河野博臣 「幸福な最期 ホスピス医のカルテから」(講談社 2000年)

 もう20年以上前の本であるが、最近、山崎章郎氏の「ステージ4の緩和ケア医が実践する がんを悪化させない試み」を読んで本書を思い出した。山崎氏は緩和ケア医であり、河野氏ホスピス医である。そして両書ともに著者が癌に罹患した体験記でもある。

 ホスピスも緩和ケアも医療の中の重要な部分ではあるが、あくまでも医療行為の一部であって、特別なものではないはずであるが、しかし、どうもホスピスや緩和ケアに携わっている方は何か自分達のしていることが他の医療行為よりも上をいく特別なものと思っているのではないかと思えることがあって、いささかそれが鼻につくことがある。普通の臨床医は患者の「体」をみているだけだが、自分達は患者の「心」までみているのだとでもいうような。
 しかも困ったことに?河野氏はクリスチャンでもあるのである。氏は、あるキリスト教関係の雑誌にのったひとりの慢性関節リウマチ患者の「この病気は神が私のために与えられたものだ」という手記を紹介している。氏は「その手記が私をとらえてはなさなかった」という。しかしわたくしはそういうのがとにかく苦手で嫌いで、虫唾が走るというは大袈裟かもしれないが、そういうのは、敬して遠ざけたい人間である。わたくしの友人のリウマチ専門医は「リウマチは夫原病で、旦那が死ねばすぐに治る」といっている。そういう見方もあるわけである。
 とにかく病気というのは自然現象・生物学的現象で何ら特別な出来事ではないはずなのに、それに変な意味づけをするのがいやである。

 病気あるいは死というものにどう向き合うかについては、千差万別であって、従容として死の床についても、いやだいやだと泣き叫びながら死んでも、そこに全く差はない。
 例えば、ディラン・トマスの有名な詩「あの快い夜へおとなしく入ってはいけない」

Do not go gentle into that good night ,
Old age should burn and rave at close of day;
Rage, rage against the dying of the light.


And you, my father, there on the sad height,
Curse ,bless , me now with your fierce tears, I pray.
Do not go gentle into that good night ,
Rage, rage against the dying of the light.

あの快い夜へおとなしく入ってはいけない 
日の暮れ際にも 年寄りは荒れ 燃えあがらなくてはいけない
沈む日に逆らって 父よ どうか荒れ狂ってくれ
・・・
・・・
父よ 今こそ 悲しみの高みから
あなたの烈しい涙で ぼくを呪い、祝福してくれ
あの快い夜におとなしく入ってはいけない
沈む日に逆らって どうか荒れ狂ってくれ (宮崎試訳)
 (DYLAN THOMAS COLLECTED POEMS 1934 – 1952 J.M.DENT & SONS LTD)
 
 このおそらくトマスの一番有名な詩は、とにかく偏屈であらゆることに文句ばかりいっていた父が、晩年、変に物分かりがよくなってしまったことへの抗議として書かれたらしい。  

 もう一つトマスの有名な詩に「ロンドンで一人の子供が火災で死んだのを悼むことに対する拒絶」がある。これはどうしても吉田健一訳で。(「葡萄酒の色」 岩波文庫 2013)。

 人間を作り、/ 鳥と獣と花を生じて/ 凡てをやがては挫く暗闇が/ 最後の光が差したことを沈黙のうちに告げて、/ 砕ける波に仕立てられた海から/ あの静かな時が近づき、//私がもう一度、水滴の円い丘と/ 麦の穂の会堂に/ 入らなければならなくなるまでは、/ 私は音の影さへも抑えて、喪服の小さな切れ端にも/ 塩辛い種を蒔かうとは思はない。

 ここまでが詩の前半である。河野氏の本には「塩辛い種」がふんだんに蒔かれすぎていると思う。ようするに感傷である。

 さて詩の後半。

 一人の女の子が焼け死にした荘厳を私は悼まない。/ 私はその死に見られる人間を/ 何か真実を語ることで殺したり、/ これからも無垢と若さを歌つて、/ 息をする毎に設けられた祈祷所を/ 冒瀆したりしないでいる。

 ロンドンの娘が最初に死んだ人達とともに深い場所に今はゐて、/ それは長く知ってゐた友達に包まれ、/ その肌は年齢を超え、母親の青い静脈を受け継ぎ、それを悲しまずに流れ去るテエムス河の/ 岸に隠れてゐる。/ 最初に死んだものの後に、又といふことはない。

 After the first death, there is no other.


凡ての死は、常に初めてのものなのである。だから、ディランの詩によれば河野氏のしていることは、一種の死者への冒瀆なのである。

 さて、p164。「ガンとわかって、神の意志を知りたいと何度も思うが、できない。どうしてだろうか?」
 なんでいきなり「神の意志」などという言葉がでてくるのだろう。単なる老化にともなう一番ありふれた病気がみつかっただけだというのに。

 「妻に話す。手術はするが抗ガン剤は使用しない。放射線療法もお断りする。代替療法心理療法はやりたい。」 山崎氏でもそうだったが、どうも緩和治療に従事している医師は抗がん剤を嫌うようである。p191に「私にとって化学療法剤は必ずしもよいイメージがなかった。末期ガン患者を多く診たためか、抗ガン剤の大量投与で患者は心身ともに疲労して、「もうやめてください」と息もたえだえに訴えられる場合もあった」とある。
 20年以上前の話であるから、当時の抗がん剤は今より効果が少なく副作用が強かったということはあるだろうと思う。その当時まだ臨床の場にいたわたくしは、抗がん剤使用は「手術不能でも、あなたを見捨ててはいませんよ」という医療側の思いを伝えることが主な目的であると思っていた。

しかしそういうわたくしでも、30年以上前、一例、抗ガン剤で癌を完治させた経験がある。子宮癌のかたである。なんで内科医のわたくしが子宮癌をといえば、その患者さんが体調不良で内科に入院し、わたくしが受け持ち、子宮癌の診断がついて婦人科に転科したのだが、その患者さんが、婦人科の担当医と折り合いが悪くなり、「宮崎先生の受け持ちで治療をしてほしい」といいだしたためである。えっと思ったが、治療メニュウなど産婦人科の先生にすべて指示をいただき、わたくしはただの一兵卒として患者さんを前線で受け持つことになった。
当時の抗がん剤は確かに副作用が強く、特にその時に用いたシスプラチンは、治療中患者さんは吐き続けるというとんでもない薬だった。そういう薬を使用するには確かに患者さんとの信頼関係が築けていないと無理かもしれないわけで、最初内科に入院した時にたまたまわたくしとその患者さんとの間に何かそのような関係ができていたので、何とか治療を継続出来たのだと思う。その後、10年ほどお付き合いしたが、再発はなかった。転居のため後輩の医師に紹介したのだが、その後輩に同窓会であった時、「何だかあの患者さん、先生のこと神様みたいに言っていた」と笑っていた。
 長く医者をやっていると何人かはそういう患者さんがでてくるもので、診察室にはいってくるなり「、先生!、○○が痛いし、××も気になる。・・」と延々と症状を述べ、「でも大丈夫ですよね?」といって、「先生の顔をみたら安心しました。」といって帰っていくようなひとである。
 これも大分前に入院ドックで担当した患者さんが、「なかなか血圧が下がらない」とこぼしていた。それでその頃でたばかりのカルシウム拮抗剤を処方してみたら、すぐに良好なコントロールとなった。どうも、それまでの先生はかなりのご高齢で、相当古めかしい薬の処方を続けていたようだった。以来30年近く、その患者さんとお付き合いすることになった。

 わたくしよりずっと若い産婦人科の女医先生もなにかオーラがあるのか、たとえば筋腫であちこちの病院を転々として手術しなくていいといってくれる先生をさがしていた患者さんが、その先生に「やっぱり、あなた手術だよ。」といわれると、「はい、ありがとうございます。手術にします。」というようなケースがよくあったらしい。部長先生が笑って、「売店に〇〇こけしとか、〇〇人形とか置いたら売れるよ」といっていた。(〇〇はその女医さんの名前)
 まあ、こういうことがあるから、医療は科学にならないのだけれど。

 さて河野氏の本に戻って、「妻に「私たちはガンを隠すようなことはしないよね」といった途端に涙が出て、・・階段に腰をおろして泣いた。」 なんで泣くのだろう。わからない。

 p166。教会の仲間に「私の胃に悪魔が巣くってしまいました。ガンです。・・私全体がガンになったわけではなく、胃がガンになったのです。私全体が悪魔になったわけではないので、今までどおりにつきあってほしいのです。」 失礼ながら、このかた、本当に医師なのだろうか? ガンは悪魔なのだろうか? 医療の場から一番排除しなくてはいけないのは「感傷」だと思う。それがあると冷静な判断が出来なくなる。

 そして検査で待たされることに文句をいっている。また、病院という組織に文句をいい、「こんなところでは死ねないと思う」という。緩和ケア医であるからこその見解なのであろうか?

 p191。「とにかく化学療法剤は好きになれなかった。・・どうもイメージが私をきらいにさせてしまった。」 理屈ではないのである。
 ひょっとすると、患者さんには化学療法を薦めるが自分はしないという医師は案外多いのかも知れない。臨床の場での患者さんへの対応では余命という数字を第一に考えるが、自分の場合はQOL(生活の質)を第一にする、とでもいったようなことも。「量」と「質」との対決?。
 しかし、それは本来、対立すべきものではなく、双方が大事で、しかし最終的には個々の臨床の場での状況に応じての判断しかないのだと思う。膨大な臨床統計から、目の前の患者さんの場合、化学療法をしたほうがいい可能性が40%、しないほうがいい場合が60%とでた場合、では即「しない」ということになるかといえば決してそうではない。というのは、臨床統計には残念ながら「患者さんの顔つき」といった項目はないからである。しかし医師の臨床判断にはそれが少なからず影響していると思う。もっと言えば、「この患者さんはこういう人」という、いわく言い難い何かである。「こういう」って何かといわれてもうまく答えられないのだが、やはり臨床の場にはそういうものがあると思う。

 この本を書いた2000年10月の時点で、河野氏は、原発巣はとったが再発は?という状態であったようであるが、2003年に亡くなっている。やはり、再発だったのだろうか? 「手術はするが抗ガン剤は使用しない。放射線療法もお断りする。代替療法心理療法はやりたい。」という方針がよかったのか? それは誰にもわからない。なぜなら河野氏という人間は世界に一人しかいなくて、一人の人間に二つの治療をして比較することなどはできないからである。