須賀敦子「トリエステの坂」in 「須賀敦子全集2」、「ユルスナールの靴」in 「須賀敦子全集3」

 
 イタリアには3泊4日しか滞在したことがない。だいぶ以前、もう20年位前にドイツでの学会の後、たしかミラノへ飛び、そこで一泊し、翌日ヴェネチァにゆき、その後アンコーナという港町にいって、そこから当時のユーゴスラビアドゥブロヴニクへ船でわたった。だからイタリアにはほんの数日しかおらず、ローマへもいっていない。ミラノではお上りさんとしてドゥオモに当然いったが、大きな建物という以外にはあまり記憶がない。唯一覚えているのは道端でタバコをばら売りしていたことで、関西では回数券をばら売りするというようなことを読んだことがあって、これもそんなものかなと思ったのだが、あとから聞くと大麻タバコを売っていたらしい。堂々と天下の公道でそのようなものが売られているのを知って驚いた。
 イタリアで一番鮮明に覚えているのがヴェネチアである。とにかく本当に雲一つない晴天の日で、その空と海の青がたとえようもなくきれいだった。アンコーナは、まあどうということのない港町だったが、その後にいったドゥブロヴニクは月並みな言葉であるが本当に絵葉書のように素敵なところだった。現在でこそこの町は相当に有名になっているらしいが、当時はきいたこともなく、旅行業者の強力な推薦がありいったのだが、いってよかったと本当に思う。主としてドイツあたりから来た金持ちが一日卓球をしていたり、所在なげに日光浴をしながら本を読んでいたりしていたのだから、ヨーロッパではすでに有名な観光地となっていたのであろう。驚いたのは、翌年、ユーゴの崩壊の過程でこの町でもまた戦火に巻き込まれたという話をきいたことだった。まったく平和そのものとしか見えなかった美しい町が戦場になったという報が信じられなかった。しかし、よく考えればその兆候はあったのかもしれなくて、ドルやマルクなどしか通用せず現地の貨幣は使えないとか、出した絵葉書が1ヶ月以上もしてつくとかということがあった。
 そういうことであるので、イタリアについてのイメージはほとんどなきにひとしい。このところ数冊、須賀氏の本を読んできて、イタリアという国についての映像がようやく少しできてきたように思う。北と南の対立、その貧富の差、東欧との意外な近さとそれとの複雑な関係・・・。
 ついでに言えば、わたくしの英国のイメージは吉田健一の「英国の文学」からであり、スペインのそれは堀田善衛の「ゴヤ」から得たものである。ドイツとフランスにはそれに相当するものがないが、フランスについては強いていえば篠沢秀夫氏の様々な著作であろうか? ドイツはなにもないのだが、やはり音楽で3B(バッハ、ベートーベン、ブラームス)なのだろうか?
 須賀氏はまず「ミラノ 霧の風景」でイタリアについての概観を書き、ついで「コルシア書店の仲間たち」で氏のイタリアでの生活の場となったコルシア書店のことを書き、ついで「ヴェネツィアの宿」で自分の家族を、「トリエステの坂」で夫の家族を、そして「ユルスナールの靴」ではいよいよ自分のことを書こうとしたのだと思う。
 いま、「ユルスナールの靴」を読んでいる。実に奇妙な作品で、明らかな失敗作だと思うのだが、須賀氏は二つの分裂した自己をもっていたひとという気がする。語学を愛し言葉を愛し、詩を愛でる文人としての「静の人」と、戦後の早い時期に苦労に苦労を重ねて留学し、イタリア人と結婚し、そのカトリック左派の運動に参加し、夫君が死んで日本に帰ってからも、ウマウス運動という奇妙な組織に参加する(須賀氏のいうところの屑やさんの共同体)「動の人」である。若くしてフランスに留学したのもキリスト教神学への関心かららしい。須賀氏は何等かの奉仕への強烈な志向があるらしい。
 全然見当違いかもしれないが、シモーヌ・ヴェイユなどと近い何かがありそうな気がする。シモーヌ・ヴェイユは傍にいたら堪らないであろうひとである。無私のひとなどというのが隣りにいたらうっとうしくてかなわない。須賀氏は傍にいるひとに圧迫感をあたえるような人ではなかったと思うが、自分と和解できないというか、つねに自己に安住することを許せない人だったのだろうと思う。晩年の氏は迷いに迷っていたのではないだろうか? 今日のわれわれが須賀氏を読むのは「ミラノ 霧の風景」での静謐な文章とそこに描かれた市井の人の像の親さによってなのだろう。しかし、それを書いていて、過去の日々が次々と想起してくると、その日々が自足の日々、ほんとうの目的から逃げていた日々と段々と思われるようになってきたのではないだろうか?
 初期のエッセイではイタリアの人々を描いていてもそこにキリスト教の問題がでてくることはなかった。市井のひとが神学論争などに関心をもつわけはないのだから当然である。夫とその仲間はインテリであり、神学の問題に関心をもつ人であったのだとしても、そこで描かれるのそれらの人々の日々の葛藤であって、コルシア書店の人々の間での神学の議論はほとんどでてこない。
 しかし神学に深い関心をもつ人としての須賀氏は、やはりインテリを主人公にして直接自分の関心を書きたくなる。それが「ユルスナールの靴」となった。しかし、それは多くの読者にとっては何が書いてあるのかほとんど理解できない本となっているように思う。須賀氏が抱えた問題、ユルスナールが抱えた問題、それは須賀氏自身には自明のことであっても、この本での書き方では読者に伝わらないでのはないだろうか? 本当は、この5〜10倍の分量を書き、ユルスナールについてももっと書き込み、そのどこに須賀氏が共鳴し、どこに反発するのかということをもっと書き、自分自身の問題ももっと掘り下げ、その自分の抱える問題どこでユルスナールにかかわるかということをもっと書き込まなくてはいけなかったのではないだろうか? そのためには現在の本の5倍から10倍の分量のがこの本には必要だったのではないだろうか?
 

須賀敦子全集 第2巻 (河出文庫)

須賀敦子全集 第2巻 (河出文庫)

須賀敦子全集〈第3巻〉 (河出文庫)

須賀敦子全集〈第3巻〉 (河出文庫)