渡辺京二氏
昨日の朝刊「折々のことば」に渡辺京二氏の言葉が引用されていて、「最晩年の語り下ろしから」と書かれていた。
渡辺氏の名を初めて知ったのは、大分以前どなたかが在野の論客として何人かの名前が挙げられていたそのうちの一人としてであった。それで氏の著作を読んでみて(「小さき者の死」だったかと思う)、こんな凄い人を知らなかったなんてと思った。
多くの人が渡辺氏の名を知ったのは晩年の著書「逝きし世の面影」が評判になったことによってではないかと思う。(葦書房 1998年 後 平凡社ライブラリー 2005年) これだけ読むと超博識の保守の論客と思われるかも知れないが、若き日に日本共産党員であった氏はバリバリの左派の闘士として出発した人である。平凡社ライブラリー版の背表紙に、「私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできる限り気持ちのよいものにしようとする含意とそれにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ」という言葉が示されている。そのような世界を若い日の氏は未来に求め、晩年の氏は過去にそれを見出したのであろう。
文明というのは、個々の人間の生存が、それぞれの人にとって、できうる限り気持ちのよいものとなった状態を指すのだろう。もちろん個々のひとそれぞれにどのような社会体制が住み心地がいいかは全く異なるはずであるので、多様な人間の存在を許容する社会が文明社会ということになる。個々の人間が勝手気儘に生きることの出来る社会である。
しかしそんな社会はまとまりを欠き、他からの攻撃にとても弱いと思われる。フォースターもいうように「私は絶対的信条を信じない」ことが大事で、わたくしはこう思うがそれは間違っているかもしれない、むしろ間違っているに違いないのである。間違っているに違いないことを信じることが許容される世界が文明世界なのだとわたくしは思っている。
神ならぬ人間には何が正しいかはわからない。そう思うので、わたくしは宗教が嫌いである。そして例えば宗教の系である(とわたくしは思う)マルクス主義も嫌いである。総じて自分が正しいと信じるひとが嫌いでもあり苦手でもある。
「逝きし世の面影」で渡辺氏は江戸時代の日本に一つの完成した文明を見ている。しかしそのような文明社会は野蛮には弱い。だから明治の日本は野蛮になって西欧の野蛮に対抗しようとした。(19世紀の西欧は野蛮であった、とわが師匠の吉田健一は説いた。ヨーロッパの文明は18世紀に完成し、それが19世紀に曇り、世紀末にその恢復を目指す動きがでた、と氏は説いた。わたくし個人はブルームズベリー・グループの運動は世紀末の動きとは別のものであるが、似た動向なのではないかと思っている。)
文明開化というのは野蛮になってでも生き残るという19世紀西欧の動向が「坂の上の雲」に見えた時代の標語であったのだと思う。
ベートーベンは1827年に死んでいる。悲愴ソナタが1799年、エロイカ交響曲が1805年の作曲。 ベートーベンはまさに19世紀をひらいたひとなのかも知れない。18世紀の優雅のモツアルトから19世紀の野蛮のベートーベンへ。ロマン主義もある種の野蛮なのだろうか?
モツアルトは江戸時代で、ベートーベンは明治時代に属する
(晩年の?)渡辺氏は江戸時代に文明をみていた。江戸時代はモツアルト? 明治治時代はベートーベン? 大正・戦前昭和はロマン派?? 戦後日本は現代音楽???
渡辺氏は小説も滅茶苦茶読むひとで、それで「私の世界文学案内」などという本も書いている。(私が持っているのは2012年刊のちくま文芸文庫版) トマス・マン、カフカ、バルザック、スタンダール、トルストイ、ドストエフスキー、オースチン、ロレンス、チェーホフまではわたくしも読んでいるが、グラス、ロス、ベロウ、シリトー、デュラス、モラビア、マードック、ソルジェニーツィン、ローザ、ドノソ、カルペンティエ-ルとなると名前だけは知っているか名前も知らないひとである。
そういえば、山田風太郎さんを知ったのも渡辺からだったような気がする。それとも関川夏央さんから? 最近、とみに老化がすすみ記憶の混乱が甚だしい。どうも75歳前後が分岐点のようである。