山家悠紀夫 「「構造改革」という幻想 経済危機からどう脱出するか」

  岩波書店 2001年9月21日初版

 「構造改革]批判第2弾。
 失われた10年という見方がそもそも間違っているという。
 90年代最初の経済不振は、バブル破綻にたいして当然おきることがおきたに過ぎない。バブルが大きかっただけに、その反動の経済不振も大きくて当然であった。
 96年には日本の景気は回復しようとしていた。それが97年の消費税の引き上げで駄目になってしまった。消費税の引き上げは財政「構造改革」政策によるものであった。さらにアジアの通貨危機とそれによる株価の低下が駄目をおした。山一証券の破綻などによる信用収縮も災いした。本当はこのときに金融行政が適切な対応をするべきであったのだが、金融「構造改革」の方針のために十分な対応がとれなかった。
 97年から98年にかけて本当に必要な政策は消費税を下げることであった。しかし、税制「構造改革」へのこだわりから、それができなかった。
 その結果、90年代の不況が連続したものとして見えることになってしまった。しかし、前半は自然なもの、後半は人為的なものである。
 不良債権処理の先送りがいけなかったというひとがいる。しかし、90年代前半の不況が大変なものであっても、あの程度で済んだのは、不良債権処理を先送りしたからである。それがなければもっとひどい不況になっていた。
 96年から回復傾向にむかうことができたのも不良債権処理を先送りしたからであるともいえる。事実、銀行では96年時点では不良債権処理は峠をこえたと、本当に思っていたのである。それが可能であったのは、それ以前の銀行の体力が十分であったからである。諸外国において不良債権処理に早期から公的資金が導入されているのは、その当時の日本の銀行にくらべて体力が劣っていたからである。97年以降順調に景気が回復していれば、すべてこともなかったはずなのである。消費税のアップさえなければ・・・。
 97年に不良債権問題が再燃したのは、90年代前半に銀行が体力を消耗させてしまっていたということが大きい。そして景気の悪化によって、せっかく減っていた不良債権はまた増え始めた。消費税アップさえなければ・・・。
 97年の経済不振で、さすがに財政「構造改革」路線は凍結された。そし「構造改革」路線をすてて、なりふりかまわぬ対策をすることによって、日本はふたたび自律回復寸前までいったのである。ただし、消費は低調なままでとどまっていた。
 2000年、日本はもう一歩のところまできていた。
 2001年、それが再び悪化へとむかう。アメリカの景気の悪化のためである。外因であっという間に悪くなってしまったのは、回復の足腰が弱かったということであり、具体的には消費者の心理が冷えたままであったということである。その原因としては、生保の破綻、そごうの破綻、株価の低迷、などがあげられるが心理という問題は特定することができない。
 しかし、基本的には、政府や制度(年金や社会保障制度、福祉)や企業(日本的経営の見直し、系列などの企業間ネットワークの解体)への信頼の低下であろう。これらの信頼の低下はいずれも「構造改革」が志向しようとしている方向がもたらしたものなのである。

 以上、著者によれば、90年代前半のバブル崩壊後当然の出来事としての景気低迷のあとの日本の低迷は、アジアの経済危機、アメリカ経済の悪化といった外部のできごとによるものを除けば、「構造改革派」の間違った経済策と、それがすすめようとしている「改革」方向がさまざまな信頼を打ち壊してきているためなのである。
 ごく単純にいってしまうと、市場主義は剥き出しであると様々な歪みを生じさせるが、それに対する歯止めが福祉政策であった。それを「構造改革」はふたたび剥き出しの市場主義にもどそうとしている。それでいいのか?ということである。不安と不平等の社会、大多数の生きにくい社会、それでいいのか、ということである。つまり、これは経済学の問題ではなくなっている。まさに竹内靖雄のいう「感情」の問題である。
 氏の具体的な提案は以下のようなものである。
1)消費税減税 2)赤字国債の発行 3)不要不急の歳出の削減(軍事費の削減、公共投資の削減など) 4)法人税増税 5)資産課税の強化 6)福祉分野での雇用の促進
 そして、いずれは国民負担率の引き上げ。

 ということは結局現状維持が一番ということになってしまいそうな気がする。小泉「構造改革」がどれほど整合性のないものであっても、どうもこのままではいけないぞという国民の漠然とした感情を反映したものであることは確かであろう。
 かつての社会党が、反自民でありながら、結果的には自民党の提案にすべて反対することで「超保守」となっていったように、この本の根底にあるのは変化へ不安ではないかという気がする。国民は変化しないことへの不安をもっているとしたら(変化への不安とも併せて)、著者の主張はいずれくることになる変化をなるべく先送りさせるだけではないかという気がする。
 かならず来なくてはいけない変化であっても、その変化なるべくゆっくりとおきるようにするというのは、保守的生き方の大原則ではあるが・・・。
 ちなみに著者はもと銀行マンである。


2006年7月29日HPより移植