岡田正彦「がん検診の大罪」(4)糖尿病 高脂血症

  新潮選書 2008年7月
  
 (2)に続いて、第3章「薬を飲んでも寿命はのびない」の残りをみていく。
 まず、糖尿病の話。正直にいってこの部分、著者がどういうことを主張したいのかがよくわからなかった。
 3つの経口糖尿病剤の治験を検討している。
 スルフォニル尿素剤(SU剤):1961年〜1969年まで、800人を対象にして、SU剤とプラセボインスリンの使用量を固定した群と量をインスリン値に応じて量を加減した群を比較。心血管障害死が、SU剤:26人、プラセボ:10人、固定インスリン:13人、可変インスリン:12人。ひどい成績であって、著者がいうように何もしないのが一番いいことになる。
 もう一つの治験:1998年。食事療法を主として血糖は無理に下げない群とSU剤かインスリンで厳格にコントロールをした群を比較。厳格治療群で重大な病気(冠動脈疾患や脳卒中、腎不全、失明あるいは低血糖による死亡)は減るが、総死亡は減らさない。
 最初の治験は糖尿病治療の無効を示していると思うが、後者はその有効性を示していると思う。しかし、岡田氏は、SU剤の有効性を示すデータは現在いたるまでないという。総死亡を減らさないとダメらしい。有効な薬は総死亡を減らすはずであるというのが岡田氏の信念で、原病に効いていても、総死亡が減らなければ、まだ明らかにされていない薬のマイナス作用が死亡を増やすので、それで総死亡に差がでないとするのである。
 ビグアナイド剤:この薬が乳酸アシドーシスという副作用で一時使用されなくなったことはよく知られている。現在使われているものはその改良型で、その副作用は克服されているとわたくしは理解している。その副作用チェックのための治験が紹介されているが、それについて著者が呈している疑問は、あまり有意義なものとは思えなかった。
 αグルコシダーゼ:これはまだ十分なデータがないことがいわれる。
 インスリン:強化療法と標準療法を比較。強化療法のほうが、網膜症、腎障害、末梢神経障害ともに有意に少なかった。しかし、総死亡には有意差はなかった。
 これも治療の有効性を示すものだと思うのだが、なぜか著者は薬を使えばかならず死亡する人が増えるという方向に話をもっていってしまう。要するに、著者は糖尿病については、薬物治療やインスリン治療を否定しているのかどうかがよくわからない。
 少なくとも、1型の糖尿病についてはインスリンが使えるようになるまでは、発症すればそのまま死にいたる病であったわけで、インスリンの使用、それも強化療法によって予後は劇的に改善したわけである。
 一方、2型の糖尿病については、経口剤やインスリンがそれほどの効果をあげていないというのは事実であると思う。
 そこで著者が紹介しているのが、ちょっと肥満でちょっと血糖が高いひとでの、ビグアナイド剤と生活習慣改善の比較の試験である。圧倒的に生活習慣改善の方が有効である。その生活習慣改善というのが、ダイエットで体重を7%減らす。週に150分以上の運動をするというもので、運動のメニューは16種類あり、全員に専任のトレーナーがマンツーマンでつき、運動の姿勢から歩く速さまで徹底的に実技指導をするのだそうである。それだけのことをすればよくなると思う。しかしそのコストはどのくらいかかるのであろうか?
 2型の糖尿病は適当な運動と食事の注意さえ守れれば、ほとんどの場合、薬の使用はなくてすむというのは、糖尿病の常識であろう。しかし、その《適当な運動と食事の注意さえ守れれば》というが至難であるから、実際には薬が必要になり、薬をつかっても改善しない人が多くでることになる。
 つい最近はじまった特定検診も、その趣旨はまさにここでの試験と同じで、薬に頼るのではなく、生活習慣の改善によってこれらを予防しようというものである。それは原則、マンツーマンで生活習慣指導をしようというものだから、きわめて効率が悪い。今まで、個々の生活指導での介入というのはうまくいったためしがない。岡田氏が示した例は有効例であるが、医者が臨床の片手間にやる指導では無効であることについては、あまたのデータがある。そもそも医者は勉強していなくて、運動メニューを提示したり、食事のメニューを作ったりすることができないのである。今回は保健師さんが指導することになっているから医者の指導よりもずっと有効であるかもしれないが、マンツーマンの指導をどれだけの人間におこなえるかが問題である。一人に30分も一時間もかけてする指導はマンパワーに制約される。その特定検診に岡田氏は否定的であるのであるから、よくわからない。
 
 脂質の薬:中性脂肪の薬は、心筋梗塞死をほとんど減らさないことが示される。実はわたくしも中性脂肪が高い場合にそれをなぜ減らさなければいけないのかがよくわからない。中性脂肪が高い場合、それは肥満やインスリン抵抗性の結果を見ているのであって、肥満やインスリン抵抗性は疾患と結びつくかもしれないが、中性脂肪高値自体が心血管イヴェントを増やすという病態生理学的な説明はなされていないのではないだろうかと思う(わたくしの不勉強かもしれない)。
 次にコレステロール降下剤。わたくしがここらあたりのことに興味を持ちだしたのは、数年前に、柴田博氏の「中高年健康常識を疑う」(講談社選書メチエ 2003年)を読んだことがきっかけで、そこでコレステロールとその薬物治療の複雑な問題を知って、それ以来、この問題になんとなく関心をもってきている。
 本書では、スタチン系の薬剤は、現在のところ総死亡を減らす唯一の薬であるということが強調されている。あとのほうで、LDLコレステロールは低ければ低いほど長生きできる、と書いてある。それは30mg/dlくらいまで下げても大丈夫なのだそうである。本当にそうなのだろうか。そうであればほぼ日本人全員が(世界中の人が?)スタチンを飲んだほうがいいということにならないだろうか? 岡田氏がそれを薦めているのかどうかがわからない。柴田氏の本を読んだときは、コレステロールと死亡率との関係は、U字型で、高てくて低くても、死亡率が高まることが示されていた。通常、総コレステロールの中ではLDLの方が多いわけであるから、LDL30では総コレステロールも100前後くらいではないだろうか? そのような値は柴田氏の本では、断然高い死亡率であったのだが・・。
 ここで岡田氏が書いているLDL低下の劇的効果が本当とは思えないのは、もしそうであるなら、製薬会社の宣伝の人がウンカのようにおしよせてきて、もっとスタチンを使いましょうという大合唱をするだろうと思うのに、ちっともそのようなことがおきていないからである。
 最近、検診などの検査項目から総コレステロールが消えて、LDL・HDL・中性脂肪の3点セットに置き換わってきている。そうすると、今まで総コレステロールの値を使って議論されてきたことは全部無効になってきてしまう。これはスタチンを売る製薬会社の陰謀ではないかとひそかに勘ぐっているのだが、違うだろうか? それを利用して、以前の総コレステロールの基準値より現在のLDLの基準値をさらに厳しくしたということはないだろうか? なにしろしばらく前まではHDLやLDLの測定の精度が問題であったのだから、過去にはまともなLDLやHDLのデータがない。したがって過去のデータとの比較は困難である。過去に総コレステロールについていわれていたことは、新しい検査体系では総コレステロールという項目が消えてしまったのだから議論の継続さえできなくなる。総コレステロールとLDLコレステロールは換算不能なのであるから、過去のデータはすべてご破算である。なんだが変な感じがする。
 ここでの岡田氏が、コレステロールを減らすことを勧めているのか、そうであるなら薬を使うことを勧めているのか、生活改善での低下がいいとしているのかがよくわからない。スタチンを使うと半分くらいにコレステロールが低下するケースはしばしばある。生活改善ではとてもそこまでの効果は期待できない。やはり薬なのだろうか?