岡田暁生 片山杜秀「ごまかさないクラシック音楽」 その7 第4章「クラシック音楽の終焉」 その2 ショスタコーヴィチなど

 岡田:20世紀の交響曲といえばショスタコーヴィチ。以前のわれわれはショスタコーヴィチを「ソヴィエト共産党の御用作曲家」と思っていた。オラトリオ「森の歌」とか・・。西側にはない何だか全体主義的抑圧の雰囲気を持つ音楽と思っていた。
 片山:自分は、集団生活、合宿、宴会、軍隊的規律が嫌い。だから合唱や合奏が大嫌い。しかし家に籠ってショスタコを聴くのは好き。分裂している?
 ショスタコ自身、公的なものと私的なものに分裂していたという話がある。確かにそう思って聴くとそう聞こえる部分がある。しかしショスタコの場合音楽に本当の自分というのがあるのか? 音楽なんかこんなものだ適当でいいと思っていたのではないか? 近代芸術家の内面の苦悩をそこにみるのは違うのではないか?
 岡田:ショスタコーヴィチの音楽は本質的に全体主義に親和性があるのではないか? 問題は「勇壮な音楽」はお好き?というところに帰着する。
 この30年、われわれはショスタコーヴィチを西側の理想に引き付けて見すぎてきたかもしれない。
 片山:西欧が人間と思っている人間像はかなりおごり高ぶったものであるかもしれない。
 岡田:さて、西洋音楽史におけるアメリカとは? ロシアとアメリカは凄く似ている。派手好き、デッカイもの好き、力任せが好きの「大国音楽」。
 片山:二十世紀になっても交響曲を作り続けたのがソ連アメリカ。
 岡田:つまり両国とも全体主義的。
 アメリカで交響曲を作り続けたのがアカデミーに地位のあった二流作曲家。ピストン8曲、セッションズ9曲、ハリス13曲、W.シューマン10曲。みんなやたらと陽気なショスタコ風。スーザの遺伝子?
 MGMとかユニバーサルとか二十世紀フォックスとかの映画製作会社もみな東欧ユダヤ系移民が作った会社。
 p285からはジャズの話になるので、そこから先は稿を改めて見ていく。

 わたくしが初めてショスタコの5番を聴いた時(中二くらいか?)、何だか第二楽章が女々しいな、最終楽章のカタリシスがすっきりしないなと感じた。
 これがベートーベンの「運命」の模倣であることはあきらかだと思ったので、要するにショスタコーヴィチはベートーベンほどの才能がないのだと思った。ショスタコーヴィチがどのような過酷な世界を生きていたのかなどはもちろん知らなかった。
 音楽というのは公的な部分と私的な部分があるようで、交響曲とか協奏曲は公的? ピアノ・ソナタ弦楽四重奏は私的?というような感じがどことなくある。ベートーベンがそうであるし、ショスタコーヴィチ交響曲が公、弦楽四重奏が私であるかも知れない。
 昔、何となくNHKの教育テレビをつけたら、聞いたことのない弦楽四重奏曲をやっていた。軽快で様式的でと思って聴いていたら、途中から重々しいパッサカリアになった。え、これ誰の曲と思っていたら、終わってショスタコーヴィチ弦楽四重奏第3番とテロップがでた。この時からショスタコーヴィチに興味を持つようになった気がする。特に個人的にはショスタコーヴィチの書くパッサカリアが好き。
 ショスタコーヴィチの曲では交響曲第九番弦楽四重奏では3番と9番が一番好きかもしれない。後はピアノ3重奏の2番とピアノ5重奏、またチェロソナタ
 こんなことをいうと不謹慎かもしれないがショスタコーヴィチソ連の体制の中で弾圧されることで大作曲家になれたのかもしれないと思う。それがなければ第二・第三交響曲のような前衛的音楽を書く軽薄才子で終わったのかも知れない。ショスタコーヴィチソ連の体制に鍛えられた?
 わたくしはオペラの方面に関心がないのだが、あるいは「マクベス夫人」や「鼻」の延長がショスタコーヴィチの一番書きたいものだったのかもしれない。
 さてアメリアの交響曲。ある時、アメリカの作曲家は随分と交響曲を書いているなと思い幾つか聴いてみたことがある。なにしろハンソンなど、第一番のタイトルが「北欧風」、第二番が「ロマンティック」である。いまどき「ロマンチィック」なんてタイトルつけるかね?と思うが、きいてみると確かにいかにもそういう音楽ではある。とにかく口当たりがいい。ショスタコーヴィチのような裏など全くない音楽である。シベリウスをもっともっと甘くしたみたいというか?
 ピストンの交響曲なども聴いた。アメリカの人には、これがおらが国の代表作ということになるのだろうか?(日本なら武満徹? ノベンバー・ステップス? あるいは「波の盆」?)
 アメリカのクラシックを聴くと、健気にヨーロッパ発のクラシック音楽をわれわれも勉強していますという姿勢が微笑ましいように感じる。何だか「坂の上の雲」である。
 前にも書いたけれど、昔はCDを探すのが一苦労だった曲も今はすべてYouTubeで聴ける。「悲歌のシンフォニー」などもYouTubeが普及していなければ、これほどは人口に膾炙することはなかったのではないだろうか?
ハンソンやピストンの交響曲などは、ロマン派の音楽が大好きで、現代音楽が嫌いという方の口直しにはいいかもしれない。
 日本人でこういう音楽を書いたひとはいない? 小倉朗さんがある時期作っていた曲がブラームス以上にブラームス的というのでオグラームスの五番とかいわれてことがあるらしい(すべて廃棄されたようだが・・)。今残されている「小倉朗 交響曲」はまったく違った方向の曲である。