2 民主主義

 梅田氏がIT器機の継続的な価格低下(チープ革命)とともにもう一つ重視するのが、「オープンソース」である。氏が「スペックもない、製品計画や製品戦略もない、開発工程管理もリリース計画もない」というオープンソースの典型がリナックスなのであるが、これは中央管理機構をもたないインターネットというメディアの象徴的産物なのである。

 そこから氏が引き出すのは、1)全体的な俯瞰、2)ネット上に作成できる自分の分身、3)(ほぼ無限大)x(ほぼ無限小)=何ほどかのもの、という3法則である。
 1)についてはインターネットに個々のひとがアクセスすることを俯瞰している存在は世界の動向をつかめるということである。グーグルのような検索サイトに世界中の人間がどのような項目に検索をかけるかと見ることで世界のひとびとが今どういうことに関心をもっているかをリアルタイムに把握できるというのである。
 2)はネットは24時間365日機能しているから、ネット上に自分が作成したコンテンツは、自分が寝ている間もほかのことをしている間も働いていることをいう。そして現在、それがある程度の利潤を生み出すことも可能になっているわけである。それは先進国の人間にとっては、まだ些細な金額でしかないが、インターネットという国境のないメディアの上でおきるので、ドルで決済されるため、途上国に人びとにとっては馬鹿にならない金額となりうる。つまり、このことは自動的に所得の高い国から低い国への所得の移転を促進するであろうという。
 3)は、ウィキペディアのようなものを例として、たくさんのひとがすこしづつ貢献したことを集めることにより何事かがなされてしまうことをいっている。

 1)から3)まで、民主主義とは何かというとんでもない問題とかかわってくるわけである。民主主義=衆愚制という見解へのアンチテーゼとしてインターネットは機能するのはないか、というのが梅田氏の本書での基本的な姿勢となっている。
 ここで問題になるのが、まだまだインターネットにアクセルする人は選ばれた少数ではないかという点である。それに対する梅田氏の姿勢は微妙であり、ある点、衆愚論を肯定しているようでもあり、民主主義を肯定しているようでもある。つまり、全員参加は衆愚制になるかもしれないが、さりとて貴族制の少数支配でもない、全体の上から十分の一が参加する民主制というような微妙なものを想定しているようにも読めるからである。また、多数の人間の意見表明があっても、自ずとよいものが残り、ろくでもないものは淘汰される、そういう仕組みがインターネット世界では形成されるであろうという信頼感を氏はもっているようでもある。
 今までの民主主義というのはただ一票を行使するだけであった。しかし、これからは発言をともなう参加というのが可能になるのではないか、ということを氏はいいたいようである。マスメディアという上部にある権力の意見ではなく、市井の無名の人の意見が大きな力をもちうるような仕組みがそう遠くない時期に形成できるのはないかと氏は考えている。
 とすると、だれでも平等な一票ではなく、発言し影響力をもつ人は実は何百票をも行使しているのと同じであるような状況ができてくるわけである。
 民主制=衆愚論の信者であるわたくしにとっては、上記の主張はなはなだ衝撃的なものであった。