丸谷才一・山崎正和「二十世紀を読む」

      中央公論社 1996年
 
 「21世紀の資本」などという本を買ってきたためか、何となく20世紀を論じた本が気になって、橋本治さんの「二十世紀」とか何冊か本棚から取り出してぱらぱらと見てみた。この本は1996年の刊行で、買った当時一部は読んだ記憶があるが、全部はみていなかったと思う。対談本であり読みやすく、結局、2時間ほどで通読してしまった。備忘のため少しメモしてみる。
 ある本を読んで、その感想をネタにして語り合うという形式の本である。
 [  ]内はわたくしの感想メモ。
 
 「カメラとアメリカ」(ゴールドバーグ『美しき「ライフ」の伝説』)
 アメリカには「だれもが皆、何者かである」という暗黙の御託宣があって、アメリカ人はみんな、自分はひとかどのものであるはずだと思っている」とハッカーというひとがいっている。(山崎)
 [日本の若者も段々そうなってきているのではないだろうか? 「世界でただ一つの花」]
 20世紀というのは、あらゆる人が、自由と安定という相反するものを激しく求めて生きた時代。20世紀は都市それも大都市の時代。(山崎)
 [自由が保守? 安定が革新? 本来は反対のはずなのだが・・]
 20世紀前半までは英雄的死というのがあった。・・自殺というのも、19世紀末から20世紀前半にかけては精神的事件。・・ところが20世紀の後半になると、ただの病理的な現象になってしまう。・・その代わりに難病がでてくるが劇場性に欠ける。それはいたましいがみっともない。これがわれわれの時代の悲惨。つまり悲劇がない。あるのは悲惨だけ。(山崎)
 [北中氏の「うつの医療人類学」を読んでいると、自殺が精神的事件であったのは主として日本のようにかかれているが、かつては西欧ではそうではなかったのだろうか? ヘミングエェイの自殺・・。ソンダクの「隠喩としての病」のような本が書かれるのだから、病気にはいつも何らかも意味づけ、劇場性が与えられてきたことは間違いない。結核、がん、エイズ・・。しかし認知症や老衰に劇場性を付与するのは難しい。]
 
 「ハプスブルク家の姫君」(塚本哲也エリザベート ハプスブルク家の最後の皇女』)
 19世紀に世紀末らしい世紀末があったのはロンドンとウィーン。(丸谷)
 [ツヴァイクの『昨日の世界』のウィーン! ]
 20世紀というのは一方ではポピュリズム(急進派民衆主義)の時代。その対極にあるのが王制。20世紀末の現代人は、様々な経験を経て、ポピュリズムに対する嫌悪感があり、その裏返しで王制が浮かび上がってきているのではないか? (山崎)
 [ポピュリズムを急進派民衆主義とするのは凄い。穏健派民衆主義というのもあるのだろうか? 王制とはいわないけれど、貴族制へのあこがれというのはあるかもしれない。ここでの王制に天皇制はどうかかわるのだろうか?]
 オーストリアハンガリー二重帝国の文化の高さは、それ以後のあらゆる国よりも高かったかもしれない。(丸谷)
 [その時期のウィーンやブダペストからきら星のような知識人・文化人が輩出したのはもう空前絶後のことなのかもしれない。]
 ある意味では第一次世界大戦を引き起こしたのは、オーストリア国民の美的形式に対する愛情だったともいえる。(山崎)
 [ある意味では、というのは微妙な言葉使いであると思う。]
 ハプスブルク家を潰したのは、ウイルソン大統領。スラブ民族主義と汎グルマン主義、アメリカのウイルソン大統領の主張した民族自決の原則、3つの理想主義がヨーロッパをめちゃくちゃにした。(山崎)
 [民族自決主義は21世紀にも祟り続けるかもしれない。]
 ハプスブルク家の平和なる頽廃は甘美で、ほんとうにこういう国があったらいいなと思ってしまう。(丸谷)
 [この辺りが人類の頂点という見方もあるかもしれない。過去の遺産の優雅な蕩尽!]
 「首長は権力を持つ。しかし、気前よくしなければならない。首長は責務を持つ。しかし、彼は多くの妻を迎えることができる」というのがレヴィ−ストロースが発見した原則。・・一夫多妻の特権を君主に譲ることによって、一夫一婦制的な国民の統合は成立する。(丸谷)
 [こういう話が丸谷さんは好きなようである。どこかに文化人の特権意識が垣間見えるような気も・・。]
 19世紀はヒロイズムの時代。ナポレオンという大変なヒーローが初めにいた。ヒーローになりたいとみんなが思ったせいで、長編小説があれだけ盛んになった。19世紀はボナパルティズムの余映がまだあかあかと輝き続けていた。それに意地悪をいったのがストレイチーの「ヴィクトリア朝の偉人たち」。(丸谷)
 [吉田健一はストレイチー派。英雄嫌いだったということなのだろうか?]
 テロはまさしく自殺と裏腹にあるもの、自殺だってヒロイズム。(丸谷)
 [健一さんはヒロイズムを嫌った。三島の死を事故死、川端の死を大往生と言った。]
 20世紀は世界的に組織の時代。しかし、それは1970年ごろ終わってしまう。(山崎)
 [しかし、それで個人の時代になるわけではない。ごく一部の個人と大部分の自分は「何者かである」と思っているが、実際には個人以下?の人々への分裂。]
 
 「匪賊と華僑」(ビリングズリー『匪賊 近代中国の辺境と中央』 高島俊男『中国の大盗賊』)
 実態としては、1850年ごろのプロレタリアートとは、「廃疾者、労働不能者、怠け者、放浪者、乞食、やくざ、売春婦、犯罪者など」であった。毛沢東は匪賊によって革命をおこなおうとしたのは、それを引き継ぐものである。(丸谷)
 [なんだか網野義彦さんの本を思い出す。]
 フランス帰りのインテリの周恩来と、一度も中国から出たことのない農民出身の毛沢東。(山崎)
 [ポルポトもフランス帰りのインテリだったような気が・・。インテリも農民もともに恐い。]
 毛沢東は「水滸伝」の伝統の上に立つ。(丸谷)
 [北方「水滸伝」はまさにそれ。]
 中国の歴史を作ったのは紳士と流氓。だが中国の多数派はそのどちらでもない農民。農民の思想が儒教(先祖崇拝)。そこからはみ出た匪賊による水滸伝の世界は兄弟の感覚。はみでたもう一つが華僑。その原型が客家客家は徹底した血族集団。(山崎)
 [われわれが学生時代に習った漢文での中国のイメージは「紳士」の世界だったのだろうか? 山水画の世界、髭の長いおじいさんの世界・・]
 中国文化は男性中心。女性中心の日本文化と対照的。(丸谷)
 [たしかに中国には「色好み」の世界はないように思う。「金瓶梅」は色好みの世界ではないように思う。それは好色の世界? 色好みは草食系? 好色は肉食系?]
 恋愛小説のある国とない国の違い。(山崎)
 [岡田英弘説では中国にはほとんど恋愛小説がない。]
 日本は豊かだったから匪賊がでなかった。(山崎)
 [橘玲さんの本で、戦国時代の合戦のほとんどは、冬に食料が尽きた時の公認の隣国略奪のための公共事業だったのだということが書いてあった。でもこれは公共事業なのだから公認のものであり匪賊ではない。]
 
 「近代日本と日蓮主義」(寺内大吉『化城の昭和史』)
 昭和前半の歴史を大きく動かした人には日蓮宗信者が多い。北一輝石原莞爾、田中智学・・。近代の日本は広義の日蓮主義的気風とそれと対立する官僚主義がある。(山崎)
 [こういうことは考えたことがなかった。日本のファナティズムの根は日蓮宗? ]
 日本のマジョリティは親鸞的あるいは浄土真宗的。(山崎)
 [わが家も浄土真宗らしい。中井久夫氏の本に浄土宗が広まった地域にはアニミズム的な土着信仰が根こぎにされてしまっているということが書いてあった。]
 昭和の軍人たちはヨーロッパに対する反感が非常に強かった。彼らには鎌倉武士のなかでも中より下が支持した宗教である日蓮宗がフィットした。(丸谷)
 [わたくしはヨーロッパ信者なので、それで軍人が嫌いなのだろうか? ]
 明治の一代目はエリートだった。広く何でもしる人たち。二代目は専門家になり、アカデミーの人間となり、広く浅いひとをジャーナリストといって軽蔑した。同時に反時事性を誇り「永遠」の問題と関わることを誇った。それに反発して時事性と総合性を足してでてきたのが「イデオロギー」で、不遇なインテリがそこに集まった。そのインテリに相当する鎌倉時代の人間が日蓮だった。(山崎)
 [わたくしは絶対に専門家ではないが、「イデオロギー」の信者でもない。どっちつかずというのだろうか? ]
 日本に仏教が入ってきたとき、それは学問としてであり、同時に鎮護のためであった。平安の密教は呪術であったので、鎮護としてはより強力であった。平安末期の末法思想から個人救済という方向がでてきたが、これは死の恐怖に対する慰めであって、個人の道徳といった方向とはかかわらなかった。個人の内面が問題になってくるのはその後で、禅(自力)、親鸞(他力)、日蓮宗(国家そのものを宗教的装置にして、それにより救おうという方向)の三つ。(山崎)
 [そう考えると「源氏物語」というのは不思議である。鎮護と呪術の時代の内面と救済の物語。]
 日本文化には、商人の伝統と、農民武士の伝統の二つがある。前者は個人主義、後者は集団主義。しかしそれとは独立に、親鸞的なものと日蓮的なものがあるのではないか。諦念と良識に生きる人と原理と熱狂に生きる人。
 1)農人武士的 かつ 日蓮的  北一輝 左翼の行動派
 2)農民武士的 かつ 親鸞的  日本の多数派。日本の官僚の基盤。  永田鉄山 東条英機 柳田國男 小林秀雄
 3)商人的 かつ 日蓮的  千利休 宮沢賢治
 4)商人的 かつ 親鸞的 吉田兼好 森鷗外
 1)のひとが世の中を動かす。(山崎)
 [わたくしは、4)なのかなあ? ]
 問題は1)のひとが出て来ると、2)のひとである官僚的人物が活躍をはじめることである。(山崎)
 [戦前の日本! ]
 
 「サッカーは英国の血を荒らす」(ビュフォードフーリガン戦記」)
 産業化は中産階級を作りだした。かれらは技術を尊重する。(山崎)
 [つまり魂がない?]
 マルクスの最大の誤りは階級を二つと考えたこと。(山崎)
 [ドラッカーもそんなことをいっていた。中産階級が出てきた時点でマルクスの考えは破綻した、と。これから中産階級が没落し、再び階層が二極化していくと、ふたたびマルクスの出番があるのだろうか?]
 イデオロギーの崩壊により、労働者階級であることを誇りと思わせるものが無くなってしまった。(山崎)
 [貧困の問題が思想の問題から政策の問題へと転落してしまった。]
 20世紀は文化人類学の時代。(山崎)
 [つまりヨーロッパを相対化する時代。しかもその学問もまたヨーロッパから出てきた。]
 
 辺境生まれの大知識人(エリアーデエリアーデ回想』『エリアーデ日記』)
 カントはデカルト以来考えられてきた人間の自我というものを分解してしまった。(山崎)
 [そうなのか! 「もの自体」を認識できないというは一種の客観的な外界否定で、いきかたによっては主観主義にもいくのかと思っていたのだけれど・・]
 辺境文明の知識人は二極分解する。ある種のメランコリックな倦怠と絶望に陥るタイプ(シオランなど)と自ら努めてやまずというタイプ(エリアーデや鷗外)。エリアーデは、生きる姿勢のなかに、民族主義と普遍主義をいかにして総合していくかという課題を抱えていた。(山崎)
 [わたくしはメランコリックな倦怠派で、まちがっても刻苦勉励型ではない。]
 文化人類学者は、いったいに小説が好き。(丸谷)
 二十世紀というのは、巨大なひとつの小説が世界を支配しそうにみえた時代なんですね。マルクス主義という小説。マルクス主義のそんなあり方に対して、思想的に文化人類学者がやったのは、無数に物語があるよということだった。(山崎)
 [文化人類学のやったことは西欧も一つの地方文明であるとする方向。問題はマルクスの「大きな物語」をそれで否定しても、科学の普遍性は残ったことで、科学も西欧という地域の一地方文明、その地域でのものの見方にすぎないという方向(「サイエンス・ウォーズ」)は必ずしも承認されたとはいえないことで、そこで文科と理科の分裂がおき、文科ではそれぞれが勝手なことをいっているだけということになったことであろう。]
 文化人類学者というのは、世界を物語りとして読もうとする学者。(山崎)
 文化人類学者というのは、神話に憑かれる人たち。(丸谷)
 文化人類学者は、ある意味では物語を信じない人たちで、物語を楽しむ、あるいは眺めているひとたち。(山崎)
 [したがって理科から反発がくる。]
 フロイトがいかにユダヤ一元主義、一神教的世界観を身をもって体現していたかをエリアーデは強調した。(山崎)
 [科学としての文科?をフロイトは言った? フロイトは文科の人? 理科の人?]
 20世紀小説の歴史は、小説が物語性を失っていく過程。(丸谷)
 19世紀の思想風土は、1)合理主義、2)歴史主義、3)進化論、4)神話的想像力。(丸谷)
 [わたくしは4)をまったく欠く。]
 宗教をもたない宗教精神という時代が20世紀だった。(丸谷)
 私が寝ていようが、起きていようが、自然科学の法則は働いていると、近代人は思っているが、古代人が神を考えるときもそうだった。しかし神を信じることが人間の主体的選択であるということになったときから広い意味での近代文明が始まった。(山崎)
 将来がどうなるのかが、ちゃんとわかっている人が自由なのであるということが、マルクス主義を信ずればわかるという信仰で20世紀は本当に動いた。(山崎)
 [マルクス科学的社会主義という、世界の法則がわかれば、歴史に束縛されず自由になれるという信仰?]
 合理主義的な歴史主義に対して、世界はもともと不条理なのだとするのが広い意味での実存主義。本質と人間の実在は別ということになる。(山崎)
 [人間は科学の外にある?・・]
 そこで歴史主義そのものをやめようという動きがでてくる。ベルクソンが一方、他方がエリアーデ。(山崎)
 [吉田健一へのベルクソンの影響というのを一度考えてみなければと思っているのだけれど、どうしてもベルクソンが読めない。それにしても小林秀雄の「感想」というのはとんでもない本である。ほとんどニューエイジサイエンスの世界。]
 突然、冷戦が終わって、両次大戦間の精神姿勢というのか、構造では適応できない時代になってきた、それが今。(山崎)
 [わたくしの人生の丁度なかばでそれがおきたので困っている。]
 現在は「規範がない」という緊張感さえない時代になった。それがいいことか悪いことか?(山崎) いいことだと思う(丸谷)
 [わたくしもいいことだと思うが・・。]
 
 わたくしは1947年の生まれである。1991年のソ連が崩壊するまでの44年間はマルクス主義は現役の思想であった。思想などということは子供には関係ないとすれば、中学生以降の32年間はそれが現役の思想であった。それから23年はそれがない時代に生きてきたことになる。ものごころついてからの3/5がマルクスの時代、2/5がマルクスがいない時代に生きたということになる。わたくしが鈍感なのかもしれないが、ベルリンの壁が崩れても東欧でいろいろなことがおきていても、それでもソ連という国がなくなってしまうなどということは想像さえしていなかった。それはなにものかに攻撃されて倒れたのではなく、自己崩壊、内部崩壊したというような印象だった。
 ソヴィエトの成立から崩壊まで約70年である。わたくしが生まれたころにはまだ25歳の青年で、それが1968年には45歳の壮年、そして老年に入るかどうかという年で死んでしまった。
 20世紀はマルクス主義の世紀で、思想の世紀だったのだと思う。そして、それにもかかわらず集団の時代で、ヨーロッパはマルクス主義に劣等感を持ちながらも、自分たちの築き上げたものの美しさを捨てることはできず、ボナパルティズムの伝統(ベートーベンの「英雄交響曲」!)による個人主義を盾にして、マルクス主義から匂う全体主義に抵抗していこうとした(小説は西欧の産物だった。ソ連からはついに偉大な小説は生まれなかった)。アメリカはヨーロッパへは(密かな)コンプレックスを持っていたかもしれないが、マルクス主義にはヨーロッパのような劣等感はもっていなかったように思う。それは個人主義とは違うマチズモ的感性によったのかもしれない(小説を書くような人間はアメリカではマイノリティの落伍者あつかいであった)。
 20世紀の前半はヨーロッパの時代、後半はアメリカの時代であったとすると、わたくしはほとんどの人生をアメリカの時代に生きてきたわけであるが、アメリカに憧憬したことは一度もない。常にヨーロッパ派であった。没落しつつあるものに肩入れするという判官贔屓によるのかもしれないが、唐様で書く三代目が好きなのである。
 その三代目は自己反省などという(ある意味では)不毛なことをする。マルクス主義もヨーロッパ生まれである。自己反省の材料には当然マルクス主義も入る。反=西洋思想もまた西洋の出自であるが、西欧の自己批判・自己検証の一番大きな相手はマルクス主義(あるいは広義のマスクス主義的なもの)であったはずで、その敵があるとき自然消滅してしまった(西欧からの批判によって崩れたのではなく)ことが、何かその後の西欧の思想を狂わせてしまったのではないかと思う。緊張感を失った思考のための思考、思想のための思想に流れていってしまったといえないこともないように思う。
 「大きな物語」の時代は終わったということが、そのまま「考える」ことの終わりになってしまったということがあるのかもしれない。知識人が「考える」と碌なことにはならないというのが20世紀の教訓であるのかもしれないから、それはいいことなのかもしれないし、21世紀は「思想」の時代ではなく「工学」の時代になるのかもしれないけれども、人生の多くを「ある思想」への対応を考えることで過ごしてきた人間も日本にも世界にも少なからずいるはずである。わたくしの先輩の先生が「一生懸命勉強して小児麻痺の専門家になったら、その病気がなくなってしまった」というようなことをいっていた。
 本書を読むと山崎氏は鳥瞰のひと、なんでも広い視野からみるひとである。それにくらべると丸谷氏は、小説あるいは文学という自分の位置から直感的にみるひとである。その対比がこの対談を面白くしているのだが、山崎氏のようにあらゆることに自分の意見があるひとというのは、それによって身動きができなくなってしまうこともあるのではないかと思う。
 

二十世紀を読む

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