夏目漱石 「我輩は猫である」


 昔々20〜30ページほどで放り出したままになっていたものをついに通読した。これで漱石は4作目。「坊ちやん」「こころ」「虞美人草」「我輩・・・」。次は「坊ちやん」を再読することにしよう。
 感想1:漱石は大文章家である。感想2:漱石は法螺話を紡ぎだすという小説家にとってかくことのできない才能において傑出した人である。感想3:にもかかわらず、「猫」を小説と呼ぶのは憚られる。
 中途からがらっと作風が変わるのには面食らった。「我輩」が報告者から批評家へと変貌するのである。最初のほうだけしか読んでいなかったので滑稽小説という思い込みがあったのだが、全部読んでみれば、とんでもない。最後のほうなど、滑稽などという余裕や遊びなどまったくなくなってしまっている。
 作品の後半に充満しているのは、人が個人となることの不幸と、それを押しつけてくる西洋への嫌悪である。最初のほうでは、批判の対象となるのは金田家に代表される金満家・俗物であり、実業世界であるので、苦沙弥先生や寒月や迷亭などは貧乏であるが超俗的であり、学問という非実用の世界にいる人間として肯定されているのだが、後半になると、苦沙弥先生以下も、西洋に毒された20世紀初頭の日本に生きている、西洋に個人であることを押しつけられた不幸な人間として、等しく否定されてしまう。
 最終章の暗澹たる未来予想、人びとは悉く生きることがいやになり、自殺に走り、個人同士の角突き合いから親子夫婦は別居離婚にいたるという予想と、そこで表明される激しい女性嫌悪。それに感染して「我輩」までくさくさしてきてビールをのみ、酔っ払って甕に落ちて死んでしまうという結末は、「猫」を書きついでいくのが面倒になったので「我輩」を殺してしまっただけなのかもしれないが、ユーモアのかけらもなくなってきている。 前半においては高等遊民の清談と思えたものが(「ひとびとは無駄話のなかでしか愛しあえない」(チェホフ))、後半では高等遊民の内面の空虚をあらわすものとなってしまう。
 書き出したときはこんな結末になるとは思ってもいなかったはずである(というか、そもそも第一章だけで終わるはずだったわけであるから、その後など想定になかったはずであるが)。とすれば、小説としては明らかな失敗作ということになる。後半と平行して「坊ちやん」や「草枕」が書かれているということは、小説であることはこれらにまかせて、「猫」ではもういいたいこと書きたいことだけ書いてしまうという方向に転じていたのかもしれない。「猫」の後半は、「坊ちやん」「草枕」と併せてみてみる必要がありそうである。
 この小説が日露戦争の戦勝に沸いていた時期を背景にしているということを通読してはじめて知った。別にそれを反戦的とか厭戦的とはいって非難するひとはいなかったわけである。明治のほうが昭和よりずっとまともな時代だったということなのだろうか?


(2006年4月16日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)