P・G・ウッドハウス 「比類なきジーヴス」

  [国書刊行会 2005年2月10日初版]


 イギリスに生まれ、アメリカに帰化したユーモア小説作家であるウッドハウスの有名なジーヴス・シリーズの一冊である。
 なんでこんな本を読んでいるのかというと、「ジレンマ」を読んで面白かったので、ライルの主著といわれる「心の概念」も読んでみようと思ったのだが、以前刊行された翻訳が絶版らしく入手できなかった。しかたなく原著をとりよせてぼちぼちと読んでいるのだが、たまたまとりよせた版(ペンギン・クラシックス)にダニエル・デネットが序文を書いていた。デネットは、ライルがフッサールとその現象学によく学んだことは一目瞭然だが、フッサールとは違って哲学的ジャーゴンが大嫌いであった、というようなことをいい、ライルはウッドハウス(とジェーン・オースティン)を愛読し、繰り返し読み、その英語で著書を書いた、などと書いていた。それでウッドハウスのことを思い出し、アマゾンで何か入手できるかなと思って検索してみたところ、たまたま出版されたばかりの本書にいきあたったわけである。ちなみに現在入手しうるウッドハウスの翻訳はこれ一冊のようである。
 デネットは認知哲学者として知られているがアメリカ人のくせに何でウッドハウスなんか読んでいるのかと思い「解明される意識」の訳者あとがきを見てみたら、ハーヴァード大学哲学科を主席で卒業後、オックスフォード大学院に進みライルに師事と書いてあった。オックスフォードなどにいくとウッドハウスなんかも読むことになるのだろうか? 日本に翻訳紹介される本というのは重厚長大深刻無比といったものがほとんどである。軽佻浮薄哄笑充満などといった路線はなかなか入ってこない。ライルにしてもデネットにしてもデカルト心身二元論などといったことについていつも深刻な顔をして議論しているわけではなく、ウッドハウスを読んで笑うこともしている人間でもあるわけである。
 わたくしがはじめてウッドハウスのことを知ったのは、大学の教養課程の英語のテキストとして用いられたジーヴスものの短編集によってであった。少し間の抜けた貴族であるバーティー・ウースター青年とそれを助ける機転縦横の執事のジーヴスという組み合わせをはじめて知ったわけであるが、何しろ英語が難しいのに書いてあることはくだらない失敗談なので、何でこんなアホなテキストを読ませるのか、少しも理解できなかった。教師としてはイギリスの貴族社会の何たるかを知らしめようとする親心であったのかもしれないが、二十歳前後の生意気ざかりの人間には、それは無理というものである。
 そのあと、吉田健一の本を読むようになってときどきウッドハウスの名前を目にするようになった。そしてイギリス人がウッドハウスを愛すること半端でないこともいろいろなところからきこえてきた。どうもイギリス人の何たるか、とくにそのスノビズムを理解するにはウッドハウスを読むことは欠くことのできない作業であるようにも思われてきた。それでウッドハウスの関心はもったのだが、何しろ翻訳がない。いま本棚を探したら「ゴルフ人生」という本が一冊だけでてきた。昭和56年刊行となっている。ウッドハウスが愛したゴルフを題材にした短編集である。
 本書の訳者の森村たまき氏によれば、英米のユーモア文学を愛するならば、ウッドハウスは必須の教養なのだそうである。名だたる作家・哲学者もウッドハウスを愛読したとして、オーウェルイヴリン・ウォー、T・S・エリオット、バートランド・ラッセル、ラスキなどの名前を挙げている。吉田健一ウッドハウスの本を40〜50冊はもっているがまだ全著作の半分くらいだろうから全部揃えたいといっていたそうである。篠田一士はどこかで吉田健一の種本は評論はリットン・ストレイチー、小説はウッドハウスというようなことを書いていた。そういわれてもこの本一冊読んだだけではなんとも言えないが、「瓦礫の中」の伝衛門さんと寅三さん(だったかな)の関係にいささかの反映をしているように思えないこともない(河上徹太郎との関係を反映しているような気もするが)。
 貴族とその執事の小説であるから当然階級という問題にかかわる。新井潤美の「階級にとりつかれた人びと」でもウッドハウスには多くのページが割かれている。少し前に評判になったカズオ・イシグロの「日の残り」の主人公も執事であるが、ジーヴスからヒントを得たものだそうである。
 それで肝腎の話であるが、粗筋を書いたからといってどうなるといったような代物ではない。イヴリン・ウォーの初期の小説(「黒いいたずら」など)の毒をもう少し薄めたような作風で、「ゼンダ城の虜」の主人公の冒険出発前みたいな(つまり、金があるので何もしないでぶらぶらしている)貴族青年にふりかかる災難(といってもたわいのないものなのだが)を従者ジーヴスが快刀乱麻を絶って解決するだけの話であり、その面白さのほとんどは語り口にかかっている。その点、この翻訳は優れている。訳者は文学の方面の人ではなく法学者のようであるが、愛読が昂じて翻訳してしまったということらしい。あと二冊、ジーヴスものの翻訳が予告されている。
 ところでこの刊行元の国書刊行会というのは売れそうもないマニアックな偏った本ばかりを出すところである。どうして経営がなりたっているのか不思議である。

(2006年4月16日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)


比類なきジーヴス (ウッドハウス・コレクション)

比類なきジーヴス (ウッドハウス・コレクション)