半藤一利 「昭和史 1926→1945」


 半藤氏が若い人を相手に語りおろした昭和史。というか太平洋戦争への道と太平洋戦争自体がテーマのほとんどであるから、軍・政治家・天皇を中心とした戦前戦中昭和史である。ということで満州における革新官僚などは話題にのぼらない。これはむしろ昭和戦後史を語る場合に必要となるのだろうか?
 半藤氏の語る昭和前半20年の教訓。
1)国民的熱狂を作ってはいけない。時の勢いにかりたてられてはいけない。
2)危機になると日本人は抽象的観念論を好み、具体的理性的な方法論を検討しない。望ましい目標を勝手に設定し、それへの壮大な空中楼閣を作文するのが得意。
3)タコツボ社会における小集団エリート主義の弊害。
4)国際的常識の欠如、裏をかえせば独善による主観的思考。
5)何かがおこると、対症療法的に早急な効果を求める短兵急な発想をする。その場その場をとりあずごまかそうとする。大局観がなく複眼的な思考ができない。
 もちろん半藤氏はこれらのことが現在においても、少しも古びていない教訓であるといいたいわけである。
 1865年京都朝廷が開国を承認〜1905年日露戦争勝利まで、上昇の40年。
 そこから1945年の敗戦まで、下降の40年。
 それから40年再び上昇して、現在再び下降中である、と氏はいう。
 これは天谷直弘氏が「「坂の上の雲」と「坂の下の沼」」(「ノブレス・オブリージ」PHP1997)でいう上昇と下降の繰り返しを想起させる。天谷氏の論は1977年に書かれているから、現在の下降期には言及していないが、1977年という高度成長期の中においても、戦前との類比において、日本がふたたび「坂の下の沼」に転落することはないか、という強い懸念のもとに書かれた論である。「坂の上」の時代には「とぎすまされた危機感覚」と「身がまえた猛獣のような緊張」があったという。一方、「坂の下」の時代には「ひとりよがり」「神がかり」「知的怠惰」「情念の荒廃」があったという。
 今からおもえば、バブルの時代には「神がかり」はいざしらず、「ひとりよがり」「知的怠惰」「情念の荒廃」があったことは間違いない。それで再び「坂の下の沼」へと転がり落ちてしまったわけである。
 これも確か天谷氏の言であったと思うが、日本人は自信がないときは大丈夫、自信をもつと危ない、というのがあった。たぶん、ただの自信であれば、「とぎすまされた危機感覚」と「身がまえた猛獣のような緊張」と両立するが、自信はすぐに慢心となり、「ひとりよがり」「知的怠惰」「情念の荒廃」へとすぐに結びついてしまうのであろう。
 なんだか、この半藤氏の本を読んでいると、碌な人間がでてこない。山本五十六くらいがまともな人間である。
 半藤氏も書いているように、今われわれは何かわかったような顔をして今をいきているが、もう何十年かしてはじめて見えてくることが沢山あるのであろう。あの時に角を曲がっていたのだということは、あとから解るのである。