中国の政治の話

 最近、中国のことが何かと話題になっている。わたくしは極度の政治音痴であるので、そこで論じられていることの正否についての評価はまったくできないが、中国の人たちの政治についての見方というのは、西欧あるいは日本のものとはまったく異なっていると思っている。
 大分以前に亡くなられた経済倫理学者を自称されていた竹内靖男氏の「世界名作の経済倫理学」(PHP新書1997)に「中国人の行動文法」という項があり「水滸伝」が取り上げられている。それによれば、中国を知るためには四書五経よりも「水滸伝」を読んだほうがいいといわれているのだそうである。
 もちろん(と威張ることはないが)わたくしは馬鹿長い「水滸伝」は読んでいないので、以下、博覧強記な竹内氏の中国政治論を紹介してみたいと思う。原文で8ページほど。
 さて「水滸伝」に登場する豪傑は、もともとはごろつき、遊び人、あるいは官僚の世界からはみ出したものなどで、エリートの対極にある人間なのだという。頭脳よりも体力、武芸、義侠心、人情がとり得で、人脈を作って生きていく。日本でいえば任侠の徒、清水の次郎長。最後には皆死んで、誰もいなくなるのだそうである。
 主人公の宋江は無能な人間なのだが。己の無能を自覚している点がよろしいと竹内氏はいっている。
 徽宗皇帝は金軍にとらえられても愛人をここによこしてほしいと要求するようなとんでもない人物であったらしい。
 竹内氏のいう「水滸伝」からみてとれる中国社会とは、
 1)万人に等しく適応される法は存在しない。
 2)地位や権力を持つ人間の命令と強制が法となる。
 3)そこでは、人脈と賄賂が必要。
 4)そうでなければ、暴力。
 5)それで、無法者同士が手を結ぶ。
 6)官のなかの事のわかる人間は無法者を庇護する。裏の人脈ネットワークが形成される。
 7)中国はコネで動く社会であり力で動く社会なので、法は無力。
 8)中国人は強い者が弱いものを支配し、利用する原理で動く。
 9)中国の人治社会、人脈社会は今日でも基本的には変わっていない。だから中国で仕事をするのは今でも難しい。

 この本は四半世紀前に書かれているから、今でも通用するのかは解らない。しかし水滸伝が書かれたのははるか昔であるから、それが四半世紀前に通用したのであれば、今でも通用するに違いない。
 習近平氏もいまだ人脈社会のなかで生きているのだろうか?
 しかし人間関係はそうであっても現在は経済社会でもあって、さすがにある会社が膨大な赤字を計上したのを隠すことはできないようである。
 この竹内氏の本で他に取り上げられている中国の本は「紅楼夢」のみ。
 全部で33冊が取り上げられているのであるが、ギリシャ6冊のあとは、いきなり「ハムレット」となり、以下「ドン・キホーテ」「守銭奴」「ガリバー旅行記」で、そのあとは「若きウエルテルの悩み」になる。
 カサノヴァ以外はほとんどが小説であるが、例外はダフ・クーパーの「タレイラン評伝」で、西欧18世紀の優雅、19世紀の野暮というのが手に取るようにわかる本である。
 もう一冊、ウォーの「ブライズヘッドふたたび」は例外的に20世紀における優雅?(カトリックの信仰)を描いたものだが、それもわれわれには結局理解できない世界なのだと思う。それでも、とても美しい小説である。
 中国の政治がいつの間にか西洋の恋愛の話になってしまった。われわれには結局、中国は理解の外なのだと思う。では西欧は理解できるのか? 西欧の恋愛というのも随分と奇怪なものかも知れないのだが・・。