S・ムカジー「病の帝国「がん」に挑む」(3)

 
 がんの局所治療としての手術の延長としての拡大手術に限界があるとすると、もしも癌が全身性の病気であるとするならば、別の全身療法が必要となる。
 まずX線。1895年、X線が発見される。そのすぐあとにウランが不可視の光線を出していることも発見されている。1902年にはキューリー夫妻がラジウムを発見している。ラジウムは体の深部にエネルギーを体積させることができることもわかった。
 それはレントゲン検査に道をひらくとともに、組織障害の原因ともなった。現在ではそれはDNAを攻撃することがわかっている。X線は分裂のさかんな組織、皮膚、爪、歯肉、血液のなどの細胞を真っ先に破壊する。この事実は、当然がんの専門家の注目をあつめることになった。
 当初のX線による治療は局所治療のみに有効と考えられたが、ラジウムの発見により高線量の照射が可能になった。乳ガン、リンパ腫、脳腫瘍などで有効性がしめされていった。しかし、放射線治療が癌をあらたに発生させることもまた明らかになってきた。マリー・キューリーも白血病で死んだ。一方でがんの全身照射で再発が予防できるのではないかというアイディアも生まれた。
 もしも癌にのみ選択的にはたらく毒が発見できれば・・。そういう物質への探求もはじまった。1850年ごろ、化学の分野では染料の研究がさかんであった。面倒な野菜から抽出した染料にかわるようなものが求められた。1856年パーキンがスミレ色の化学物質をみつけ、そこからさまざまな合成染料が開発されていった。
 1878年、エーリッヒは化学染料を布ではなく、動物組織の染色にもちいることを思いついた。するとそれは予想に反して、細胞のある部分を選択的に染めることがわかった。それが結核菌の染色法の発見、抗毒素の開発につながった。さらにそれは抗生物質のアイディアを生み、睡眠病の原因微生物であるトリパノソーマの治療薬トリパンレッドを生んだ。1910年には梅毒の治療薬である606号(サルバルサン)も開発された。これをエーリッヒは「魔法の弾丸」と呼んだ。では癌にはそういう薬はないのか?
 1917年、第一次世界大戦で使われた毒ガスは多くの惨禍を生んだが、それへの暴露の後遺症として造血機能の低下がおきることも明らかになった。しかし世界大戦下という異常事態のなかにいたヨーロッパではこのことはほとんど注目されないままになってしまった。
 1943年、毒ガス(マスタードガス)を積載したアメリカ船団がドイツ空軍の攻撃をうけ、毒ガスが多量に放出された。それ浴びながらも生き延びたものもいたが、その骨髄は造血機能をほとんど失っていた。それをみて、その毒性を弱めれば治療に使えるのではないかと考えたものがいた。
 毒ガスの誘導体であるマイトロジェンマスタードで実験がはじまった。動物実験ではうまくいったのでリンパ腫での治療がこころみられた。これは奇跡的な寛解をもたらしたが、やはり再発はおきた。この成果は戦時中は秘密にされ、発表されたのは1946年であった。葉酸拮抗剤の論文のでる数ヶ月前である。
 1951年、6MPが発見された。急性リンパ性白血病で治療がこころみられ、寛解がもたらされたが、やはり再発した。 
 
 ここまでは学問の世界の話である。癌の治療としての外科手術、放射線治療、化学療法についてであり、癌の治療はいまだにこの三つが中心である(まだ免疫療法といわれるものは市民権をえていないと思う)。ここからしばらくは、純粋な学問を離れ、そのような治療法あるいはがんという病気への関心がどのようなことによって一般化していったかという話になる。
 
 葉酸拮抗剤の発見者であり、それを用いた白血病治療をこころみていたファーバーは、過去のポリオ撲滅キャンペーンのようなものを、白血病(ひいては癌全体)についても立ち上げたいと考えた。
 1928年にひとりの赤ん坊がある劇場の前におきざりにされるという事件があった。ショービジネスの関係者のクラブがこの子の養育費を負担した。この子の物語はマスコミで広くとりあげられた。クラブは新しい子供のための慈善プロジェクトをさがしはじめた。ファーバーはそのプロジェクトに小児癌の治療を専門に研究する大病院をつくる基金の創設を相談した。
 ファーバーはジミー(と名付けた・・本当はもっと呼びにくい名前)というリンパ腫のこどものいる病院にラジオ番組を中継して、その野球ファンの少年のもとに数人の有名な野球選手が予告なしに訪れるということを企画し、その番組で癌の研究への寄付を呼びかけた。その正味8分の中継により、その子の入院している小児病院には寄付者の列ができ23万ドルの寄付があつまった。もちろん、それは病院をたてるにはまったく不十分なささいな額ではあった。しかしファーバーは、がん撲滅キャンペーンには、科学的な道具だけでなく、偶像やマスコットやイメージやスローガン、宣伝のための戦略が必要であることに気づいた。
 この発見によりファーバーは臨床家からがん研究推進運動家へと転身することになった。がんという病気も地下からでて、スポットライトをあびる存在へと変わっていった。
 ファーバーは、ハリウッドスター、政界の実力者、有名スポーツ選手、大金持ちなどに触手をのばしていった。有名な野球選手テッド・ウイルアムズもそこに加わり、テッド基金ができた。それらによって1952年にはファーバーの新しい病院はほぼ完成した。
 ファーバーはグループ作りと政治活動とロビー活動によってアメリカ人の健康状態を改善することを自分の使命と感じているエネルギーと財産と情熱を持つ名士の女性メアリ・ウッダード・ラスカーとその夫アルバートと提携することになる。
 メアリはアメリカがんコントロール協会(ASCC)をたづねてあまりに非効率で古くさくて素人くさい組織のありかたに失望した。「医者たちには多額の資金を管理することなどできないのです。彼らはとてもちっぽけなビジネスマンであり・・ちっぽけな専門家なのです。」
 そんな専門家だけでとじこもっていてはだめだ、もっとがんを大衆の問題としなくては・・。まず「リーダーズ・ダイジェスト」にがんのスクリーニングと早期発見の記事を出してもらった。30万ドルの寄付があつまった。ASCCの組織を変え、ビジネスマンや映画プロデューサー広告業者、製薬会社の重役や弁護士をメンバーにくわえた。生物学者や疫学者、医学研究者や医師は少数派になっていった。1944年に83万ドルにすぎなかった寄付は1947年には1204万ドルになった。長期的には、かれらは連邦政府にはたらきかけることを目指していた。そのためもほんもののドクターも必要だった。それとして白羽の矢がたてられたのがファーバーだった。彼らは自分たちの活動をこのんで聖戦と呼んだ。それは宗教的比喩をもちいるほどの狂信的な科学のたたかいとなっていった。
 ここで問題が生じた。メアリの夫アルバートが進行した大腸癌であることがわかったのである。翌年にはアルバートは死んだが、それによってASCCの発動はより切迫したものとなっていった。ファーバー自身もまた潰瘍性大腸炎(+大腸癌?)で手術をうけることになる。
 (ここからあとは癌の研究と政治社会の動向が平行して進んでいくさまが述べられる。)
 第二次世界大戦のさなか、科学は研究のための研究ではなく(戦争に)役に立つものであることが求められ、ある目的にむかって総力を結集することが求められていた。その最大の成功例が原爆を開発したマンハッタン計画であった。
 癌もまた目的を絞った集中的な対応が必要と考えられた。がんのためのマンハッタン計画が必要であるとされた。抗ガン剤を開発するための集中部隊が編成された。その中からアクチノマイシンDが発見された。それはウイルムス腫瘍に有効であることがわかり、X線治療と相乗効果があることもわかった。ウイルムス腫瘍は化学療法が効いた初めての転移性腫瘍となった。
 個々の医者がそれぞれに治療をおこなうのではなくプロトコールといわれる一定の仕様で共通の臨床試験を広くおこなうこともこのころから開始された。結核治療でのストレプトマイシン治療の有効性の検討のため、無作為の割り付け試験もはじめられていた。それにならって二つの薬剤投与量の違いによる成績が調べられ、大量療法のほうが寛解期間が長いことが明らかになった。次に単剤治療と併用療法が比較された。併用のほうが断然成績がよかった。さらに単回治療と連続治療が比較された。連続のほうがよかった。
 転移性の絨毛癌に勇敢に葉酸拮抗剤を投与した医師がいた。その治療により癌の転移は消失した。転移性の固形癌が化学療法で消失したのである。絨毛癌は絨毛性ゴナドトロピンというホルモンを分泌する。そのホルモンを測定すれば、癌の残存を推定できる。それならば、一見、癌は消失したようにみえてももっと治療を継続すべきなのではないか? ゴナドトロピンの検査データが正常になるまで治療を継続した。早期に治療を終了した患者では例外なく再発したが、正常値になるまで継続した患者では癌は再発しなかった。成人の癌を化学療法で完治させたはじめての例となった。
 それらの結果をあわせるならば、多剤併用で大量長期に治療するのが最善ではないかという考えがでてくる。単剤でもひどい副作用のある薬を大量に併用して長期に繰り返し治療をおこなうというのはとてもおそろしいことである。
 1960年にビンクリスチンという薬が抗癌剤の仲間入りした。ねずみでの研究から、ある薬剤は一定の割合で癌細胞を殺すことがわかった。その割合は薬剤に固有であった。もしも一回で99%の癌細胞を殺すとすると、4回目でゼロになる計算になる。併用すると相乗効果があることもわかった。それは多剤併用大量長期投与を支持しているようにみえた。しかしその治療を乗り切れなければ、全員に治療死をもたらす可能性もあった。それでも小児急性白血病に対する多剤併用療法(VAMP)が試みられた。ひどい副作用がおき造血機能は廃絶してしまったようにみえた。しかし3週間を乗り切ると正常の細胞が回復しはじめ、白血病細胞はでてこなかった。しかしほどなく大問題がおきた。これらの患者で中枢神経系での再発が次々におきてきたのである。脳の防御機構のため、薬が中枢神経系には届かなかったのである。5%くらい中枢神経系への再発がみられず完治したものはいたのだが。
 がんの化学療法は少しづつ前進していった。1969年、人類はじめての月への着陸が成功した。これにより科学への期待が高まった。月が克服されたのであれば、癌もまた克服可能なのでは? その年の12月、ワシントン・ポストニクソン大統領にがん研究への予算の「正しい」配分を求める全面広告が載った。これはエポック・メーキングなできことで「原爆が癌に取って代わられた」のである。
  
 昔、向精神薬の歴史を読んでいたときに、初期の薬が染料研究の副産物として生まれたものが多いことを知っておどろいたことがある。わたくしが小さい頃、黄変米の騒ぎというのがあった。米についた黴が作る毒素(黄色い)が原因で肝障害や肝癌などがおきたという事件である。色素というのは恐いものらしい。色素というのは細胞に強固にくっつかなければ染料はなりえないわけで、細胞にくっつくものは毒でもあり発がん物質ともなるらしい。
 現在では癌の治療はある程度うまくいくものもでてきているけれども、その治療の当初においては完全な人体実験、ほとんど根拠のない、あるいは根拠は人間以外の動物での実験であり、人間については証拠のないものであったことが本書を読むとよくわかる。そのようなことが許された?のは癌というのがそのままでは予後が絶対不良な病気であるということはあったであろうと思われる。現在でも新薬の治験などがそのような患者さん(現在ある薬剤では治療が困難である病気に罹患しているひと)の承諾をえて行われている。しかし、本書で書かれている通り、初期にはそのような承諾さえなしに治療がおこなわれていた。現在ではとてもできないであろう(倫理委員会を通過しない)やりかたである。本書を読んでみてわかるもう一つのことは理屈は後からついてくるということであって、ほとんど思いつきに等しいようなことをやってみて、たまたまうまくいった。うまくいったのはなぜかと考えることによって、理屈が後からわかってくる場合が非常に多いということである。DNAというものの実体がまったくわかっていなかった当時において、DNAに働く薬剤あるいは放射線治療がおこなわれていたわけである。
 また戦争というものが医療に非常に大きくかかわっているということもよくわかる。わたくしも昔、ナイトロジェン・マスタードという薬が毒ガスの作用から発見されてことを知ったときにはびっくりしたものだった。
 最近開発されてくる有効な薬というのは高価なものが非常に多い。リンパ腫の治療に頻用されるリツキシマブは一回の費用が20万円、大腸癌に使われるベバシズマブが17万円。・・・マブという薬(分子標的薬といわれるもの)は皆高価である。
 わたくしがかかわっている肝炎の部門では最近有効な薬剤が次々とでてきているが、これはエイズ研究の副産物らしい。エイズは現在ではコントロール可能な病気となってきているようであるが、エイズウイルスの治療薬開発にはアメリカが非常に大きな予算で取り組んだようで、その過程でエイズウイルスには効かないが肝炎ウイルスには有効な薬剤が副産物として発見されたということのようである。とにかく個人の研究室レベルではとうてい対応できないような大規模な投資なしには医療の進歩が見込めない時代になってきているようである。
 そうであれば投資を呼び込む旗振り役の存在が不可欠になるわけで、「偶像やマスコットやイメージやスローガン、宣伝のための戦略」が必須になる。そのような宣伝攻勢の前には「ちっぽけなビジネスマンであり・・ちっぽけな専門家」である医者はまったく無力である。昨年、日本の医療界を騒がせたディオバン問題もそれに起因するのであろうし、最近の話題である佐村河内守交響曲第1番 Hiroshima」の問題もそれと関係するのであろう。「偶像やマスコットやイメージやスローガン、宣伝のための戦略」がうまく機能すれば、クラシック音楽の世界からもベストセラーが生まれうることを今回のできごとは示した。もちろん何の有効性もない薬、箸にも棒にもかからない音楽であればいくらプロモーションをしても無理である。しかし、ある程度のものであればあとは宣伝次第という側面もある。今問題のSTAP細胞というのも「Nature」に発表された時点であれだけ話題になるというのがよくわからない。発表されただけではだめで、追試され、それによって科学の世界でアクセプトされて時点ではじめて本物となるわけだから、この騒ぎがよく理解できない。誰か裏でプロモーションを仕掛けているひとがいるのではないかという気がする。たまたまオリンピックが重なったということがあるが、最近のマスコミの報道は異常なのではないかという気がする。
 科学の世界ではどういうことが明らかになったかということが重要なのであって、どの国のひとが明らかにしたかというのはかなり些末な問題であるはずなのだが、どうもおかしい。朝日新聞なども安倍首相の靖国問題への対応を批判した舌の根のかわかないうちに、あの感傷的で感情的で扇情的なオリンピック報道である。
 とはいうものの最近の朝日新聞は微妙に右旋回をはじめている風があってこれもおかしい。朝日新聞が戦時中、戦争を煽る報道を続けたのはその方が新聞が売れたからであろう。旧来の朝日調を続けたのではこれからは売れなくなることを懸念して舵をきろうとしているのだろうか。なにしろ都知事選で田母神さんに投票する若者が四分の一という時代である。しかし朝日新聞は孤塁を守って社民党とともに滅びていくというのが正しい選択なのではないだろうか?
 なんだか民主主義という制度がおかしくなってきているようだけれども、民主主義の一番根底にあるものは、何が正しいかは誰にもわからない、だからとりあえず多数の意見を暫定的に正しいものと仮定して当面やっていこうという見方であると思う。
 最近は自分の見方が正しいと信じるひとがとても増えてきているように思う。そういうのは昔は「単純」といって困ったひととしていたと思うのだが、いまはそうではなくなってきているのだろうか? 民主主義大嫌いの長谷川三千子女史などは複雑な論理を駆使して不思議な結論のほうにいってしまうわけでこれはこれで困ったものではある。
 閑話休題、これだけ宣伝と広告が大きな費用をかけておこなわれる時代になってくると、医者という個人の零細企業の立場は非常に弱い。本書は単にがんとのわれわれの戦いの歴史をのべるだけではなく、そこに単なる科学だけではない因子がさまざまにかかわって現在までの歴史をつくってきていることをも描いている点で画期的な本であるように思う。
 

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