する路線を「青竜刀式頭脳」と呼び、「過度に日本人の国民性を自負する錯誤に陥っている者が多いことが危険」であるとして、「邦が貧乏にして思う丈のことが出来ず、理想の改造の出来ないのが欧米と日本との国状の差最大なるものなるべし、此の欠陥を糊塗するため粉飾する為に、まけ惜しみの抽象文を列べて気勢をつけるは止むを得ぬ事ながら之を実際の事と思い誤るが如きは大いに注意を要す」と述べているのだそうである。
 われわれは日本がアメリカを相手に長期の戦争をおこなったことを事実として知っている。知ったうえで片山氏の本を読むととても説得的である。しかし、満州事変のころ、日本の軍人をふくめたほとんどすべての者がアメリカと戦争するなどということは考えてもいなかったのであり、アメリカとの戦争は何かの間違い、想定外の事態であったのであって、当時の陸軍軍人の頭頭のなかには、中国・朝鮮とアジアのことしかなかったのであれば、片山氏の論のインパクトはかなりの程度弱いものとなってしまう。「素質劣悪な弱敵」と思っていた相手としてでさえあれほど手こずって泥沼の状態になっているのに、何かの間違いでアメリカとも開戦することになってしまえば、おかしくなってしまうのは当然である。
 そう考えるとわからないのが海軍で、海軍の仮想敵はつねにアメリカであったとされている。国家総力戦ではアメリカに絶対勝てないとしたら、アメリカを仮想敵にするというのはどういうことなのだろうか? おそらくそこで想定されていたのはアメリカ海軍に海戦で勝つということであって、アメリカに戦争で勝つということではない。自分の仕事はアメリカ海軍に勝つということであって、戦争に勝つということは誰か別のひとが考えればいいこととされていたのであろう。
 小室直樹氏の「危機の構造」に「山本元帥が真珠湾攻撃を思い立ったのは、速戦即決で勝負を決めるためである。アメリカと長期的に全面戦争をして勝てる見込みはない。勝利のチャンスはただ一つ、速戦即決にかかっている。・・このような一方的奇襲を行って、それが講和のチャンスにいかなる効果をもたらすか、この点についての検討は全くされていない」とある。
 軍人は軍事のことしか頭になくて、国家の総力戦としての外交交渉といったことは一切頭にないわけである。北岡氏も「近代日本には、安全の維持という職務に賭ける真のプロが、結局成立しなかったと言ってもいいだろう。中国と泥沼の戦争を続けながら、遠くドイツと結んだだけで米英と戦争を始めるというのは、いなかる軍事的合理性からも出てこない判断であった。軍国主義という言葉を、軍事的価値・判断・態度が優越的な位置を占める体制と定義すれば、戦前の日本は軍国主義ですらなかったのである」という。片山氏が「未完のファシズム」というのと同じことであろう。
 在野の人である片山氏の本は学術論文ではなく、一つの説を提示し、それに合う事実をいろいろと集めてといった体裁のものである。一方、北岡氏は大学に所属する研究者であり、当然、さまざまなことに目配りしているので、どうしても主張の歯切れは悪い。だから片山氏の本のほうが読んでいて面白い。
 それに何よりも片山氏の本には文体がある。一人の人間が自分の考えを述べているということがひしひしと伝わってくる。それに対して北岡氏のものは事実に語らせるという側面が強く、文章になかなか個が表れてこない。それで読みにくい。文体を持つというのはなかなかの武器であることを痛感した。

官僚制としての日本陸軍

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