R・ダール「ぼくのつくった魔法のくすり」

  [評論社 2005年4月30日初版]


 最近、評論社から刊行されつつあるダールのシリーズは「チョコレート工場の秘密」「ガラスの大エレベーター」「こちらゆかいな窓ふき会社」と本書の4冊を読んだが、宮下嶺夫訳の本書が一番素直な翻訳である。前2著は柳瀬尚紀の訳の訳者が前に出すぎていてというか言葉遊びが目立ちすぎて、ほら面白い訳でしょうという鼻のぴくぴくが目についてちょっとうるさい。「窓ふき会社」の訳は一人称の「ぼく」が少しくどいのと無理して韻を踏んで訳している部分などがちょっと痛々しい。

 おたくのガラスをみがきます
 真鍮みたいに 光らせます
 ぴかぴかきらきら お手のもの!
 閣下のためにが ぼくらの希望
 ふらふらになっても それは本望
 ぼくとキリンとペリカンの!
 
 これで韻を踏んだことになるのだろうか? 4・4・5/7・6/4・4・5/8・7/5・4・7/7・5 でいいのだろうか?
 
 原文。
 'We will polish your glass
 Till it's shining like brass
 And it sparkles like sun on the sea!
 We will work for Your Grace
 Till we're blue in the face,
 The Giraffe and the Pelly and me!'
 
 ぼくらは磨き屋 ガラスを磨く
 磨けばガラスはピカピカさ
 お日様みたいとみんなが言うよ!
 ぼくらは磨き屋 睨下のために
 磨けばみんなはくたくたさ
 ペリカンさんもキリンもぼくも!
 
 くらいではないだろうか? これだと、4・4・7/4・4・5/4・4・7/4・4・7/4・4・5/4・3・7 で最後だけあわないが。原文は韻を1・2、3・6、4・5行で踏んでいるが、形式は1と4、2と5行が対応しているのだから(3と6行は韻を踏んでいるだけだが)、訳としてはそちらを活かすべきではないだろうか?
 
 それで本書「魔法のくすり」の訳は自然で、素直に話を追える。話はいやなお婆さんを殺してしまう話である(正確には消してしまうのであるが)。ダールの話にはこの手の話が多くて、最後がみんな仲良くなりましたという方向にはなかなかいかない。そして、これはお婆さんが消えてしまってハッピィエンドなのである。
 最後。
 
 「ママはどこ?」クランキー夫人はさけんだ。「ママが、どっかへ行っちゃった!」
 「やったぜ!」と、クランキー氏。
 「ママが消えちゃった! かげもかたちも見えなくなっちゃった!」クランキー夫人は泣きわめいた。
 「根性が曲がっていて文句ばっかり言っている人間は、こういうことになるのさ」クランキー氏は言った。「ジョージ、おまえ、まったく、すばらしいくすりを発明してくれたな」
 ジョージはどう考えていいのかわからなかった。
 しばらくのあいだ、クランキー夫人は、とほうにくれた顔で歩きまわっていた。「ママ、どこにいるのよ? どこに行っちゃったのよ? どこにかくれているのよ? どうやって見つけたらいいのよ?」と言いながら。
 しかし、わりにすぐに落ちついた。昼食のときには、もうこんなことを言っていた。「そうね、まあ、これでよかったかもしれないわね。ママも、けっこう、やっかいな人だったものね」
 「そうだとも」と、クランキー氏は言った。「ほんとに、やっかいな人だったよ」
 
 夫人の変わり身の早さが凄い。
 内科の病棟には置いておけない本である。
 

(2006年4月4日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

ぼくのつくった魔法のくすり (ロアルド・ダールコレクション 10)

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