今日入手した本

 

黒の過程

黒の過程

追悼のしおり (世界の迷路?)

追悼のしおり (世界の迷路?)

 須賀敦子氏の「ユルスナールの靴」はそれ自体は失敗作であると思うのだが、そこで知ったユルスナールの履歴で、ユルスナールが長くアメリカのメイン州の島に住んでいたということに興味をもった。女性ではじめてのアカデミー・フランセーズの会員というような高踏的な作家がアメリカの片田舎でずっと暮らしたということがとても不思議だった。須賀氏の描くイタリアというのもまずそれぞれの土地の匂いのようなものである。土地と不可分な文化といったものである。ユルスナールはそれほど固有の土地に固執するということではなかったのかもしれないが、それでもヨーロッパ文明の粋といったひとではなかったかと思う。一般にウイーンやブダペストといったヨーロッパの知の中心のようなことろから大戦をきっかけにイギリスやアメリカに渡った知識人(多くは母語を捨てて英語を表現のための語とした)というのがわたくしには驚異である。ポパーあるいはドラッカー、またロシアからではあるがナボコフ、あるいは音楽ではシェーンベルクバルトーク・・。「バルトーク晩年の悲劇」ということはあるが、とにかく自分の住んだ土地、あるいは自分の使っていた言葉、それを捨てても生きていけるひとの強さというものをわたくしはまったく欠いている。だからそういう人が驚異であるとともに脅威である。
 ユルスナールアメリカに渡った後もフランス語で書き続けたので、上記にケースとは異なるのだが、それでもとても不思議なことと思われた。それで昨日、だいぶ本棚を探し回って、以前に購入した記憶だけある「ハドリアヌス帝の回想」を見つけ出してきた。ちょっと読んでみた印象では、わたくしが苦手なタイプの小説のようで、読み続けることになるかどうかよくわからないが、とりあえずも少しユルスナールの本を手許においておこうと思い、買ってきた。また本棚の肥やしになってしまう可能性が高いと思うが。
 
チェスの話――ツヴァイク短篇選 (大人の本棚)

チェスの話――ツヴァイク短篇選 (大人の本棚)

 ツヴァイクの本は「人類の星の時間」「昨日の世界」「ジョゼフ・フーシュ」などを読んでいるが、フィクションとしての小説は持っていない。それでたまたま本屋でみつけた短編集である本書を買ってきた。