渡辺京二「近代の呪い」(3)第2話「西洋化としての近代」

 
 ここでいわれていることは比較的単純なことであると同時に本書の根となる主張でもある。「今日の近代化された社会は、同時に西洋化された社会でもある」という一見自明とも思える論である。その主張の裏にあるのは、「これから将来、中国やインドが世界の覇者になることがあるかもしれないが、それは西洋とは異質な中国やインドの文明が西欧を凌駕して世界を征するということではなく、西洋化した中国やインドがヘゲモニーをとることになったということなのだから、相変わらず世界を征しているのは西洋文明であり続ける」という見方である。毛沢東時代とは違って、今の中国の指導者はみな背広を着ているではないか、と。
 非西欧世界でおこなわれている教育も、そこでの学問は完全に西洋起源のものである。第一そこで教えられていることは西欧世界以外にはそれまで存在しなかった概念なのである。今日の小説の書き方もまた西洋由来。さらには美術や音楽についても同様である。
 こういう自明のように思われることに異をを唱えたのが1980年代ごろからはじまったサイードの「オリエンタリズム」などを中心とするポストモダンの流れを汲む思潮で、非西洋地域はそれぞれの主体的な動機によって多様な近代化を遂げたと主張した。
 しかしこれは近代化が西洋化であったという事実を否定するものであると渡辺氏は批判する。彼らは西洋主導の近代化が善であるとは認めたくない。その前の世代(たとえばライシャワー)の西洋的な近代化の無条件の肯定、世界は西洋化すべきであり、それが正しい歴史の方向であるとするような西洋中心史観を否定したいのである。それはわかる。それなら西洋が世界を制覇して「近代」を普遍化したことを認めた上で、それが「進歩」であり善であり、向上であるといった単純な価値観を批判して、その乗り越えの道を模索すべきではないか。
 世界の近代化=西洋文明の世界制覇であることはグローバリゼーションの動向をみれば明らかである。西洋起源の生産様式、生活様式、思考様式が世界を制覇することなのである。グローバル・スタンダードとはそのままウエスタン・スタンダードである。
 もちろん、西洋化といっても、アングロサクソンと欧州大陸では文化がかなり異なる。だが、自由、人権、民主、個人、平等、福祉、科学的合理性といった言葉はすべて西洋起源である。
 世界中の人間がそれぞれ国民国家の一員として存在するという形態、ひとりの人間が参政権生存権・教育権を国家から保証され、その代わりに納税と防衛の義務を負うという形態、つまり国民という存在形態も、ナポレオン以来のヨーロッパで生まれたものである。
 国民国家の実質は資本主義である。その生産様式が人々の暮らしをよくしたからこそ国民国家統合が可能になった。西暦元年には、人類一人あたりのGDPは400ドル、西暦1000年にも400ドル、1820年で600ドル、それが2000年には6000ドルになった。その成長を可能にしたものは、1)私有財産制の確立、2)科学的合理主義、3)効率的資本市場の成立、4)移動、通信手段の進歩、である。とにかく資本主義が人類にそれまで経験したことのない豊かさをもたらした。
 西洋的な資本制体制でなければ生き残れないとして、世界のすべての地域が西洋の制度を輸入しようとした。それで非西洋地域の様々な伝統が破壊されたが、この資本制体制は同時に「古きよきヨーロッパ」も壊したことを忘れてはならない。
 世界は経済化した。こういう経済の肥大は当然、それに反対する脱経済成長主義という思想も生む。より少ないもので満足し、より少なく労働して、自然と仲間との交わりにおける共愉を重視しようというような立場で、イリイチなどの主張ともつながる。しかし、世界で現在さまざま見られる問題や混乱などを、そのまま西洋的な価値観、西洋的な思考の特性がもらたしたのだとしていいのだろうか?
 西洋が生んだ思考法、制度、生産様式、技術・設備が全世界を制覇して普遍的な近代モデルとなりえたのは、何よりもそれが人類史上画期的な衣食住の向上をもたらしたからである。だが、その向上は強力な国民国家の形成とワンセットでしか実現できないものだった。植民地は過去のものとなったかもしれないが、一国の経済が外国資本によって支配されてしまう可能性は現在にも存在する。
 国際競争に負けて悲惨なことになるのではないかという脅迫観念は、われわれにいつもつきまとっている。だが、西洋化が生き残りのためのやむを得ない選択であったのかといえば決してそうではない。夏目漱石は明治の近代化を善悪以前の強制力の産物と考えていたが、明治の小説家のなかでもっとも西洋的な性格の強い小説を書いた人であった。
 非西洋の人々、なかでも知識人は西洋を歓呼して迎えたのである。西洋に、人間の新しい可能性、文明の魅惑的なありかたをみたのである。もちろん、同時にそれに強烈な違和感も感じながらではあるが。西洋近代の激烈な批判者であったドストエフスキーは、同時にヨーロッパの文学や思想を熱烈に愛した両価的な人間であった。
 何よりもまず「人権」の魅力である。そこから自由も平等もでてくる。「侵すべからざる個人」というものは非西洋の人間にとって実に鮮烈な観念であった。個の自覚は、共同社会であるとか、地域・職能集団、あるいは国家・民族とかいった人間のもう一つの側面と鋭く対立するものであるので、近代欧州においてもそのはじめから緊張をはらんでいたのだし、21世紀にいたっても、その緊張への満足すべき解答はえられていない。しかしそれにもかかわらず、近代ヨーロッパがもたらした「侵すべからざる個」とそれに由来する「自由」「平等」という価値は、近代ヨーロッパが人類に差し出した不動の贈り物となっている。
 さらにもう一つの贈り物として、近代科学とそれに関連するテクノロジーがある。これを除外した人類の将来など想像もつかない。近代科学は非西洋地域の人々に福音として受け取られたのである。
 もちろん、西洋が生んだ近代文明の主人公として、いつもまで欧米があり続けることはない。将来、中国あるいはインドが主人公になるのかもしれない。しかし、そうであっても、それは中国由来、インド由来のものではなく、相変わらず西洋由来のものであることを忘れてはならない。
 近東で農業と都市が生まれ、ギリシャで哲学と悲劇と市民的徳性が生まれた。人類の共有財産として、それらは地域的文明が持ち回りで受け継いでいく。特殊を通して普遍が実現されていく。
 西洋が生んだ近代モデルは様々な問題点を持つ(たとえば、経済の異常な肥大)。しかしそういう問題と同時にしか実現されない普遍的価値というものがあるのである。
 
 ソヴィエト連邦が崩壊したのが1991年末である。もうそれから20年以上がたっている。わたくしのいままでの人生の3分の2には社会主義圏というものがあった。今でも中華人民共和国はありそこには共産党がある。朝鮮民主主義人民共和国には朝鮮労働者党がある。しかしそれを社会主義国であると思うひともあまりいないようである。
 だが、1985年の時点で、世界のグローバル化は不可避であり、それはそのまま西欧化つまり西側化のことであり、資本制社会化のことである、などといっても誰からもまともには受け取ってもらえなかったであろうと思う。
 まだ東側が健在であり、東西冷戦というものがあった。スターリン批判が1956年であり、ハンガリー動乱もその年であるので、現実のソ連については必ずしもよしとしない人も多かったであろうが、大内兵衛氏のようにマルクス大好き、ソ連大好きの人間はハンガリー動乱などは西側の策動による反革命の動きであると言っていたし、一部のひとはソ連に幻滅して中国文化大革命(1966年)に希望をつないだ。ソ連にも中国にも幻滅したひとは、スターリン毛沢東などの指導者の個人的な資質により国がゆがめられて変質したのであり、そういうことがなければ社会主義国はもっとまともであったのにといっていた。それに、かりにソ連や中国が天国ではないとしても、西側のほうがもっと悪いと思っているひとはたくさんいたはずである。また東側は政治体制としては問題があるとしても軍事的にはきわめて強力であると思われていたので、21世紀を待たずに東西体制が崩れ、西だけになるなど予想していたひとは1985年時点ではほとんどいなかったと思う。わたくしもまたそんなことは夢想だにしていなかったので、ゴルバチョフがでてきたときはソ連も少しは変わるのかななどと思ったが、あっけなくソ連という国家体制が消滅してしまうなどとは考えてもいなかった。普通ああいうときには軍部がでてきて独裁体制を弾くものであるが、なぜそうならなかったのだろう。むしろ東西冷戦のころには核戦争で地球上から人類が消失するという可能性のほうがまだしも現実性のある話と思っていたように思う。「渚にて」という映画は1960年ごろの公開だった。わたくしも観た記憶がある。
 しかしソ連崩壊後20年以上たった現在では現実の政治体制としての社会主義というものに希望をつなぐひとは、もうほとんどいないようである。だが、マルクス主義もまた西欧由来の思想である。「自由」と「平等」という言葉をその思想の背景に持つ。社会主義を批判するひとは、そこには「自由」はないとする。「侵すべからざる個」というものがゆるされず、全体主義的な管理下に「個」がおかれるとする。
 東西対立時代には「西」は「自由」、東は「平等」と思想的には思われていたのではないだろうか? そこで「侵すべからざる個」というのが問題となる。これが「利己主義」に通じるとするものは多い。他人はどうでもよくて自分さえよければいいという醜い主張であるとするわけである。そして社会主義のもっていた魅力というのは、反=利己主義という部分が非常に大きいのではないかと思う。自分のためにではなく、みんなのために、人々がよりよい社会に向かって力をあわせていくというようなイメージ。だから右と左の一部には共通する部分があるはずで、岸信介元首相も「美しい日本」を愛する現首相も、ともに利己的な個人などというのは大嫌いなはずである。
 しかし、「自由」にしても「平等」にしても、まずは生きていなければ意味のない言葉であるし、腹が減っては「自由」どころではない。そして東西の体制のなかで飢えや貧困を克服したのは西の体制であったわけである。西が思想的に勝ったわけではなく、たまたま腹をくちくすることの成功したのが西であったということである。
 社会主義の理論では、資本制の体制下では労働者は収奪されるだけであり、一部の資本家がほとんどすべての富を独占してしまうはずであったのだが、実際には東の経済体制は西に負けたのである。それでも1960年ごろには計画経済は、資本主義の欲の皮が突っ張ったものたちが無原則に争う社会よりも効率よいという見方もあったのだが・・。ある時期のソ連は五カ年計画とかいうので着々生産性を拡大しているように見えていた。しかし東側が倒壊してみるとその生活のレベルは西にくらべて非常に劣っていたし、北朝鮮では飢えが今でも現実の問題である(新聞が朝鮮民主主義人民共和国と書かずに北朝鮮と書くようになったのはいつからのことだろうか?)。
 もしもマルクスがあんな思想を吹聴することがなければ、世界は今もう少しはまともなものになっていたのか、それともマルクスという批判者がいたので資本制はむき出しのものではなく、少しはオブラートにつつまれたものとなったのだろうか? 歴史は一回限りのものであるので、それは検証のしようもないことであるが、少なくとも福祉といわれるような分野は社会主義への対抗として成立した部分も少なからずあるのではないかと思う。
 そして、今われわれが世界に普遍で当然のこととしているが実際には西洋由来であるような価値観や制度の、どの程度が本来は社会主義に由来しているのであるかである。自由とか平等とかはフランス革命に由来することになっている。そしてソヴィエトの革命も中国の革命もフランス革命の衣鉢をつぐものであったはずなのである(フランス革命の問題は次章で詳しく検討される)。
 マルクス主義の根は私有財産制が諸悪の根源ということなのだから、私有財産制の保証が豊かさを実現するための必須の条件であるのだとすれば、社会主義の勝ち目ははじめからないことになる。元共産党員である渡辺氏がそう述べるのである。
 本書では西洋≒資本制として議論が進む。しかし、マルクス主義もまた西洋のものであると思うので、この辺りいま一つすっきりしないものが残る。本書で渡辺氏は反=西洋あるいは非=西洋のさまざまな思潮を検討するのだが、マルクス主義もまた反=西洋思想の一つということになるのだろうか? マルクス自身は未来の共産社会というものについて具体的なイメージはあまりもっていなかったかもしれないが、少なくとも「侵すべからざる個」を否定する全体主義的管理社会などというものには真っ向から反対したはずである。そして共産主義実現のために闘った多くのひともまたそうだったはずである。未来の共産主義社会は「豊か」で「自由」なものとしてイメージされていたはずなのである。しかし現実に出現したソヴィエトを見てみると、そこは「豊か」でもなく「自由」でもないように見えた。だが、そうなるのは東側をおそれなんとしてでもそれを封じ込めようとする西側陣営の策動のためなのであり、そのような干渉がなければ、東側ももっと「豊か」で「自由」になっているはずだと思っていたひとは多かったのではないだろうか? 社会主義というのは「理論的」には「豊か」で「自由」な社会であるはずなのである。
 一方、冷戦当時にも東側を強く批判する知識人もたくさんいた。かれらがいっていたことは、東の体制は「侵すべからざる個」が抑圧される体制であるということであった。東側の体制では人々の腹がくちくならないという方向からの批判はあまりみかけなかったように思う。橋本治が貧乏という問題はそれだけでは思想の問題とはならないが、「貧しいことはみじめなことである」ということを喝破した時点で社会主義は思想になったというようなことをいっていた。社会主義は経済理論としてではなく「思想」として論じられていたのである。
 わたくしの神輿である吉田健一は西洋派あるいは西欧派(アメリカ嫌いのヨーロッパ好き)なのであるが、世界を征服した19世紀ヨーロッパを否定して18世紀ヨーロッパを称揚する「古きよきヨーロッパ」の擁護者である。こういう姿勢も一種の反=西洋なのだろうか? しかし氏が擁護する18世紀は啓蒙の時代であり自由や平等はそこに由来する。啓蒙思想は飢えの克服にどの程度役だったのだろう?
 ポストモダン思想というのも一種の反=19世紀ヨーロッパなのだと思う。わたくしがポストモダン思想にふれたのは(今から思うと)科学哲学によってであったのだと思う。科学哲学の主流がめざしたのは19世紀的科学の相対化ということであろう。今できあがっている科学という観点からみると、ケプラーニュートンも科学のひとである。しかしカプラーやニュートンが想起していた世界というのは、科学の世紀にいるわれわれが現在想起する世界とは似ても似つかぬものである。したがって、それを連続した科学的見方の発展として理解してはいけない、としていた。いまわれわれが普遍的と思っている科学的見方というのも実はたまたま西洋という地方に、ある時期に普及しているだけのローカルな文化に過ぎないことになる。
 これは進歩ということを否定して、ただ変化があるだけであるとする見方である。科学的な見方は、別の地域にある魔術的見方と等価なのであった、その間に優劣はない。第一、ニュートン錬金術師であったのだし、ケプラーは天球の音楽を追究したのだ。彼の本をちゃんと読んでみれば、そこにあるのが神秘思想と音楽論であることがわかるといったように。
 わたくしは、科学哲学者のなかでも異端で、「われわれの時代は、いろいろなことにもかかわらず、われわれが歴史上のあらゆる時代のなかでも最良のものであり、また、われわれが西側にあって生きている社会形態は、多くの欠陥にもかかわらず、知られているかぎりで最良のものである」などと臆面もなくいう進歩ということを信じるポパーに帰依している人間であるので(この文章での西側というのは東側を意識しての西側であり、西欧のことではない。この文章は東西冷戦が存在していた時代におこなわれた講演(1958年)の記録)、科学哲学のポストモダン的な部分にはあまり影響されることはなかったけれども、村上陽一郎さんの本などを一時期面白がって読んだものだった。それらを読んだことによって「価値中立的な科学」ということを信じなくなったように思う。
 科学論としてはポパーのものがわたくしには一番説得的であるが、ポパーのいっていることは現実の科学にはほとんど適応できないようにも思っていて、実際の科学の営為を描いたものとしてはクーンの「ノーマル・サイエンス」のほうがずっと実態に近いと思っている。そしてこの「ノーマル・サイエンス」という見方がクーンの主張にもかかわらず「価値中立的な科学研究」(われわれは物質の研究をしているのであって、物質はただ物質であってそれ自体には善悪はない。われわれの研究をどのように使うかはについてはわれわれは関知しないところであって、使うひとには責任はあるが、使われたことの結果については、研究しているわれわれには責任はないというような主張)に免罪符をあたえているのだとするフラーの論は納得できるものであると感じる。渡辺氏はポストモダン的な見方を批判するが、科学についてのポストモダン的な見方についてはあまり考慮していないようである。
 本書で批判されるポストモダニズムはサイードなどの主張である。わたくしはサイードをほとんど読んでいないけれども、「オリエンタリズム」などでいっていることは、今までの「オリエント」のイメージは西洋という偏見の目を通して形成されたものであるので、「オリエント」自体からそれを修正していかなればいけないという程度のものではないかと思うのだが違うのだろうか? 日本はフジヤマ・ゲイシャではありませんよとったような。要するに西洋の見方がすべてではなく、また別の見方もあるのだといったような価値相対化の方向である。科学におけるポストモダンが科学もあれば魔術もあるという方向で相対化をはかるのと同じである。
 問題は相対化が並列化となりどちらにも優劣はありませんという方向にいくことである。科学と魔術では説明力が違うということがそこから抜け落ちてしまう。われわれはどう考えても科学のほうが説明力があると思ってしまう。しかしポストモダンのひとにいわせれば、現在のわれわれに科学が説明力があるように見えるのはわれわれが科学を信奉している世界に生きいるからで、魔術が信奉されている世界にいけば魔術が説明力を持つのであるというようなことをいう。それに呪術者のやりかたを子細に見ればその行動はきわめて合理的であり、なんらわれわれにとって理解不可能なものはないというようなこともいう。つまりいろいろな見方があるということが眼目で、一つの見方で凝り固まっているひとを脱力させてその視野を広げさせるというのがその持つ効能なのではないかと思う。
 なぜわれわれが科学を信奉する世界に生きるようになっているのかということはポストモダンの人は問わないのである。その見方がすべてですかということをいう。一方、渡辺氏は科学が世界を制覇している、その事実から目をそむけるなという。しかし、目をそむけたい人もいるのだと思う。現代の世界を見て、われわれが目指してきたものの成果がたったこれだけかと思うと悲しくなるひともたくさんいるのである。
 そして本書をスリリングなものとしているのは、渡辺氏もまた現在われわれが得ているものを鼻をつまむような思いでみているひと、現在を少しも肯定していないひとであるからである。アナール派などがポストモダンとどうかかわるのかはよくわからないが、氏はアナール派に相当近しいものを感じているようであるし、さらにイリイチアナール派などとどうかかわるのかもわからないが、氏はイリイチへの親近感を隠そうとしない。
 わたくしにはイリイチはD・H・ロレンスの系譜であるように思えるが、ロレンスもたどればニーチェにいきつくのであろう。「われわれをこのおしまいの人間にしてくれ! そうすれば超人はあなたにあげる!」 近代はすべての人間を「おしまいの人間」にしてしまった。「おしまいの人間」は自分たちは幸福であると思っている。しかし、あなたがたは幸福ではないのだと「超人」である知識人がいう。知識人が世界にもたらしてきた惨禍のほとんどはこの構図にもとづく。
 知識人は何が正しいかを知っている。知っていてその正しさに世を導こうとして結果として悲惨をもたらしてきた。マルクス主義もそういう事例の一つなのであろう。善意こそが惨禍を招来させる。しかし、そうだからといって、それがわかったからといって、今の世の中がまともであるともどうしても思えない。とにかく現状を肯定はしたくない。異議申し立ては続けなければならない。そういうひとはたくさんいる。
 しかし、そういう「左翼の残党」(渡辺氏もその一人なのではあろうが)の続けている異議申し立て(ポストモダンの流れもその一つ)は所詮自己慰撫にすぎないではないか、抗議を続けるひとが良心の人であるなどという思いこみは捨てろ! まず負けを認めろ! その上で出直せ! というのが渡辺氏のいうところである。
 人々を豊かにできたのは資本制だけである。飢餓への不安を払拭できたのは資本制である。そしてその制度はどういうわけか「侵すべからざる個」も実現した。要するに物質が大事なのだった。
 渡辺氏は中国の首相は今では背広を着ているではないかという。毛沢東は人民服を着ていたのに、と。現在世界で背広を着ていないのがイスラム圏である。「万象の訪れ」に収められた「聖戦の行方」という文章(1980年のもの)にホメイニによるイラン革命が論じられている。「イスラム革命も、中国文化大革命も、ともに西欧型の進歩を拒否して、物質的生産力のギャップを精神性で乗り越えようとする試みである。・・一億総アブラ漬けになって、物質的繁栄の栄光と悲惨を体現している私たちにとって、西欧型進歩を拒否するイスラム革命は、十分憧れと驚異の対象となりうるのだろう。・・・(しかし)いまイランで遂行されている“聖戦”は、われわれが三十数年まえに遂行したそれであることを、思い出すことこそ肝心である。」
 文化大革命のほうはもうとっくに過去のものとなったが、イラン革命はまだ健在である。西欧型の進歩を拒否して、民族服を着続けている。もしもたまたまアラブ地域に存在する石油という物質のもたらす富によって豊かさがもたらされ、飢えから解放されることができたのだとすれば、自由や平等という西側的価値は二次的なものであるのかもしれない。あるいは豊かさは世界で普遍的にもとめられる価値であるかもしれないが、自由や平等は決して普遍的に求められるものではなく、地域に相対的なものであって文明の価値観に依存するものなのかもしれない。
 70年前の日本だって石油という物質の不足によって敗れたのであり、もしも瑞穂の国が石油湧き出る国でもあったとすれば、大和魂が世界を席巻していたかもしれないのである。世界の覇権を決するのは思想ではなく物質であるのかもしれない。しかし人間にとって大事なのはモノではなくココロであると信じたいひとは多いわけで、そういうひとは物質文明であるようにみえる西洋文明を嫌い、反=西洋の陣営にいく。
 「左翼」の陣営のひとはその崩壊後、いろいろなところに退却して塹壕戦をおこなっているわけであるが、当然一部はイスラムにいく(そういうひとたちはイスラムではなくイスラームという表記をするのだそうである)。またフェミニズムのほうにもいく(フェミニズムのひとたちがイスラム圏の女性の問題についてどう思っているのかはよくわからない)。
 要するに、現状にノンということ、今このままではいけないとすること、それを己の役割と規定する。体制を肯定するのではなく、反=体制でいく。しかしマルクス主義を奉じたひとびとがその善意に反して、結果としては人々に多大の不幸をもたらしたようにフェミニズムが女性に幸福をもたらしたとは限らないわけで、フェミニズムが残したものはフェミニズム運動にかかわってひとたちの自己肯定だけだったかもしれないわけである。
 渡辺氏の書くものを読んでいると、そういう知識人の自分が「義の人」であると思いたいがための言動に強い違和を感じていることが随所にうかがわれる。しかしその渡辺氏も典型的な知識人なのである。自分が知識人であり知識人にしかなれない人間であることを十分に自覚しながら、知識人の病に陥らないでいくにはどうしたらいいかということがつねに頭から離れない、その緊張が氏の書くものに力をあたえているのだと思う。
 そして氏を多くの知識人とは異なる存在にしているのは、その一種の宇宙的とでもいいたいような感覚なのであろうと思う。「女子学生、渡辺京二に会いに行く」で、渡辺氏はこんなオダをあげている。「自分が生きていくということ、これが一番大事で、なぜそうなのかというと、この宇宙、この自然があなた方に生きなさいと命じているんです。わかるかな。/ リルケという詩人がいますが、彼は人間はなんのために存在しているんだろうと考えたのね。・・その時に彼は世界が美しいからじゃないかと考えたんです。空を見てごらん。山を見てごらん。木を見てごらん。花を見てごらん。こんなに美しいじゃないか。ものが言えない木や石や花やそういったものは、自分の美しさを認めてほしい、誰かに見てほしい、そのために人間を作った、そうリルケは考えたのね。・・これは科学的根拠なんか何もない話で、学問的に考えると、とくに理科系の人は、そんなのは自然の目的論的解釈で、非科学的な哲学だというわけだね。でも哲学でけっこうなんだ。これは哲学なんだから。・・そう思ったら、この世の中に存在意義がない人間なんか一人もいないわけ。・・人間は一対一ではつながることはできないが、自分を越えた大きなもの、天地をいうものを媒介にしたならば、つながることができるというふうに僕は考えるのですね。/ 僕らよりももっと大きな存在がありまして、僕らをこの地上に生ましめたところの、世界のしくみというのがありまして、その世界のしくみというものは、さっきから言っている、山であり、川であり、風であり、雪であり、あるいは花であり、石ころであり、そういう自分を越えた大きな存在です。そういうものを感じることによって、人と人はつながる。」
 氏はリルケの論を根拠のないもので非科学的と特に理科系のひとはいうであろうとしているが、理科系の科学者でこういう主張をしているひとはいると思う。「人間原理」とか呼ばれているのではないかと思う。ビッグバンのはじめから、ほんのちょっとしたゆらぎがあれば現在のような宇宙は存在しておらず、したがってわれわれ人間は存在していない。しかし事実としてわれわれは存在している。それは偶然の産物として説明することは不可能なことである。そうだとすると宇宙のあらゆる常数をわれわれの出現を可能にするようなものに定めたものがどこかにいる必要がある、というような議論である。
 こういう論をきくと、西洋世界におけるキリスト教の呪縛というのがいかに大きいかということを感じる。こういうのは究極の理神論である。どこで読んだのかは忘れたがイスラムの神というものはそういうものではないらしい。イスラムの神は現在にも存在しているので、今世界がこのように動いていても明日神のこころが変われば違うように動くことになるのだそうである。そういう見方があるところでは西洋的な自然科学というのは生まれてこないであろう。
 科学の問題はともかく、ここで氏が述べている自然との共感のようなものを読むとどうしてもD・H・ロレンスを想起してしまう。もっともロレンスは人間より馬のほうが美しい動物であると思っていたかもしれず、人間が馬のように美しい動物になるべきと思っていたのかもしれないから、宇宙が存在する理由は馬をつくりだすためと思ったかもしれないが。
 わたくしのロレンス理解はもっぱら福田恆存を経由したものである。実はロレンス自体はほとんど読んでいない。小説は読めない(読んだのは「チャタレイ夫人」くらい)。読んだのは「黙示録論」や「無意識の幻想」のような評論、あるいは詩くらいである。小説が読めないのはロレンスの宇宙感覚のようなものをわたくしがまったく欠いているためなのだと思う。渡辺氏の同志である石牟礼道子氏の小説(「苦海浄土」はもってはいるのだが)を読めないのも、やはり石牟礼氏が持つきわめて濃厚な宇宙感覚、自然との共生のような感覚を、わたくしが持っていないためなのだろうと思う。
 今まで参看した限りでは、渡辺氏の書いたものに福田恆存に言及しているものはないように思うが、わたくしには「芸術とは何か」とか「人間・この劇的なるもの」といった福田氏の評論が渡辺氏の書いているものからどうしても想起されてしまう。「自分を越えた大きなもの、天地」などというのはもろに福田氏であるし、カトリック無免許運転を自称した福田氏はこういう見方がカトリックと通底するものであることは強く自覚していたはずである。
 渡辺氏は「自分を越えた大きなもの」といっても個別の宗教と結びついてはいけないというのだが、洋学派の渡辺氏であればまずカトリック、あるいは日本人であることからすればきわめてカトリックと親和性の高い親鸞あたりにいってしまいそうである(浄土宗の系統の宗教を宗教学者の多くは仏教とはみとめないらしい)。そして、渡辺氏が「逝きし世の面影」で描いた世界は、福田氏の用語での「スラブ」、西欧の「知」に汚染されていない世界の美しさにそのまま通じるものであるように思う。
 わたくしが福田恆存路線を捨てたのは福田氏がいう「自分を越えた大きなもの、天地」といったものが最終的には(少なくともわたくしにとっては)言葉であって、体に実感できるものではないと悟ったからで、それで人間を特別視しない、アンチ=カトリック路線の、人間もまた一個の動物である派の吉田健一路線に乗り換えた。健一路線はおよそ自然というものに無関心である。あるいは自然はたんに等身大の自然であって「母なる自然」といった美化や賛嘆の対象となるものではない。
 世の中には自然と共鳴・共感できるタイプのひともいるので、どうもこれは生まれつきなのではないかという気がする。わたくしにはそのレセプターが備わっていないらしい。渡辺氏はそれを持ったひとのようである。
 だからあるところから渡辺氏の議論についていけないところがでてくるのだが、その論を読んでいて、マルクスが「共産党宣言」を書いた1848年からのソ連崩壊までの150年間にマルクス主義が世界にもたらしたものというのは一体何だったのだろうかということをあらためて考えてしまった。
 共産主義キリスト教的世界観の一変形であるとする見方はひろく受け入れられている。マルクス主義は過去のものになったが、2000年の伝統を持つカトリック思想はまだまだしぶとく生き残るのかもしれない。
 日本は西洋を受容したがキリスト教は受け入れなかった。しかし、西洋流の科学の成立にはキリスト教的世界観は必須であったわけである。キリスト教という地域に特殊な文化が自然科学という普遍を生んだ。自然科学を生んだのはもっとさかのぼってE・O・ウイルソンがいう「イオニアの魔力」と呼ぶものなのかもしれないが、イオニアもたまたま西欧に位置した。
 もう一つ西洋が世界を席巻しているものに音楽がある。これはたまたま西洋が別の理由で世界を支配したので、その音楽がそれに付随して世界のものになったのか、それとも音楽自体が普遍的に広まる潜在的な力を持っていたのか、どちらなのだろうか? ベートーベンなどという作曲家は西洋以外からは絶対に出なかったであろう。彼がしたことは一種の世界の創造なのである。
 そしてさらにロマン主義の問題がある。ポストモダン思想をふくめ広く存在する反=西洋思想の根にあるものはロマン主義なのであろうと思う。ロマン主義は「個」の問題と深くかかわる。ブルマらの「反西洋思想」によれば、「アイザヤ・バーリンロマン主義運動を、反啓蒙主義運動の一部とみなしていた。啓蒙思想家たちは、人間の歴史とはより幸福でより合理的な世界へと直線的に進行するものだという楽観的な見解をとっているが、ロマン派は異なり、「純真」「堕落」「救済」といった古くからある宗教的概念を好んで使う。ロマンチストは常に、自らが「奈落の底」にいると感じており、救済の希望の中で天を見上げている存在と見なしていた。堕落は完全な「断片化」、つまり真実の自己からの離反、人間社会からの疎外、自然(あるいは神)からの疎遠などによって特徴づけられている。・・ロマン主義に共通する確信は、過度の合理主義が、以前は活発な有機体だった西洋に致命的な腐食をもたらした、というものだった」とされている。
 「自然からの疎遠」という視点は渡辺氏にもあるだろうと思う。氏は西洋の合理主義にはいささかも満足できないひとなのである。
 西洋における「科学」「音楽」「ロマン主義」の問題についてはこれからもずっと考え続けていくことになるのだろうと思う。

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