文藝春秋special「世界近現代史入門」

 
 本ではなく雑誌だが・・。
 いろんなひとが歴史についていろいろなことを書いていて面白そうだったので。
 たとえば、片山杜秀さんの「ベートーベンの戦争、ワーグナーの挑戦 西洋近代史は音楽で学べ!」
 一個人が世界を変えたということでは、たとえばマルクスヒットラーという名前があがるとして、ベートーベンという人間がもしも生まれていなかったら、西洋の音楽あるいはもっといえば西洋の歴史はどうなっていただろうかと思う。
 「英雄」交響曲などが、ハイドンやモツアルトの音楽のなかから一体どのようにしたらでてくることができたのだろうと思う。いくら片山氏がいうように、ハイドンが上流階級というハイレベルの観客から、新興ブルジョアという違いのわからない俗な聴衆へという変化に応じて、その音楽を繊細で技巧的なものから、より刺激的でけれんのある音楽へと方向をきったとしても、ベートーベンのように自分の考えあるいは思想を伝える手段として音楽を用いるというのではなかったと思う。つまりベートーベンはロマン派というのを一人ではじめてしまった。そして、作曲家というのがとても偉いひとになってしまった(ほとんど思想家になってしまった)、あるいは天才という概念をひとりで作りあげてしまったというところがあると思う。
 バッハは天才というより高度で並外れた技術を持つ職人であり、また「マタイ受難曲」などの大変なドラマをつくったひとではあるが、そこにバッハの信仰を見るひとはいても、思想をみるひとはいないだろう。
 もしもドイツにベートーベンとカントとゲーテがいなかったとしたら! ドイツというのはみるべきもののない単なる辺境あつかいされていたのではないだろうか? われわれが西洋というと思い浮かべるさまざまなものの一番中心にベートーベンがいるのではないかと思う。
 小説もまた西洋の産物で、平凡な一個人のなかに英雄の物語を発見する試みである。「英雄」交響曲ははじめナポレオンに献呈するつもりで作曲をはじめたといわれている。ところがナポレオンが皇帝となったため、俗人だと罵って献呈をやめたという話が事実であるのかどうかは知らないが、ベートーベンはこのエピソードによって、ナポレオンと対等になった、あるいはナポレオンを超えたわけである。
 ベートーベンがいなければ、シューベルトシューマンメンデルスゾーンブラームスマーラーシェーンベルクショスタコーヴィッチもいなかったであろうから、西洋音楽というのはなんとも色あせたものとなってしまっていたはずである。
 というようなことが片山さんのこの小論に書いてあるわけではないが、片山さんは日本のクラシック音楽の作曲家についての権威でもあって、諸井三郎の交響曲などというのを語らせたら滔々と論じて倦むことを知らない。そして、もちろん、ベートーベンがいなかったら諸井三郎もいなかったことは間違いないわけで、ベートーベンはドイツから遠く離れた東洋の島国にまでも多大の影響をあたえたわけである。日本の西洋クラシック音楽受容の歴史というのは、明治以降の日本の西洋受容の悲喜劇が濃縮された場となっているのではないかと思う。
 そして、音楽というのはその本質は本当は歌であるのだとしても、日本のクラシック音楽界が師範として仰いだのはベートーベンであって、ヴェルディでもプッチーニでもなかっただろうと思う。
 ベートーベンを一言でいえば、「真面目」ということになるのではないかと思う。あるいは「生真面目」。ユーモアというものがない。だからサティにからかわれたりすることになるが、世の音楽がみなサティのようなものであったら、音楽とはなんとも退屈でつまらないものとなっていただろうと思う。サティはアンチであって、アンチとはそれが反抗する正統が必要である。
 吉田健一は「ヨオロツパの世紀末」で、ヨーロッパの頂点は18世紀であって、19世紀ヨーロッパは堕落したヨーロッパであるという説を展開した。その「優雅な18世紀」の精髄がたとえばモツアルトの音楽である。もちろん、そうであるなら悪趣味になったヨーロッパの典型がベートーベンである。しかしベートーベンは同時にロマンティックの創始者のようなものだから、われわれは明治期のヨーロッパ受容において、いきなりロマンティックに接してしまったことになる。古典があとから入ってきた。とすれば、われわれと西洋ということを考える場合に、クラシック音楽というのは実に重要なサンプルをあたえてくれることになるのではないかと思う。
 篠沢秀夫氏が「フランス文学講義1」でいっているように、クラシシスムというのは19世紀のロマン派の詩人たちが自分たちの前の時代のラシーヌコルネイユを乗り越えるべき権威という意味で言った言葉であって、批判されたものたちは自分たちを「現代作家」といっていた。それと対立するものは「古代作家」で具体的にはギリシャ・ローマの作家たちをさした。もうそこではすべてが完成されていて、自分たちはそれにくらべれば格段に劣っているという意識がそこでは支配していた。篠沢氏のいう「猿の惑星」状態。昔、今よりもはるかに優れた文化があったという驚きのもとでラシーヌたちは書いていた。
 われわれはギリシャやローマの音楽というのがどういうものであったのかを知らないが、そこに完成された音楽があって、後世の音楽はそれよりずっと劣った末世の音楽であると思っているものはまずいないだろうと思う。
 芥川也寸志さんが「音楽の基礎」で音楽の歴史を、8度→5度→4度→3度→長2度→短2度と述べていた。ユニゾンから5度並行(4度並行)、長短3度和音による調性音楽、長2度(ドビッシー)、短2度(シェーンベルク)という流れである。こういう見解からは「猿の惑星」的見方はでてこないわけであるが、篠沢氏は日本の明治維新は「鎖国状態であった日本が、知らないうちに、別世界では非常に文明が進んでしまっているのだということを発見した」という「猿の惑星」状態であったのだという。それが「西洋に対する非常な大きな幻想を抱いてしまった」ということであったのだとしても、と。その幻想が冷め、日本こそがギリシャ・ローマであって、西欧に対する規範たるべしといったまた別の幻想が急に肥大したのが昭和前半で、それが敗戦でしぼむと今度はアメリカがギリシャ・ローマに見えてきたのが昭和後半のうちの前半、昭和後半の後半ともなるとふたたび自分がギリシャ・ローマに思えてきて、一時、鼻をぴくぴくさせた後、泡が萎んで、目標が見えなくなって茫然としているのが現在かもしれない。
 「英雄交響曲」が1804年、ブラームスの第一交響曲が1876年である。1804年といえば、「東海道中膝栗毛」と「浮世風呂」の間である。1876年は西南の役あたり。江戸にはフランス革命は起きなかったわけで、それで明治維新が革命となった。そして日本の音楽は演奏する楽器自体から一新することになった。ということは日本の「洋楽」は自分のなかにほとんど歴史を欠いているわけで、自分たちの音楽は過去をたどっていくとベートーベンに繋がるという実に奇妙なことになってしまう。そうだとするとそれは根をもたないものと感じるひとも当然でてくるわけで、伊福部昭さんをワーグナーになぞらえるなどというのは無茶であるが(ワーグナーの誇大妄想を伊福部さんは一切欠くだろうから)、「根のあるもの、フォルク(民族、民衆)に根ざす」という志向が氏にあったことは間違いないと思う。そしてワーグナーの同時代のパリでは「荒唐無稽なストーリー、山場に次ぐ山場、社交の場でもあるから、客席も騒然としている」というマイヤベーアらのオペラが大きな人気をえていたことを片山氏は指摘していて、これは江戸の歌舞伎そっくりである、という。
 片山氏がいうワーグナーの公式「近代+民族性=新しい音楽」がロシアのムソルグスキーチェコドヴォルザークノルウェーのグリークといった「国民楽派」を生んだと片山氏はいう。そうだとすると伊福部氏が日本の国民楽派ということになるのだろうか? しかし、おそらく伊福部氏と対立するところに位置するであろう尾高尚忠氏のフルート小協奏曲などハンガリー辺りで吹くと拍手喝采というようなことをあるフルート奏者のかたがいっていた。ことはそんなに簡単なことではないかもしれない。
 日本も「近代+前近代(伝統、古層、土着、固有の文化)というロジックを活用した典型例だ」と片山氏はいう。近代世界に入っていくのに際して、天皇という「古代」を持ち出してきて、ナショナルな凝集力にしようとした」からだ、と。ここまでくると問題が大きくなり過ぎて簡単に論じられる話ではないし、片山氏も途中で抛りだしている感じだが、日本の音楽のなかで直接、天皇を想起させる音楽というのはないようにわたくしは感じる。そして、それにもかかわらず、日本の国歌が「君が代」なのである。
 
ヨオロッパの世紀末 (岩波文庫)

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