仲正昌樹「集中講義! 日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか」
NHKbooks 2006年12月
東浩紀氏のポストモダン論を読んでいるうち、何だかポストモダンのイメージがもやもやしてきた。それで別の人のポストモダン論を読んでみることにした。
仲正氏は例によってマルクス主義から話をはじめる。氏は、《西欧近代の本質を合理主義(あるいは理性中心主義)にあると見て、マスクス主義のような“反近代”の思想も、理性中心主義という点では西欧近代思想の大枠は逃れていないのだ》とするような、ドイツのフランクフルト学派やフランスの構造主義のようなポストモダン的な見方を、日本の戦後思想はとれなかったことを、日本の現在思想の問題点として挙げている。それは戦前の京都学派などが「近代の超克」などといったりしたことがあり、西欧近代を全般的に批判するような議論が右に通じるとしてタブー視されたことが関係しているとしている。
それで保守派はアメリカに象徴される自由主義(西欧)近代を、革新派はソ連に代表される社会主義的(西欧)近代を、それぞれかついで、どちらも西欧近代派という点では同じ穴の狢状況にあったのであり、浅田彰氏が台頭する80年代までは、本格的な近代批判の言説は日本では大きな思想的潮流とはなることがなかった、そう仲正氏は総括している。その中である程度「西欧近代」批判の視点をもっていたのは丸山真男なのではないかという面白い指摘を、仲正氏はしている。丸山氏は西欧近代の限界を示唆しながらも、それでもとりあえず西欧近代をめざせとしたのだという。
日本にマルクス主義が輸入されたとき、日本にはマルクス主義が敵対すべき近代合理主義の論理も、キリスト教の良心も、近代科学の精神も、なにもなかった。だからマルクス主義は思想的に闘う相手がいなくて観念的な理論信仰へと陥っていった、という。日本において、西欧近代の限界を見えにくくしたのはマルクス主義であった、というのが仲正氏の主張である。
しかし、1960年半ばからの新左翼系の運動の中からは、近代批判的な契機が少しづつみられるようになってきた。1965年の「自立の思想的拠点」で吉本隆明は「天皇制国家の本質は宗教である」とした。これは下部構造が意識を規定するとするマルクス主義とは根本的に対立する見方であった。さらに1968年刊の「共同幻想論」はそれだけみれば社会主義革命を否定する保守の思想とさえ読めるものである。
次に消費社会の問題が論じられ、ボードリヤールが消費に向かうわれわれの心性は奇跡を待望する未開人の魔術的心性とかわるところはないといっていることが紹介される。
西欧近代の思考とは、主体=精神 対 客体=物質という構図に依拠しているのであり、それの解体を目指したのが構造主義あるいはポスト構造主義であった。当然、構造主義はマルクス主義と対立する。メルロ=ポンティは歴史は基本的に偶然なものであるとした。フーコーは、各時代にはそれぞれの「知の体系(エピステーメー)」があり、その時代のありかたはそれに規定されるのであり、知の状況が変るときには、エピステーメーが全体として変化するのだとした。マルクスの時代のエピステーメーは「人間」という概念を中心に形成されていた。そこでは「人間」には普遍的な「本性」があるとされた。しかし、20世紀になって登場した文化人類学と精神分析学は、「人間」という概念を前提としていない。フーコーはこれを「人間の終焉」と呼んだ。ヒューマニズム(人間中心主義)に疑念が呈されるようになったのである。
思想界では、旧来からの暴力装置に依拠する“大きな権力”から、一人一人を内側から自己規制する“小さな権力”の問題へと、その関心が移っていく。
ここで問題になってくるのが、旧来の理性中心主義を批判したとしても、また別の人間像を提示するとしたら、それはまた別種の人間中心主義につながってくるのではないかという疑問である。究極的に人間とはどのようなものであるのかという問いそのものが、“究極の真実”という西欧近代の思考法そのものなのではないだろうか? そういう批判の視点を提示したのがデリダなのだという。
仲正氏によれば、マルクス主義を代表とする近代的な知には、客体を分析する自分の姿勢を疑うことをしない奇妙な“生真面目さ”がある。自分を批判的に見る“メタ・レベルの視点”を欠くのである。このような“生真面目さ”を批判したのが浅田彰の「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」という姿勢であった。
1990年ごろから「現代思想」は流行らなくなってきた。世界的にみても、哲学・思想は、フランスの構造主義・ポスト構造主義から、英米系の分析哲学・科学哲学・正義論などにシフトした。ふたたび理性主義に戻ったのであり、近代的な知への回帰したのである。
仲正氏は、「現代思想」が流行らなくなったのは、外的要因としては、バブルの崩壊とソ連・東欧ブロックの消滅であった、という。しかし、アメリカを中心とするグローバリズムの進展が、再び資本主義の制覇への不安を呼び、それへの批判を復活させることになった、そう氏はいう。ポストモダン派がそれまでのマルクス主義にかわって左派を形成するようになるのである。その結果、何だかまた旧態依然の左右対立の図式が復活しつつあるような気配さえある。しかし普遍的な合意への信頼は消失してしまっているので、個別の問題に自己の関心を限定するようになっているのだが、と。
以上みてくると、「大きな物語」の消失というのは、直接はマルクス主義の凋落などであるが、もっと根本には理性中心主義への疑問、人間理性への信頼失墜ということがあったということであるようである。
フーコーのエピステーメーの紹介などを読んでいると、わたくしが一時、面白がって読んでいた村上陽一郎氏紹介の欧米の科学哲学などは、まさにフーコーそのものであったことがわかる。ポストモダン哲学は難しくて全然わからなかったけれども、それなりにポストモダンの議論には接していたわけである。
仲正氏によれば、日本の思想界では、浅田彰氏の出現までは本格的な西欧近代批判は日本の主流にはならかったということなのであるが、わたくしが若いころにいかれた福田恆存はまさに西欧近代批判そのものであったように思う(もちろん、主流にはならなかったわけであるが)。
そして、今でも信奉している吉田健一は、19世紀を理性万能の野蛮な時代と嘲笑し、人智の限界を知っていた18世紀ヨーロッパこそが本当の文明のヨーロッパであるとするのである。
全共闘運動も、理性的な共産党=民青路線に反撥した情念の祝祭であったのかもしれないとも思う。
わたくしが一貫して共鳴できた思想というのは、人間があらゆることを理性で理解できるとする“頭万歳!”という思想に反対するものばかりであったような気がする。そういう方向は人間の賢しらを罰し、人間を超越する神の万能という方向にも通じるかもしれないが、そういう方向にはただの一度も共感したことがない。それは、生来のタダモノ論者ということもあるかもしれないが、科学の世界というものを最低限のところで信じているというのが大きいようにも思う。
科学への信奉というのは世俗化した全知全能の神への信仰ではないかという批判があることは知っている。それにうまく自分で答えることができるとは思えないのだが、とにかく物質というものがあることは信じていて、その物質には法則が貫徹していることは疑っていない。
物理法則というものがあることを信じているのは、「大きな物語」を信じていることなのだろうか? 人間が理性であらゆることを理解できるということはありえないはずなのに、それでも物理法則を発見できたことの矛盾を解明しようという動機がカントの哲学の根底をなすというのがポパーの説なのであるが。
生命の世界でおきたことはすべて偶然の結果であるというが、進化論の意味するところであるはずである。そうであるならその偶然の産物である人間がすべてを理解できるようになるなどということはありえない、というのもそれから導かれる当然の系である。人間はすべてを理解できるはずがないことは進化論から導かれるが、進化論は人間が作ったものである、というのは何となく矛盾した議論であるようにも思う。
物質界には物理法則が働く。そこまではいい。しかし物理法則を表す数学は人間の脳の産物である。数というようなものは物質もなく実体でもない。そういうものを使って、宇宙の過去を推測でき、はるか離れたところでおきている現象を理解できてしまう。人間が推測しようとしまいと、そもそも人間が存在しようとしまいと、宇宙はその法則によって膨張し、将来はいずれまた収縮する。だけならいいのであるが、宇宙の法則を理解できると核兵器もまたできてしまうのである。人間は人間のことは理解できないが、物質のことは理解できる。人間には大きな物語はないが、物質にはある、ということなのだろうか?
ヨーロッパ近代は、物質の法則から類推して、人間にも法則があるとした時代なのであり、それが破綻したのがポストモダンなのである、ということなのだろうか?
わたくしはロールズの正義論などというのは観念論の極致であるような気がする。わたくしはまだポストモダンの時代にいるのかもしれない。それにもかかわらず、ソーカルの「「知」の欺瞞」などを読むと、ソーカルの言うとおりであると思うのだから、明らかに矛盾しているのであるが・・・。
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