小谷野敦 「聖母のいない国」

   青土社 2002年5月25日 初版


 アメリカ小説の評論集であるが、本書を買う気になったのは目次に「風とともに去りぬ」があったからである。「風とともに去りぬ」のような大衆小説が評論の対象として取り上げれることはまずない。それで小谷野さんがどのようなことをいっているかという興味から購入した。しかし、実は「風とともに去りぬ」に対する小谷野氏の評価はほとんど書かれていない。というのは本書はとりあげた本を批評するのではなく、その本がどのような受け入れられかたをしてきたか、どのような読まれかたをしてきたかということをを論じたものだからである。それで本書に対する小谷野氏の評は、この本は「男にとって魅力的な女は、いずれにせよ得だ。という真実を描いた本」であり、これはフェミニズムがもっとも恐れる真実なのだ、というあたりにしかない。
 それでなんでわたくしが「風とともに去りぬ」にこだわるかといえば、この本がわたくしの中学時代の最大の愛読書であったからなのである。あの長い小説を少なくとも三回は読んだのではないかと思う。それと同時にたぶん「共産党宣言」なども読んでいたのではないかと思うので、中学時代の読書などというのが、いかにとんでもないものかということである。
 さて、「風とともに去りぬ」が好きだった理由はただ一つ、主人公の一人、レット・バトラーが好きで好きでということにつきる。あの小説は南部文明が北部文明に優越するというのが潜在するテーマであるが(風=戦争とともに偉大な南部文明が去っていったというわけである)、その南部文明というのがイギリスのヴィクトリア朝文明そのものみたいな偽善的なものでもあるわけで、小説にでてくる4人の主人公は、それに対する態度で4分される。スカーレット=あんないんちきなしきたりなど無視 メラニ−=文明の精華の体現者 アシュレー=偽善とはわかっていても、そこからでることはできない レット=偽善は否定するが一部の本当の文明は尊重する 以上4つの態度の順列組み合わせからこの小説はなるわけである。たぶんレット・バトラーはわたくしが小説の中でであった最初の偽悪者であって、わたしはそういう偽悪的なものに対する親和が強いのだと思う。少なくとも偽善的なものは大嫌いであることは確かなようである。ということでこの小説はなかなか魅力的なキャラクターがでてくると思うのだが、いかんせん、小説の進行上、スカーレットはバカでなければならず、メラニ−はいくらなんでも奇麗事すぎるとかいうことのあって、それで大衆読み物ということになるのであろう。
 しかし、そういうことより、「もてない男」の小谷野氏は、魅力的な女は得だというような方に視点がいくわけである。
 困ったことに、ここに取り上げられている小説では、読んだことがあるのは「風・・・」をのぞけば、「日はまた昇る」だけである。それで本書のよい読者足りえないわけだが、「赤毛のアン」における妻が有名人になった男のつらさという指摘などはいかにも小谷野氏らしい視点であった。「緋文字」や「「エイジ・オヴ・イノセンス」などの取り上げかたも面白かった。このひと、何を論じていても恋愛の方に話がいってしまうのである。