E・ペイゲルズ「ナグ・ハマディ写本 初期キリスト教の正統と異端」

  白水社 1996年6月25日初版 註:今回、読んだのは新装復刊本であり、改定前の版の初版は後書きからみて、1981年らしい。


 昔、コーラスをやっていたので、ミサとかレクイエムの類はずいぶんと歌った。それで、ミサの「Credo 」の「Credo in unum Deum 」などというのも、何も考えずに歌っていた。unum Deum 唯一の神というのにも、何の疑問も感じなかった。むしろここに、二人の神とか三人の神(そもそも神を一人二人と数えていいのだろうか?)とかがでてきたら、よほどそのほうが変に感じたであろう。しかし、この unum Deum というようなわずかな語句の中にも、初期キリスト教の膨大な歴史が篭められているのだということが、本書を読んでよくわかった。
 キリスト教の制度、正典、信条などが現在の形になるようになったのは二世紀末以降である。グノーシスが盛んであった二世紀には、キリスト教の正統は確立していない。つまり現在の使徒信条のようなものはまだなかったわけである。当然 Credo in unum Deum もない。
 旧約聖書に描かれた、正義を要求してその掟を破る者すべてを罰する神と、新約聖書の愛と赦しの神はまったく違う。また、もし神が全能ならば、なぜ世に悲惨と苦痛と病があるのか? そのような疑問から、グノーシス派のあるものは、異なる二神があると考えた。旧約聖書に描かれた創造の神はイスラエルの神であり、デミウルゴス・造物主であって、きわめて無知で傲慢な神であり、おのれの上に至高の神がいることを知らない。グノーシス派によれば、造物主を本当の神と誤解している人がたくさんいる。それらの人々に、至高の神は別にいることを伝えにきたのがイエスなのである。そして、このような考えを異端として退けることをいっているのが、Credo in unum Deum なのである。神は二つとない一つだけということである。別にここは多神教を否定するということいっているのではない。
 使徒信条によれば、キリスト教徒たるものは、キリストが死んで、三日目によみがえったことを信じねばならない。キリストは死んだが、その魂は天に昇って父なる神のそばにいることを信じるのではない。死んで、生き返ったのである。現在、多くのキリスト教徒が使徒信条を口では一応唱えているが、何も考えていないか、あるいは本当には信じていない。
 史実としてあるのは、若干の弟子とくにペテロが復活はあったと主張したということだけである。しかもイエス使徒たちに自分の権威を委譲したあと、40日後に昇天してしまった。それからあとの人は、もうキリストの実在を経験することはありえなくなった。使徒の権威はイエスの復活を自己の経験として知ったという点から生じた。あとのものたちは、もう使徒たちの経験をたしかめるすべをもたないのである。
 グノーシスのある派は、復活とは死んだあとおきるのではなく、生きているうちに、自分の内にある神的なものを自覚することであるとした。しかしそのような自覚に至れるのは限られた選ばれたものであるという。正統派キリスト教は多数のためのものであり、グノーシスは選ばれた小数のためのものである。正統派キリスト教は、イエスを通してしかわれわれは神と接することはできないとしたが、グノーシス派は、霊を得たものは神と直接対話できるとした。彼らは自分たちは使徒たちの原初的な教えを超えたと考えた。
 本書を通じてペイゲルスが主張していることの根本は、正統派キリスト教の教義は、<使徒たちだけがイエスの本当の姿を知っていたのであり、使徒たちがつくった組織である教会こそが、その真のイエスの姿を守っているのだ>というものだということである。つまり、家元制度のようなものであって、表千家裏千家かしらないが、千利休の血脈につらなるということが大事なのであって、そこから免状をえること茶道を会得することなのである。一方、世の中には変わったひとがいて、自分ひとりで千利休の茶道とは何かなどと考え、俺は茶道の奥義がわかったなどと考えるものがいる。それがグノーシスなのである。
 使徒信条には「イエス・キリストは、ポンティス・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られた」とある。キリスト教徒はこのことを信じなければいけない。しかしなぜこのような信じがたいことを信じなければいけないのか? これは使徒たちの時代とそのあとの布教の時代にキリスト教に殉教したひとたちの歴史を反映している。伝道初期の人たちは自分たちが迫害にあう可能性に直面していた。もし、イエスが本当に死に、本当に蘇ったのでなければ、自分が殉教したときに、それが無意味なるかもしれないと思ったのである。キリストの受難と死が真実であると主張することは、殉教の肯定と表裏一体なのである。正統派キリスト教から見るならば、グノーシス派は殉教の死を恐れて頭だけで理屈をこねる卑怯な輩なのである。初期の殉教はキリスト教への信仰を強化した。
 ギボンは「ローマ帝国衰亡史」でローマ帝国が滅亡したのはキリスト教のためであるとした。「我々にとつて重要なのはギボンにキリスト教といふものが一種の狂気にしか見えなかつたことである」と、吉田健一は「ロオロツパの世紀末」で書く。殉教などということが肯定されるのは、ある種のひとにとっては狂気そのものである。人が死んだあと、その肉体をふくめてよみがえるというようなことを信じるのもまた狂気かもしれない。そういうことを信じるように強いる宗教の異常というものを照らすものとして、グノーシスはあるのかもしれない。
 正統派キリスト教によれば、洗礼という儀式が人をキリスト教徒にする。しかし、信仰ではなく儀式がそれを決めるというようなことがどうして許されるのだろう。信条を告白し、洗礼の典礼を受け、礼拝に参加し、聖職者に服従すれば、キリスト教徒である。教会の成員となるためには、これ以外のことは問われないのである。教会はエリート主義をとらない。普遍的、カソリックなのである。
 しかしそれはなにしろ儀式だけをすればいいわけだから、「(インカ帝国の人を)捕虜にしておけばいいのに、キリスト教徒になりなさい。洗礼をうけなさいと言うんですね。・・・ なりますというと、もう盛大にバケツか何かで水を掛けちゃうんですね。洗礼ですから・・・。みんなキリスト教徒にしちゃう。。キリスト教徒にしてから、「やれ」と言うんでもって殺すわけですね。・・・早く殺しなさいと、神父さんがおしゃるから、みんな即座に必死で早く殺すわけですね。どうして早く殺すかというと、洗礼を受けてからすぐに殺せば、罪を犯す暇がないでしょう。だから天国へ真っすぐに行くというんですね。・・・ 神父さんはワーッと喜んで、「神様、今夜は二万人の魂をあなたに捧げました」なんて言って、・・・非常にうれしいわけです。」(篠沢秀夫「フランス文学講義Ⅰ」(大修館書店 1979 p346〜347)などというとんでもないことにもなる。オウム真理教のポアって麻原尊師の専売特許ではないのである。
 グノーシスは、人は罪によってではなく、無知によって苦悩に巻き込まれるとした。また神によって救済されるのではなく、自分が内なる神を自分の中に見出すのであるとした。著者もいうようにグノーシスはエリート主義であり、一部のものにしか実践できないものであるが故に、存続できなかった。一方、正統教会は宗教を形式だけにすることによって、宗教を大衆のものとして、生き延びたのである。そして、それは千年以上先になって、あらためてルターの宗教改革の問いに直面することになる。グノーシスは早すぎた宗教改革運動でもあった。ドストエフスキーが「カラマゾフの兄弟」の大審問官で問うたのも同じことである。中世に降り立ったキリストは誰からも相手にされない。
 ナグ・ハマディ文書に見られるグノーシス(の一部)においては、イエスは主ではなく霊的な導師なのであり、仏陀にくらべることができるという。本書が問うていることは、現在という大衆化社会において新たな意味をもつ。それはエリートと大衆という問題でもあり、自分の頭で考えるということの位置付けでもある。
 自分の頭で考えるなどというのは、なんという傲慢な考えであろうかと正統キリスト教はいうであろう。そもそも神とは?と人間が考えるということ自体、不遜の極みである。神の定義自体が、神は人間を超えた人間の理解を絶したものであるのだから(そうでなければ神の介入ということが位置付けできない)、神を人間が考えることを許容しない。だから神について考えようとするならば、神は人間が理解可能な、人間が作ったものであるとしなければいけない。養老孟司風に言えば、神はどこにいるか、それは人の頭の中にいる、ということになる。しかし、そう考えたのでは、神は神でなくなる。
 しかし、神は人間の頭の中にしかいないものなのだから(などといっていいのかな?)、神のことをふくめ、人は自分の頭でものを考えなくてはいけないのである。


(2006年5月7日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)


ナグ・ハマディ写本―初期キリスト教の正統と異端

ナグ・ハマディ写本―初期キリスト教の正統と異端