井沢元彦「仏教・神道・儒教集中講義」

  [徳間書店 2005年6月30日初版]


 題名の通りの本であるが、仏教についてはほぼ知っていることであり、あまり新しく得るところはなかった。
 それで神道神道こそ日本のイデオロギーであるというのが著者の立場であるが、まず国家神道神道の歴史のなかでもきわめて異例の、多神教を原理とする神道の中では例外的に一神教的色彩の強い、明治になって西欧に対抗するために作られた神道らしからざる神道であることを理解する必要があるという。つまり著者のいう日本のイデオロギーとしての神道とは、国家神道ではなく、明治以前に日本にあった神道を指す。
 神道とは日本古来の神様を、日本人のやり方で祭っていく宗教である。
 日本古来の神様とは、何であれ普通には見られないすぐれた特質をもっているものを指す。すぐれたということには善の含意はなく、卓越していれば悪いことでもよく、また人である必要もなく、千年の樹齢をもつ松とか長い間ひとびとの田に水をあたえてきた川といったものでもよい。
 神の中に邪悪なものもあるのが日本の特徴であり、それは退治すべきものではなく、祭ってなだめるべきものとされる。それによって善き神に転化できるかもしれないと考える。その典型が怨霊神、たとえば菅原道真
 神道には現世否定という考えはない。仏教と正反対である。しかしそれが合体してしまう。神道の神は仏教の如来と同じものだとされてしまう(熊野権現阿弥陀如来、神仏)。それが可能であったのは本来日本の神道が融通無碍で、何でも受け入れる特性をもっているから。したがって明治以降の排他的は国家神道は本来の神道ではない。
 ところで優れたものはなんでも神であるとする神道は、神はただ一つとする一神教とは合い入れない。
 神道は穢れを嫌う。穢れは禊は祓いで取り除かなければならない。穢れを発生させる最大のものは人の死である。したがって人を殺傷することは日本人にとって可能な限りさけるべきこととなる。その結果、皇族・貴族はそういうことをしないようになる。軍隊というものが敬遠されていく。平安後期には日本の組織から実際上、軍隊や警察がなくなってしまう。死刑もなくなってしまう。したがって開拓農民は自衛をしなくてはいけないくなる。そこから武士が発生してくる。中国や西洋では王族も武器をとる。しかし日本ではそういうことは下々のものにやらせる。
 鎌倉幕府ができたときになぜ天皇家を亡ぼさなかったのか。亡ぼして自分が天皇になろうとしなかったのか? それは武士の側にも自分たちが穢れた人間であるという劣等感があったからである。朝廷のやる文化事業のほうが偉いという思いを脱せなかった。軍隊を嫌う現在の護憲論者は実は神道思想に捉われているのである。
 また言霊思想のために、リスクに備えるという発想ができない。
 最後に儒教。著者はその尚古主義と形式主義のゆえに儒教が嫌いである。
 孔子が怪力乱神を語らずといったからといって儒教が宗教でないことにはならない。なぜなら儒教は祖先崇拝を基礎にしているから。
 日本には位牌があるが、本来仏教は輪廻転生の考えを基礎にするので、位牌があるというのはおかしい。これは日本の古来からある《ご先祖さまは死んでも遠い山か海の彼方にいて我々をみまもっている》という信仰と、儒教の祖先崇拝の信仰が合わさってできたものである。
 儒教は中国古来からの祖先崇拝の信仰に形式をあたえたものである。先祖を祭ることを重視するので子孫が絶えることを何よりも嫌う。自分を祭ってくれるものがいなくなると困るのである。しかも祭るものは男系でなければならない。儒教では親が大事。だから姥捨て山などありえない。中国人なら子供を捨てる。
 儒教の特色に《徳》という考えがある。国が治まらない場合には王者に《徳》がないからであるとする。
 
 井沢氏の《逆説の日本史》シリーズは大変面白く、愛読している(ただし時間が遡るほど面白く、現代に近づくほどつまらなくなる。日本を理解するには室町以降さえわかれば十分、といったのは内藤湖南だったかと思うが、室町以降の日本人の言動はわれわれにとっても比較的理解しやすいものであるのに対して、それ以前はなんだかピンとこない。そのピンとこない時代の出来事を腑に落ちる形で説明してくれているからである)。正規の日本史の教科書や概説を読んでも、遷都をしたのは祟りを畏れてなどとは書いていない。しかし井沢氏の本を読んでいると、そうとしか思えない。井沢氏は怨霊をおそれるこころとか言霊への畏怖などが日本の歴史を動かしてきたのだという。それは生産力が歴史を動かしてきたとするマルクス主義的な歴史観が主流の日本の現状では、それに対するアンチテーゼとしてとても説得力があるのだが、それでは怨霊をおそれたりすることが神道なのであり、日本の宗教なのかという点については、すぐには肯けないものがある。それは日本古来からの生活感情なのかもしれないが、それを宗教と呼んでいいものなのだろうか?
 日本人がすぐに水に流したがり、場の空気に従い、争いを避け、円くおさめようととするのも神道であり、日本人の宗教なのであろうか? 山本七平氏はそれを《日本教》と呼んだ。
 井沢氏が神道の大きな柱であるとする祖先崇拝などは、現在ではみる影もない。もしそれが今でも有効なのであれば、これほどの少子化はおきていないはずである。ほとんど誰も自分が死んだあとに自分を祭ってくれる子供がいないと不安であるなどとは思っていない。明治大正昭和初期の文学を読んでいると《家》に束縛され《家系》を絶やさないことに非常に強くこだわっている。隔世の感がある。
 一方、軍事を穢れたものとして嫌う見方は今でも強く生きているように思う。その点でも、軍馬に騎乗する天皇というのは日本史の中で例外である。明治から昭和前半の日本は日本でなかったということなのだろうか?
 わたくしの儒教理解は吉田健一経由なので、《春服既成》であり、とても文明的な儒教である。呪術をつかさどる儒教ではない。だから井沢氏の見方は面白かった。
 わたくしにわからないのが《会社人間》というのは儒教がつくったものなのだろうかということである。神道であるとは思えないし、ましてや仏教であるはずはない。忠君愛国の変形が愛社精神なのであろうか? それとも江戸時代の檀家制度により宗教心がほとんど根こぎにされてしまったので、帰依する対象が会社だけになってしまったのであろうか?
 わたくしには聖教新聞赤旗がほとんど同じような体臭をもっているように思えるのだが、そうであるとしたら共産党員にとってはサラリーマンにおける会社が党なのであろうか? そして昨今では愛社精神などというのも最早地を払っているので、こういう何事かに帰依せずにはいられないというのも別に日本人の特徴であるのでもなく、歴史の段階のある時期だけにみられる特異な現象にすぎなかったことになるのであろうか? それとも江戸時代につづく第二の脱宗教時代を今の日本が迎えようとしているのだろうか?
 悪人でも怨念を抱いて憤死した人であっても、祭ってしまえば大丈夫というのは、日本人が絶対的な悪というのをなかなか想定できないことを示しているのかもしれないし、性善説に傾きがちな日本人の心性をよくあらわしているものでもあるのかもしれない。



(2006年4月1日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

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