コロナウイルス感染への日本の対応のやり方は世界でも特異なものなのだろうか?(2)

 コロナの話から少し遠ざかってしまったが、要するに感染対策上何らかの行動制限が必要とされる場合、個々人は自己の判断でそれに応じたり、従わなかったりできるのかという問題である。
 また「何らかの行動制限が必要とされる」という場合にはそれなりの根拠があるはずで、「ウイルスの感染力・感染様式」などについての疫学的・公衆衛生学的知見、感染した場合の経過と予後についての臨床医学的知見などから総合的に判断されるはずであるが、それが行動制限を正当化するかということである。感染した場合の致死率がかりに0.5%位というようなことが明らかになった場合に、それを許容できる数字とみるかどうかには価値判断が入ってくるし、さらに人生の目標がとにかく長く生きることであると考えるひとと、長生きより充実した人生を送ることが大事と考えるひとでも判断が異なるだろう。「尊厳死協会」に入っていて「無駄な延命はするな!」という書類にサインしている人が、いざ入院すると「出来ることは何でもしてくだ それ故、今回のコロナウイルス感染流行といった事例で行動制限の要請があった場合、それに無条件に従わなくてはいけないのかという問題が出てくる。
 これは明治期以降、日本の知識人にとって最も大きな?課題であり続けてきた「個人の確立」という問題とも関連すると思う。
 大学の教員などは知識人の典型なのだから、上記にたいして明確な態度を表明できなくてはならないし、「そういう行動制限が人々を抑圧し、自粛への同調圧力によって《異常な統制社会》が出現し、私権の制限を当然視する社会が出現してきている」ことにも、戦時中の私権の抑制がおこした問題を知っているはずの知識人ならそれに強く反発しなくてはいけないはずなのに、ほとんどその動きが見られないことも与那覇氏は問題視している。
 ここに出てくるのは「世間」の問題と密接にかかわる問題であると思う。ということで、阿部謹也氏の「「世間」への旅 西洋中世から日本社会へ」(筑摩書房 2005年)などを参観しながら、それについても少し考えていきたい。
 「世間をお騒がせして申し訳ない」という表現は今でも普通に用いられる。ここには「私は何も悪いことはしていないが」というのが、言葉にはしないが頭につくことも多い。
 阿部氏は「西洋の個人は十二世紀に生まれた」としている。その結果として恋愛もまた発明されたとも(例えば「アベラールとエロイーズの往復書簡」)。 山崎正和氏の劇「おう エロイーズ!」(新潮社 1972年)でも舞台上の朗読者が「ときに、1118年。この年はまた、人間の心の歴史にとって記念すべき年だったといえるかもしれない。なぜなら人類はこのアベラールとエロイーズによって、初めて純粋な男女の愛というものを知ったと考えられるからである。」と言っている。日本の平安時代の恋歌などはゲームに過ぎない。それ以前には西欧の人々も我が国の「世間」と似た集団のなかに埋没して生きていた。西洋の個人は、「神」という絶対的なものに対して自己を確認しようとする試みの中から生まれてきたが、絶対神のいない日本では、明治以降も「家族をめぐる諸関係と人間関係一般」にかかわる問題は手つかずのまま残った。「世間」は続き、企業も行政もそれを前提としてことを運んでいった。そのため、西欧の社会での個人と日本の個 人はまったく異なるものになっていったのだが、しかし日本のインテリの大半はこれに気づいていないと阿部氏はいう。(例外の一人は漱石
 ここでは石牟礼道子氏もとりあげられているのだが、わたくしは石牟礼氏はD・H・ロレンスの系統の人と思っている。反近代の人であり、頭ではなく、プラトンの魂の三分説でいう「気概」の人だと思っている。
 阿部氏は金子光晴氏もとりあげている。それに関係して、ヨーロッパの森と日本の森の違いであるとか、西欧の「個人」が持つ問題・・。阿部氏は個人の服装から態度物腰まで「世間」の常識にしたがってわれわれは生活しているとする。確かにわたくしは25歳の研修医のときに、指導の先生から「君、ネクタイしたほうがいいよ!」といわれてから50年間ネクタイをしてきたし、背広もきてきた。ネクタイなど実用的意味は皆無なのだから、世間のしきたりにしたがってきたということなのであろう。
 わたくしは世間のしきたりに従う最大のメリットは目立たないということだと思っている。目立たなくて抛っておいてもらえるほうが自由に動ける。(ネクタイは西欧由来のものなのだから日本の世間が生んだものではないが、明治で西洋を受容して以来、西洋を模倣することもまた「世間」がわれわれにおしつけるものの一部となった。日本の男性のほとんどが帽子を冠っていた時代もある。
 最近はネクタイの強制圧力も大分軽減したようだから、そのうちに誰もしなくなるのかもしれない。これを社会の同調圧力などと言えば大袈裟だが、わたくしは女性が化粧するのもまた、世間のしきたりにしたがっているだけなのかもよくわからない。上野千鶴子さんの赤い髪もよくわからない。私は私であるという主張なのだろうか? 誰かがおしゃれの要諦は、めだたないことであるといっていたが・・。
 さて、金子光晴は欧州で長く暮らしたひとなので日本の「世間」に気づくことができたと阿部氏はいう。それで「寂しさの歌」を書くことにもなった、と。「あゝ、しかし、僕の寂しさは、こんな国にうまれあはせたことだ。・・・」(金子光晴詩集 岩波文庫
 また網野善彦も論じられる。「無縁・公界・楽」などを書いても網野氏は西欧文化の側の人だった、と。なにしろ氏はマルクス主義から学問の道にはいったひとなのだからと。(もちろん、歴史の中に「人間の息吹」を感じ取ることの出来る、きわめて有能な歴史学者ではあったとしているが)
 ここで阿部氏は交響曲から最近やや距離を置くようになっているということを言っている。これは意外に大きな問題であるように思う。「ベートーベン問題」?である。小林秀雄はこの問題を「モツアルト」を書いて回避した。しかしヨーロッパの音楽の歴史がバッハとモツアルトで終わっていたら、それはなんとも詰まらないものだったはずで、そうであれば、西洋古典音楽は、今の日本での能や歌舞伎と同じような古典芸能となっていただろうと思う。
 わたくしは西洋の歴史のなかでただひとりの個人の名を挙げろといわれたらベートーベンを挙げるけれど、それはベートーベンがロマン主義というものへの道をたったひとりで切り拓いたとんでもない人だと思うからである。ヨーロッパの栄光も悲惨もロマン主義の中にあるとわたくしは思うのだけど、ベートーベンの音楽は「世間」の音楽ではなく、「個人」の音楽であるからである。では「世間」の音楽とは? 社長さんが「教養」として?習う小唄・端唄など? 梅は咲いたか 桜はまだかいな 柳ャなよなよ風次第 山吹や浮気で 色ばっかり しょんがいな・・・ これが「粋」というもの? 高村光太郎は「根付の国」を嫌悪した。
 「おう又吹きつのるあめかぜ。/ 外套の襟を立てて横しぶきのこの雨にぬれながら、
あなたを見上げてゐるのはわたくしです。/ 毎日一度はきつとここへ來るわたくしです。
あの日本人です。/ けさ、/ 夜明方から急にあれ出した恐ろしい嵐が、/ 今巴里の果から果を吹きまくつてゐます。・・/ ただわたくしは今日も此處に立つて、/ ノオトルダム ド パリのカテドラル、/ あなたを見上げたいばかりにぬれて來ました、/ あなたにさはりたいばかりに、/ あなたの石のはだに人しれず接吻したいばかりに。・・」
 なんとも凄まじい西欧崇拝である。ベートーベェンはあちらの人であり、日本ではどこを探してもいない奇人であり、変人なのである。
 その変人が「英雄」や「運命」や「第九」や「悲愴」や「月光」や「熱情」を残したので(晩年のピアノソナタ弦楽四重奏でその解毒を図ったとしても)、ヨーロッパでは、ワーグナーからマーラーブルックナーにいたる一連の誇大妄想系の作曲家が生まれることになった。
 阿部氏は交響曲から距離をとって、今は「親鸞」のほうに惹きつけられているというが、日本の知識人が自国に回帰するとみな「親鸞」のほうにいくのもわたくしは困ったことだなと思っている。それで、今のところはバッハとブラームス辺りで折り合いをつけている(つまり3Bからベートーベェン抜き)。
 本論の出発点は「感染者への「コロナ八分」や「不謹慎狩り」」を見てもそれが自分の学問領域と密接にかかわる問題と気付けない歴史学者などはもういなくてもいいから、学問の世界から去れ! 「他人に共感する力」を人文学がかえって弱めるなら、そんな学などは消えてなくなれ!とする与那覇氏の気炎であった。ところで第九の歌詞など(シラーの作)まさに共感の強要である。
 《時の流れが引き裂いたものをあなたの魔法の力がまた結びつけてくれる。すべての人々はあなたの に抱かれてふたたび兄弟となることができる》
 しかし、いかに大人数で歌ってきかせようと、大オーケストラを鳴らそうと、「第九」を聴いて回心するする人などいるはずもない。
 与那覇氏の論を読んでいると、氏がシラー&ベートーベンに成り代わって人文学者たちを鼓舞し説教をしているかのようである。「ひとびとの自立を妨げる声に和すようなひとは、ここから立ち去れ! 人文学にはもっと大きな可能性があるのだ! それを信じよう!」
コロナのパンデミックへの対応は、事実をどう見るかというによって決まるのだろうか? それとも何がわれわれにとって大事かという価値観によって決まるのだろうか?
 それを考えていくと出てくるのが、自然科学と人文科学の対立ということであり、現在かなりの人文系の学者が抱いているかもしれない理科系の学問への劣等感なのではないかと思う。なによりコロナの問題の多くは理科系の言葉で語られている。それは事実の問題をあつかっているように見える。そこに価値の問題を持ち込んでも相手にされないというか、「それはあなたの考えでしょ。“科学的”な議論ではありません!」といわれるともうその先には切り込めないというような。
 与那覇氏は最近の歴史学者は古文書に逃げ込んでいると非難するが、古文書という「モノ」「ブツ」があるのは「事実」で、その学者が自分がみつけだしてきた古文書について展開した議論自体はかりにまちがっていたとしても、古文書自体は残るわけで、まったくの無駄ではないというのが古文書学のもつ魅力なのではないだろうか?
 そして公衆衛生学というのは理科系と文科系の中間に位置する学問で、過去の事例から得られた知見、その事例から抽出された規則性、いま検討している事例についてこれまで得られていることとそこから予測される今後の展開、そこに介入すると何が変わるか?・・・などを検討するわけであるが、予測される今後の事態というのはまだ見ぬ未来におきるわけで、「未来は開かれている」のだから、結局はやって見なければわからないことになる。
 必要なのは柔軟性であって、自説が間違っていると思ったらいつでもそれを撤回できることである。「日本の人文学がもはや、社会でともに暮らす他者との「共感の基盤」を養う使命を忘却している」という与那覇氏がいう「事実」と、「新型コロナウイルスへの対策と称して、自粛への同調圧力が異常な統制社会-あたかも戦時体制が再来したかのような、私権の制限の当然視を眼前にもたらしているのに、過去を扱う専門家であるはずの歴史学者たちだけが、なにもしない」という氏の「判断」がいささか頑なではないかという印象がわたくしにはぬぐえない。それでここでだらだらと書いてきているのだが、論じていると議論がどんどんと拡散してきてしまったので、次にはコロナウイルス対応に論をしぼって稿をおえることにしたい。