読んで来た本 9 (番外) 音楽関係

 わたくしは昭和22年の生まれで、小学校入学時にも(今から思えば)まだ敗戦後であり、音楽などというものに接触する機会もほとんどなかった。せいぜいラジオから流れてくる音楽で、今でも覚えているのが、「緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台 が鳴ります キンコンカン メイメイ仔山羊も鳴いてます。」(「鐘の鳴る丘」主題歌)、あるいは「少年探偵団」の主題歌、「勇気りんりん、瑠璃の色・・・」 調べてみると「鐘の鳴る丘」などわたくしが3歳くらいのラジオドラマだからおぼえているはずもないのだが、再放送でもされたのだろうか? とにかく難しい言葉がつかわれていたのに驚く。

 さて妹が小学校に入るころには少しは日本が豊かになって来たのか、我が家にもピアノが入って来た。それで初めて音楽に接することになった。
 中学に入ると親にねだって、当時ステレオといわれていた安いオーディオ装置を買ってもらった。まだLPの時代である。それでベートーベンの「熱情」を聴いて1、3楽章はともかく2楽章なら弾けるのではないかと思い楽譜を買ってきたら、♭が5つもある変二長調でびっくり、とかいろいろと馬鹿なことをやっていた。

 そのうちある時、高一位だろうか、滝廉太郎が西洋風の歌曲を日本で初めて作曲をしていた1900年ごろ、西洋ではすでに後期ロマン派の時代になっていたことに気づき、明治維新以降の日本の西洋受容の歪みということが音楽に典型的にあらわれているのではないか、というようなことを時々考えるようになった。

 西洋音楽の本流はドイツで、フランスなど完全に傍流である。イタリアが問題であるが深刻な音楽こそ正統と思っているドイツ派の人からみるとオペラなど娯楽音楽に過ぎないらしい。まあどれだけ高い音がでるかを競うなどというのはほとんど曲芸の世界ではある。

 ロシアやフィンランドのようなヨーロッパ辺境の地の音楽はロマン派から始まっていて古典派を欠いている(と思う)。つまりその当時のドイツの音楽と同時並行で進行していた。それが可能であるのは、音楽の根にあるものが同じであったからである。

 しかし日本では、なにしろ音楽の基礎となる音階や和声まで全く異なっていたのだから、まず音楽の根っこから教育によって国民を変えるという途方もないことを試み、兎に角も成功させたわけである。これにはおそらく戦争するための必要ということも少なからずあったはずである。あちらから日本の軍を指導に来た人は進軍ラッパを必要としただろうから。

 とにかくそういう日本の西洋音楽受容の特殊性ということから、片山杜秀氏のような日本近代思想史の専門家にして、かつ日本の近現代クラシック作曲の批評家というような人があらわれてくることになる。その二つは深く一体になっていて、決して別々のものではない。だから片山氏の「鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史」のような本が書かれることになる。

 日本の作曲家としては世界的にも最も名が知られているのは武満徹であろうが、「遮られない休息」から「弦楽のためのレクイエム」、「ノベンバー・ステップス」から「小さな空」や「波の盆」へと、氏は前衛から正統へと回帰していった。

 バッハからモツアルトまでの音楽をドイツ以外の国の音楽は欠いていて、どこでもベートーベン以降の音楽の模倣と追及から音楽が始まっている(と思う)。

 日本ではどうかというと、ベートーベンの古典的部分とロマン派的部分の双方を見本とする派が両立していたように思う。そこにさらに民族音楽派が加わり、三つ巴になっていた。ロシアやフィンランドの音楽がロマン派そのものであるのに比べると、やはりヨーロッパとの距離ということを感じる。

 その点、ヨーロッパの歴史と地理からの距離が微妙な北米の音楽、バーバーとかピストンとかの音楽はヨーロッパで完成した音楽理論の素直な実践という感じで微笑ましいい、

 ベートーベンがロマン主義を作った。ベートーベンがいなかったなら西洋古典音楽は今頃は古典芸能化していただろうと思う。
 しかし、ロマン主義というものは西洋の病根でもあったわけで、マーラーの「千人の交響曲」などというのはそれが咲かせた最後のあだ花なのだろうと思う。

 おそらく明治以降の日本人作曲家にもベートーベンはいつも背後から見張っている存在であったのだろうと思う。

 では、そんな頭でっかちに聴いてきて、こちらはどんな作曲家を好むのかといえば、今のところブラームスである。内に籠ったロマン主義? モツアルトはあまりに隙がなさすぎる気がするし、ベートーベンの後期は弦楽四重奏とかピアノソナタは誰もがいいというのだろうが、この曲と同じ時期に「第九」とか「荘厳ミサ」も書いているというのがよくわからない。
 そしてロマン主義?などといいながら、シベリウスなども好きなのだから、わたくしの好みも首尾一貫はしていない。

 それにしても、諸井三郎の交響曲3番のような作品が終戦間際に書かれていたというのはいろいろ考えさせられる。この曲については「鬼子の歌」の第6章で詳しく分析されている。
 日本のものでは尾高久忠の「フルート協奏曲」や芥川也寸志の「弦楽のための三楽章」なども好きというのだから、正統派・民族派おかまいなしという無節操である。

 明治からの日本の西洋受容を考える場合、日本の作曲家が西洋文明とどう対峙してきたかというのは大変面白い問題であると思うが、いかんせんその作品が舞台にかからない。あるいは初演のみで再演されることがない。
 今のクラシックの演奏会には若いかたが少ない。高齢者ばかりである。とすると、あまり名の通っていない日本人作曲家の作品など取り上げたらお客さんが来ないのかも知れない。だから相変わらず、古典派からロマン派の作品をとりあげることになるのかもしれない。ブラームスが好きなどといっていながら、こんなことを書いているのはおかしいと思うが、現代のアクチュアルな作品と一緒に演奏されてこそ、ブラームスも生きるのではないだろうか?

 昔々、まだ20代のころ、ブーレーズの「主のない槌」が演奏されるのに立ち会ったことがある。まるで宗教儀式であると思った。知り合いの作曲家にいわせると、ブーレーズの作品は譜面がとても美しいのだそうである。

 若いひとを演奏会場に引き戻すには、そこを社交場にする、見合いの場にするというような方向があるように思うのだが、さてそれにはどんな演目がいいのだろう? やはりオペラ? ラ・ボエームあたり?

 わたくしの若いころはLPの時代で、それがCDの時代になり、やがて配信の時代になって、you tubeなどできわめてマイナーな曲まできくことが出来る時代になった。諸井三郎の交響曲3番だって聴ける。やはりいい時代になったのであろう。