川渕孝一 「日本の医療が危ない」

  [ちくま新書 2005年9月10日初版]


 まったくの個人的関心から読んだ本。著者は医療経済学の専門家。
 日本の医療が、WHOから保険システムの達成度で世界一であると認定されていることはよく知られているが、著者によればそれはマクロでみたときの話である。ミクロでみればそうはいえない。院内死亡率はアメリカの1.3倍である。病院間の治療成績のばらつきもきわめて大きい。日本は国民皆保険であるが、加入する保険によって保険料が大きく異なる。地域による差は選挙の一票の格差よりも大きい。老人保険制度も持ちそうもない。混合診療禁止も大きな問題である。世界標準の薬なのに日本では使えない薬はたくさんある。医師の配置もきわめて不均等である。
 すべての国立大学病院が赤字である。東大がトップで補助金に4割以上を頼っており、医科歯科大学がそれにつぐ。東大病院には年162億円の国費が投入されている。医師数・看護師数が多ければ医療事故が少ないということもない。手術症例数の多い病院ほど成績がいいということもない(ただし、一人当たりの医師の手術数が多いとその医師の成績がいいということはある)。
 経営のよい病院が医療の質が高いとは限らない。現在の支払い方式は医療の質を向上させれば収入がよくなるインセンティブが働いていない。わが国の勤務医の実態は悲惨である。そのため勤務医がどんどんと開業していく(毎年4000人)。開業医の年収は約税引き後2100万円。勤務医は1200万円。その差900万円。勤務医の収入は大企業大卒勤務者とあまり変わらない。
 そういう状況から海外で医療をうける日本人が増え始めている。日本の医療にはエコノミークラスしかない。ビジネスクラスやファーストクラスがない。
 医療は医療者と患者との対人サービスだが、医療制度はほぼ100%政治の世界である。
 
 等々、日本の医療の問題点の指摘にかんしては肯けるのであるが、それに対して著者が提案する制度変更については、あまり説得的であるようには思えなかった。あたらしい制度を導入することが、今の政治をみていると可能であるとはとても思えない。そうであるならなし崩しで変わっていくしかないのではないかと思う。エコノミークラスの医療のみを保険制度で保障し、それを超えるビジネスクラスやファーストクラスの医療にかんしては自己負担、したがって混合診療解禁という方向になんとなくなっていくのではないだろうか?
 それによって日本の医療が劇的によくなるとも思えないし、むしろ相当の場面で悪化していく可能性が高いと思うが、背に腹は変えられないということになるのではないだろうか? 変わるとすれば国民が日本の医療に本当に腹をたてるときだと思うけれども、本当のところではそんなに怒ってはいないのではないだろうか? 満足度調査をすると日本国民の医療満足度は非常に低いのであるが、怒りながらもまあ仕方ないこんなものかと思っているのではないかという気がする。それは最低限でもとにかく相手にしてもらえているからではないだろうか? フリーアクセスというのがレベルの高い医療と結びつくものは絶対ないにしても、とにかく病院にいく閾は低いわけである。
 著者は多くの疾患は自然経過をみれば治るようなものであることはよく理解しているようであるが、病院にくる“患者さん”の多くが病気ですらなく、ただ病気への不安をもっているだけということについてはそれほどよく理解しているようには思えない。“患者さん”が病院にくるのは、ただ医者から大丈夫といってほしいからといえばきこえがいいが実際にはCTやMRに大丈夫といってほしいからなのである。そのような安心を比較的容易にえることができることが、日本の長寿の一翼を担っているのではないかという気がしないでもない。
 それにしても、患者さんに、この治療には松竹梅とありまして、松はいくら、竹はいくら、梅はいくらなどと説明して医療をするという光景はぞっとする。


(2006年4月4日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

日本の医療が危ない

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