松本健一 「丸山真男 八・一五革命伝説」

   河出書房新社 2003年7月20日初版


 丸山真男が戦後思想のカリスマたりえたのは、昭和20年8月15日に日本の無血革命があったという説を提示したことによるというのが本書の柱である。8月15日に天皇主権から主権在民へと革命がおきたというのである。
 戦後憲法というとすぐに平和憲法戦争放棄という方向に話がすすむようである。しかし、本書によれば、1928年のパリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定)において「締結国は各自その人民の名に於て国際間の争議解決のため戦争に訴ふるを非とし、締結国相互の国策の具として戦争を廃棄する事を、ここに厳粛に宣言す」あるのであり、憲法第9条はそのほとんど引き写しといってよいのだそうである。ただ1928年の日本においてこの条約の締結が問題となったのは、戦争放棄の文言ではなく、この条約が人民の名においてなされているいる点にあったのだという。このような宣言をできるのは明治憲法においては天皇以外ないにもかかわらず、人民の名で宣言している条約をなぜ日本がうけいれるのかという点であった。そのことから丸山は国体の問題国家主権の問題に関心をもつようになったのだという。確かに丸山真男の著作には平和憲法云々という話はでてこないようである。
 
 戦後憲法にもかかわらず、主権在民あるいは人民主権ということは日本にはほとんど根付いていないように思える。平和憲法擁護をいう人たちはまた、大きな国家を望む人たちでもある。人民主権という思想はある時期の西欧でのみ生まれた思想である。それははたして普遍性をもつものなのかというのが、丸山真男をめぐる最大の問題なのであろう。丸山は西欧派の極北にいる人なのではないかと思う。丸山の思想が感じさせるどこか根無し草のような印象はアジアにとっては民主主義、人民主権というのが身につまされる発想ではないという点に起因するのであろう。さらにいえば<個人>という思想が西欧近代に例外的に生じた特殊な思想なのであり、アジアにとってはわがことではないのかもしれないということがある。
 それにもかかわらず、われわれは<個人>という毒のある林檎をすでに食べてしまったのであり、もうあとには戻れないということがある。
 <村=共同体→個人>というのが丸山の夢であった。しかし、たとえば、昭和20年8月15日と今日をくらべて、われわれはより<個人>の方へときているのだろうか?