加藤典洋 橋爪大三郎 竹田青嗣 「天皇の戦争責任」

  径書房 2000年11月5日初版


 昭和天皇の戦争責任を巡る3者の鼎談。500ページを超える大著。加藤典洋が有責論、橋爪大三郎が無責論を主張し、竹田青嗣が行司兼進行係をつとめる形で進行する。
 加藤、橋爪の議論は、竹田が終りのほうではからずも言っているように、「二人の議論をずっと聞いてきて感じているのは、正直いうと、こりゃまずい、なんだか話がますます複雑、精緻、膨大になってきて、これではまるで知識人の実証論争と同じような感じになっちゃう恐れがあるぞ」という感じであって、実に膨大な資料に徹底的にあたって、微に入り、細を穿って、論じきたり、論じさっているのであるが、両者がほとんど同じ資料に基づきながら、昭和天皇の戦争責任についてほぼ正反対の結論を下しているところが天皇問題の難しさを如実に表しているように思われる。
 橋爪は「天皇機関説」であって、自分に選択の余地がなく天皇という役割を務めざるをえなかった人間が機関説の本分にのっとった行動をとったという立場からの無罪論。無責論である。
 一方、加藤は昭和天皇は「天皇機関説」と「天皇親政(主権)説」の間を揺れ動いたとする見解のように思われる。
 明治憲法の規定通りであれば天皇は「機関」であることは間違いない。
 問題は制度としての天皇制と昭和天皇裕仁個人という問題である。天皇裕仁個人が昭和20年以前において、自分は天照大神の子孫であると信じていたのか? あるいは自分は明治憲法における自己の役割を演ずる上において、そのように信じているようにふるまっていたに過ぎないのか? という問題である。
 さらには、ポツダム宣言の受諾あるいは天皇人間宣言も、天皇裕仁自身がそのような選択以外に国体を護持する(天皇制を維持する)ことができないと考えたための行動ではないか、彼が第一に考えたのが、日本のことではなく、天皇制維持ということなのではないか、というのが問題となる。
 司馬遼太郎史観というのだろうか、昭和における軍部の暴走は、明治憲法に法制上の欠点があり、その欠点を利用して、軍部が天皇の名をかたってしたいことをした、という見方があり、わたくしも基本的にそのような見方をしてきたように思う。しかし、ダワーの「敗北を抱きしめて」を読むと、天皇はもっと積極的に戦争にかかわっていたとする見方には、強い説得力があることがわかる。現在まだ上巻のみしか刊行されていないビックスの「昭和天皇」も同様の見解のようである。
 もし天皇裕仁自身が完全に天皇機関説を奉じていたのであれば、天皇自身はまったく受身の立場である。国民が必要と思えば天皇制は維持され、国民が必要ないと判断すれば、共和制となる。しかし、天皇裕仁自身が、日本においては天皇制は必要なのであると考えていたとすれば、そして、その方向に国が動くように自身が行動したとすれば、すでにそれは機関説を逸脱している。
 「敗北を抱きしめて」を読むと、戦前には明らかに支配者階級あるいは指導者階級というものがあり、その階級が国民を指導するという理念があり、それ以外のやりかたでは日本が運営していける筈がないという信念がそれらの人々の間に共有されていたように思われる。そして天皇もその階級の一員なのであって、「国体の護持」とは、そのような支配者階級による集団指導体制の維持ということを意味していたのではないかという疑念がぬぐえない。

 最後に竹田による全体のまとめがあるのだが、これが一番この本で面白い。
 竹田によれば、日本は戦後、戦前の侵略戦争という悪という問題、自分の国家の悪をどう受け止めるかという問題を抱え込んでいる。
 しかし、これは決して日本固有の問題ではない。ヨーロッパ近代は人類史の中で未曾有の恐るべき悪を抱え込み、それへの強い反省の念が生じている。そこから「君は現にあるこの世界を是認するのか?否定するのか?」という問いがでてくる。そこからヨーロッパ=近代を原理的に否定する動きがでてくる。後期ハイデガーフロイトアドルノレビ=ストロースフーコーデリダ、サイードからワォーラーステインまで、すべて反ヨーロッパ近代思想である。でも、広範な人々に自由と生の自己決定という原理を教えたのもまたヨーロッパ近代であって、ヨーロッパ近代を批判する思想もまたヨーロッパ近代が生んだ原理によっている。
 ヨーロッパ近代の光も影も表裏一体であって、それを光だけとりだすことはできず、また影だけ批判することにも力がないという。
 これは大変、示唆に富む発言であると思われる。われわれも現在の日本で、日本の光を賞賛したり、影を批判したりという、二者択一的な思考法にとわわれているように思われるから。


2006年7月29日 HPより移植