岡田暁生 片山杜秀 「ごまかさないクラシック音楽」(5)
第三章 ロマン派というブラックホール
1.ロマン派とは何か
岡田:ロマン派はクラシック・レパートリーの本丸。
片山:小難しい古典主義ではなく、階級を問わず広く受け入れられる新しい価値が「ロマン」。
岡田:ロマン派の時代は、1800年初頭からのほぼ100年と長い。しかしこの100年で世界は大きく変わった。馬車から汽車へ。深い森の闇への恐怖も失せていく。
古典派とロマン派では何かが根本的に違う。ベートーベンにはあった「終了感」がロマン派では失われる。ベートーベンが持っていた「社会へのメッセージ」から「個人のファンタジー」へと転換する。
片山:トルコの軍楽隊はヨーロッパのオーケストラの金管楽器や打楽器に大きな影響を与えた。
片山:トルコが衰えるとハンガリー音楽が流行する。しかしイギリスでは革命がなく王様・女王様を讃える音楽でよかった。
交通の発達の影響も大きい。お金持ちであるメンデルスゾーンの「スコットランド」や「イタリア」は大旅行の産物。
岡田:大きなコンサート・ホールが次々と出来て、それがブルジョアの社交の場にもなった。それに対抗するものとしてこぢんまりとした室内楽? それゆえ現代音楽は「アンチ社交」を標榜することにもなる。
ロマン派の音楽もある意味では、自分が解らなくなった人の不安に応えるものでもあった。
2.ロマン派と近代
ロマン派のもう一つの重要なテーマとして「命がけの愛」がある。それはあるいは「バカップル」なのかもしれないが・・・。それにしても、「愛」とロマン派は切っても切り離せない関係にある。
片山:ベートーベンは人類愛を歌った。だがシューベルトは失恋の話ばかり。
岡田:とすれば、今のポピュラー音楽はロマン派の伝統に連なる。愛が絶対善となっている。
片山:ロマン派は「女・子ども」の音楽でもあった。その典型としてのショパン・・
岡田:それは韓流スターの追っかけにも連なる?
片山:ベリオは「人間は三分間しか音楽を聴けない」といっていた。この「三分間」が「女・子ども」と結びついて花開いたのがロマン派
岡田:ロマン派は制限選挙の時代の音楽であるが、普通選挙の時代になるとポップスの時代となる。ジャズも大衆の時代の反映である。
ロマン派は「民族」という問題も抱えている。とはいっても、ドボルザークはドイツ語で教育を受けたインテリであり、チェコ語はあまり話せなかったといわれる。
日本でも作曲家で食えたのは山田耕作くらいである。
片山:シベリウスもまたドイツで勉強した人である。
3.ワーグナーのどこが凄いのか
岡田:さてワーグナーは、ロマン派のすべての要素を総合した人である。まずその長さ。またほとんど宗教儀式のような音楽。宗教なき時代にいかに宗教的恍惚を体験させるかという試み?
片山:SPの時代からLPの時代へのような変化。お座敷の小唄・端唄から重厚長大路線へ。
岡田:「全体性の探求」であるが、文学の世界では「失われた時を求めて」や「魔の山」が書かれている 女子供の世界からマッチョイムズへ移行する。
片山:ロマン派はファンタジー文学の元祖でもあるので、「指輪物語」や「ハリーポッター」にも通じるところがある。
岡田:「スターウォーズ」とそれにつけたジョン・ウイリアムズの音楽もまた。
片山:マルクスの図式とワーグナーの音楽には共通性がある。
岡田:ワーグナーの指輪・マルクスの資本論・普仏戦争の勝利によるドイツ帝国の誕生などが重なる。
ロマン派音楽の最大の顧客はブルジョア女子だった。
片山:サントリーホールのオープンではマーラーの「千人」も演奏された。
岡田:ブルックナーは音楽史のなかでも孤絶した存在で、田舎者の音楽。
どうも高級?なクラシック愛好家はロマン派を嫌うのかも知れない。ロマン派の音楽というのは音楽+αであるので、そのαという夾雑物を許せないのかも知れない。
わたくしは中井久夫氏の著作でヨーロッパにおける森の問題、魔女の問題、を教えられた。(「分裂病と人類」(東京大学出版局 1982) 「西欧精神医学背景史」(みすず書房 1999))
バッハの音楽にもモツアルトの音楽にもヨーロッパの暗い森の闇はないと思う。ベートーベンの「田園」もまた。そこには人間の心の奥にあるのかもしれないどろどろしたもの、得体のしれないものへの関心はないように感じられる。
ロマン派はそこに自分が探究する余地が残っていると感じたのかも知れない。
「ベートーベンにはあった「終了感」がロマン派では失われた」のも、ベートーベンが持っていた「社会へのメッセージ」がロマン派では「個人のファンタジー」へと転換したのもそれによるのではないだろうか? 関心が「社会」から「個人」へと移った。
大きなコンサート・ホールが出来て、ブルジョアの社交の場にもなれば、そこは当然情事の場ともなるわけで、作曲家としては、そんなことをしてないでもっと真面目に俺の音楽を聴けよ!という気分にもなって、こぢんまりとした真面目な室内楽を書くようになった?
現在では恋愛や情事のための音楽はポピュラー・ミュージックが担うようになり、それで現代音楽は夾雑物なしの痩せたものになっていったのかもしれない。当然、聴衆は減り、演奏会は少数の聴衆のための宗教的秘儀と化していった?
ロマン派の重要なテーマとして「命がけの愛」があり、世界の中心で愛を叫んだりしていたのかも知れないが、それは今では白けるものとなってきているのかも知れない。昨今話題の料理人さんのように恋愛教の信者はまだゼロになってはいないのかも知れないが、多くの人にはもはやそんなものは信じられなくなってきていて、でもそういうことが信じられていた時代への郷愁も捨てられず、それがロマン派の音楽が現在のクラシックの演奏会の中心レパートリーになっている一つの理由なのかも知れない。
「民族」という問題はわたくしにはピンとこない。
ワーグナーがどうしても好きになれないのは、そのためかもしれない。
不思議なのは本書では音楽史が論じられながらトリスタン和音などはまったく論じられないことである。これが無調への道を拓いたことは音楽史の常識であると思うのだが・・。そもそもソナタ形式なども取り上げられていないし、ソナタ形式の楽章・緩徐楽章・(メヌエットあるいはスケルツォ)・ロンドあるいはソナタ形式の終楽章というソナタや交響曲の形式も論じられない。
ワーグナーの指輪・マルクスの資本論・ドイツ帝国の誕生などが時期的に重なるとしても、わたくしはドイツの真面目さ(生真面目さ)というのがどうも肌に合わない。もしもドイツからカントとベートーベンが誕生していなかったら?
ブルックナーは田舎者の音楽家なのかも知れないが、ベートーベンだってそうなのだと思う。わたくしは大学時代、合唱団に入っていたことがあって、ブルックナーの「第三ミサ」と「テ デウム」を歌ったことがあるが、実に綺麗な曲だった。In Te, Domine, speravi://non confundar in aeternum.….
生き方としてのヨーロッパ文明はイギリスとフランスが完成させたものと思うが、ドイツは哲学と音楽という分野で誇れるものを残した。吉田健一の「ヨオロツパの世紀末」ではフランスと英国ばかりが論じられていて、ドイツはほとんど論じられない。そしてイタリアも。ドイツもイタリアもヨーロッパの辺境なのである。美味い食事と酒はフランスにある。それがあれば音楽などどうでもいいのかも知れない。例えば、シューベルトのピアノ三重奏第2番の緩徐楽章はとても素敵であるが、陰陰滅滅といえば陰陰滅滅かもしれない。ベートーベンはこんな音楽は書かなかった。
バッハは音楽そのもの、ベートーベンは頭と心で聴く音楽、ロマン派は心で聴く音楽?
ロマン派は音楽に様々な夾雑物を持ち込んだ。それによってクラシック音楽は生き延びることが出来た。そして20世紀の音楽はその夾雑物を嫌って音楽のみに立ち返ろうとして、また痩せてしまった。
一言でいえば、一時期のクラシック音楽は西欧啓蒙思想を小説とともに代表するものだった。小説は詩とことなり言葉以外の様々な要素を含む。20世紀の音楽は小説から詩に立ち返えろうとした。そうすると現代詩の読者は一握りしかいないように、現代クラシック音楽も一握りの聴衆のためのものになってしまった。現在でも現代詩の読者の何倍何十倍も俳句や和歌の愛好者がいるように、また小説の読者がいるように、クラシックの世界でも古典派やロマン派が存在しているということになるのではないかと思う。
芥川賞や直木賞は話題になるが、「芥川也寸志サントリー作曲賞」やH氏賞の受賞は新聞の片隅にも載らないのではないだろうか?