長木誠司「戦後の音楽」のなかの「戦後の音楽批評」
この章は他の章にくらべて短く、よく主張したいことがわからなかった。
わたくしには、いわゆる音楽評論家といわれるひとの文章で読むに値すると思われるのは吉田秀和さんのものだけである。吉田氏は音楽を材料にして考えるということをしているだけなのだから、考える材料は別に音楽に限られることはないことになり、それで最近の氏の書くものは音楽以外を対象にしたものが多い。
音楽について書かれた文章でわたくしに面白く思われるのはほとんどが作曲家によって書かれたものである。新聞での短い演奏会評のようなものでも、以前、林光さんや間宮芳生さんが時々書いていたものはとても面白かった。そこには「20世紀末のとある日曜日、東京でモツアルトが(あるいはストラビンスキーが)演奏されることの意味」という問題意識がつねにそこにあるように思われるからである。あるいはもう少しまとまったものでも、小倉朗さんの「現代音楽を語る」や柴田南雄さんの「「グスタフ・マーラー」あるいは吉松隆さんの「魚座の音楽論」など(芥川さんの「音楽の基礎」はあまり面白くなかった)である。いずれのひとにも現在の日本で西洋由来のクラシック音楽に由来する音楽を書いていることの意味という意識がつねに頭にあるからである。岡田暁生さんは作曲家ではなく音楽学者ということになるのだと思うが、このかたの書いているものにはいつも西洋クラシック音楽の現代における意味という意識があるように思えて、刺激的である。本書であげられている許光俊さんや片山杜秀さんの本が面白いのもその問題意識が明確であるからであろう。技術的な方向の話なら演奏家である青柳いずみこさんのもののほうが楽しいし教えられるところも多い。以前あるフルーティストが、聴いているひとは、このフレーズをどのようなニュアンスで吹くかというようなことを意識しているようだが、吹いているひとは、このフレーズを一息で吹けるかというようなことを考えているのをきいてなるほどと思ったことがある。
とにかく音楽批評を専門にするというひとの書いたもので、わたくしの持つ問題意識にふれてくるようなものに接した記憶があまりない(「20世紀の音楽」を書いた矢野暢さんは政治学者である)。それで自分がもつ問題意識というのはどんなものかなと考えてみると、概略以下のようなものではないかと思った。1)西洋音楽は人類に普遍的なものであるのか、西洋ローカルなものであるのか? 2)西洋音楽は物理学的な基礎を持つのか? たとえばC2という音には、C3G3C4E4G4B4といった倍音をふくむのであれば、これは下属和音への解決を志向するのであり、そうだとすれば、カデンツ構造というのは物理学的基礎をもつのではないか? そうだとすれば、これは普遍性を持つものであり、世界のどこにおいても発見されてもよかったものなのではないか? それがたまたま西洋で発見されたのであるか? 倍音というのは低音の上に生じるものであり、西洋がどういうわけか低音の上に成立する音楽を発達させてきたので、それでたまたまカデンツというようなものを発見したのであろうか? 3)吉松隆氏は「私はシベリウスやチャイコフスキーを愛する処から音楽に入った」という。これは日本が明治期に西洋を受容したあるいは脱亜入欧したからこそおきたことなのであって、西洋が受容されていないところではシベリウスやチャイコフスキーを聴いても、そのような作用がおきることはないのだろうか? 4)そもそも西洋音楽というのは“西欧的な個人”が成立していないところでは受容されないものなのだろうか? 5)西洋クラシック音楽において作曲家の名前が著しく大きいのは、それが一神教的な“創造”の神話をもっている文化の上に成立したものだからなのだろうか?
こんなことを考えても何の役にも立たないであるが、こういうことは「科学というのが普遍的な営為であるのか?、西洋ローカルな文化に過ぎないのか?」というポストモダン的な問いへの解答とかかわっているのではないかと以前から思っている。
西欧の秘密は科学と音楽の中にあるのではないかとずっと思ってきていて、それでそれへの一つの回答例が示されているのはないかと思って、この「戦後の音楽」を読んだのであるが、残念ながらそれは示されていなかった。
しかし、日本で音楽について考えるということになると、どうしてもそういう疑問が生じてくるのは避けて通れないのではないかと思う。むしろわれわれが非西洋圏にいて、それなのに西洋の音楽を聴いたり演奏したりあるいは作ったりしていることは、ある点でそういう疑問を考える上では有利な部分もあるかもしれないわけで、それを利用しない手はないのではないかと思う。
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