V・ブライテンブルグ 「模型は心を持ちうるか 人工知能・認知科学・脳生理学の焦点]

  [哲学書房 1987年6月20日初版]


 このだいぶ古い本は父の書斎を整理していたらでてきたものである。最近、認知科学の本を読んでいると、ときどきこの本の名前がでてくる。それで読んでみた。読んでみると最初の部分、特に模型の絵の部分には見覚えがあったので、あるいはわたくしが買って読みさしでそのままになっていたものを父が持ち出し、そのまま自分の本棚に置いたままになっていたのかもしれない。ちなみに父の本棚を整理してみてびっくりしたのはフェミニズム関係の本がたくさんでてきたことである。父は小児科の医者で母乳で育てようというような運動をしていたので、育児は母親の役割というイデオロギーに加担していたことは確かで、それでフェミニズムの主張や動向が気になっていたのであろう。可哀想に!
 父は典型的な戦中派であって、戦争体験が決定的に人生を決めた人間であろうと思う。「戦中派は、自分の一身を鳥の羽か虫っけらのように扱うことを長年教えこまれ、戦中から敗戦まで徹底的に肉体を酷使され、戦後の混乱期からようやく立ち直ると、ただがむしゃらに、戦争協力者の汚名をそそぐには身を粉にして働くほかはないようにして働き、妻子の愛し方も人生の楽しみ方もろくに知らず、肉体酷使の習性を身につけたまま、五十を幾つも過ぎないのにぽっくり逝ってしまう奴が実に多い。腹立たしいほど不器用な、馬鹿正直な男たちである」(吉田満「戦中派の死生観」)ということであるが、父は90歳近くまで生きたが、小児科という選択も戦後の未来を若い生命に託そうとしたのであろうし、戦後の専業主婦という流れに乗って、育児を母親の大事業として推奨していた。あとから見れば専業主婦というのは戦後の一時期にのみ許された仇花であったのかもしれないが、おそらく高度成長の波にもうまくのって、父は育児書のようなものを何冊か書いた。そういうことが父にとっての戦争否定の行動であったのかもしれない。育児どころか子どもを産まない時代がくるなどということは予想もしていなかったであろうと思う。
 それにしてもフェミニズムの動向が気になっていたなどということは考えもしなかった。そういうものを相手にして一人相撲をとっていたのかだろうかと思うと気の毒である。わたくしもわたくしなりの視点からフェミニズムに関心をもっているが、二世代が同じ方面のことに関心をもっているのも、何か不思議なことである気がする。
 
 余談はさておいて、本論に帰る。二部にわかれており、第一部がさまざなな模型の提示。第二部がその模型に材料にした認知科学の議論。圧倒的に第一部のほうが面白い。簡単な制御装置をつけた模型は外から見るとあたかも心をもっているように見えることを示している。
 第1号機は、温度に比例するモーターをもっただけの模型である。これは暖かいところでは早く、寒いところではゆっくりと動く。機械は直進しかしないはずであるが、実際には予想できない地面の摩擦のために左右に蛇行する。ふらふらと動く模型は「生きて」いるように見えないだろうか?
 第2号機は、前面に二つのセンサー、後部に二つのモーターをもつ。センサーとモーターのつなぎ方でこの模型は、刺激に向かったり、刺激から逃げたりする。この模型は臆病だったり、攻撃的だったりするようには見えないだろうか?
 第3号機は、第2号機のセンサーとモーターの間に抑制機構を入れたものである。もしも、光、温度、酸素濃度、有機物などのセンサーなどいくつかのセンサーを一緒に搭載するならば、それらの模型は知識をもち、価値体系をもつように見えないだろうか?
 第4号機は、センサーがある点までは興奮に、ある点以降は抑制にはたらくようなものを搭載する。それを搭載した模型の行動は多様で複雑で予想しがたい。これは種々の本能にしたがって行動しているように見えないだろうか? ある時点まではとまっていて、ある時急に動き出す模型を見たならば、この模型が決心したように見えないだろうか? この模型には意思があるように見えないだろうか?
 著者は law of uphill analysis and downhill invention ということをいう。ある機械を発明してその機械の行動を予想することは比較的容易である。時に予想外の行動をすることがあるかもしれないが、逆に行動から内部構造を予想することのほうがはるかに難しい。われわれは行動から内部構造を予想するときにきわめて複雑で神秘的なものを想像しがちである。発明は容易で、分析は困難ということである。進化の過程で生物はありあわせの材料で身体を作り上げてきた。しかし、その行動を見るととんでもない神秘が内部にありそうに見えてしまうのである。
 以下、模型に段々と複雑な構造をつけくわえていって、それが外部からはあたかも心をもっているように見えることを示していく。
 本書の後半の認知科学の見地からの説明は、なにしろ20年近く前の本であるから古くなってしまっているのかもしれない。それよりも前半の模型自体の行動がどう見えるかをみていく部分のほうがはるかに刺激的である。ダニや蚤の行動はまさにこの模型の行動そのものかもしれないし、ウニなどはこれらの模型以下であるのかもしれないのである。しかしダニや蚤を見てわれわれはもっと複雑な機構が内部にあることを予想してしまうのである。著者のいいたいことは、だから心というものについても過剰な神秘的な思い入れをするなということである。心は存外単純な機構からできているのかもしれないのに、law of uphill analysis and downhill invention のためにとんでもなく複雑なものを内部に想像してしてしまっているだけなのかもしれないから、と。
 たまたま見つけた古い本を読んでみた。新しい知識を追いかけるばかりでなく、時にはこういうものを読み返してみるのも大事なのかなと思った。


(2006年4月16日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

模型は心を持ちうるか―人工知能・認知科学・脳生理学の焦点

模型は心を持ちうるか―人工知能・認知科学・脳生理学の焦点