今日入手した本
- 作者: 丸谷才一
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2014/03/11
- メディア: 単行本
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評論部分は「夏目漱石と近代文学」の巻はすでに入手しているのでこれが2冊目。「御霊信仰と祝祭」の巻は丸谷氏の御霊信仰論はちょっとねと思っているのでいまのところ入手のつもりはない。
本書は同時代の作家論と日本語論を収める。解説を三浦雅士氏が書いている。そこで三浦氏は歴史主義と普遍主義ということを言っている。ごく大雑把にいうと、普遍主義は18世紀、歴史主義は19世紀であり、普遍主義の思想家がデカルト、ルソー、ヒュームからカントであり、一方歴史主義の思想家がヘーゲルとマルクス。普遍主義は絶対主義と古典主義に親和性をもち、歴史主義は相対主義とロマン主義に親和性を持つ、というのが三浦氏の見立てである(ルソーは普遍主義の側の人間だろうか?)。
わたくしは自分を啓蒙派の人間であると思っているが、つまりそれは普遍主義ということなのかと納得した。こちらの神輿の吉田健一は18世紀賛美の人間であるから当然普遍主義。もう一人の神輿(これはいたって野暮な・・つまり反18世紀的なところの多分にあるひとではあるが)のポパーも反=相対主義であるから普遍主義。
さて、丸谷氏も激越な普遍主義の批評家であったというのが三浦氏のこの解説のヘソである(これは納得できるのだが、御霊信仰論というのがわたくしには歴史主義的なものに見えてしまう。丸谷氏はカーニバル論といったものを援用して普遍主義への道を示してはいるのだが)。
丸谷氏は反=私小説派の急先鋒の一人であったわけだが、それは私小説がヨーロッパ19世紀の文学観への盲従から生まれたものであると見たからである。
さてわたくしが困るのがロマン主義である。わたくしもずぶずぶのロマン主義には抵抗があるのだが、西洋クラシック音楽からロマン主義をとりさってしまったら、残ったものはいかにも貧しいものになってしまうだろうと思う。西洋音楽ではワーグナー派とブラームス派の対立というのがあって、わたくしはブラームス派であるのだが、ではワーグナーが歴史主義でブラームスが普遍主義であるかといったら微妙であるように思う。どちらもロマン主義である(ルソーもロマン主義の開祖のひとりではないだろうか?)。むき出しのロマン主義と抑制されたロマン主義という違いはあると思うが。第一、西洋クラシック音楽の最大のビッグネームであるだろうベートーベンはどう考えてもロマン主義の開祖である。そしてクラシック音楽を聴く人間にはロマン主義への希求というのが間違いなくあると思う。今回の佐村河内事件の根にあるのもそれだろうと思う。現代音楽は普遍主義の産物であるが、しかしつまらない。きいて動かされるものがない。どうもわれわれを動かす音楽にはどこかにロマン主義けれどの香りとか匂いがあるものが多いことは否めないと思う。
丸谷氏は音楽について論じているわけではないが、そんなことも考えながら、少しづつ読んでみようかと思う。