原書房版「吉田健一全集」

 
 最近、以前読んだ本をとりだしてみる機会が多くあった。それではじめて読んだばかりの本についてのみ備忘録として書いていくのではなく、ときどきは以前に読んだ本についても、本棚から取りだして何か書いてみるのもいいかなと思った。
 
 それで最初が、原書房版の「吉田健一全集」である。
 これは昭和43年(1968年)に全十巻で刊行されている。解説は全巻篠田一士氏。函入りで濃紺の布装の本である。
 大学生のころ神田の古本屋さんにいくと、垂水書房刊行の吉田健一氏の本が山のように積んであった。「感想A」とか「感想B」あるいは「新聞一束」などというまったく色気のない題名の本で、出版社がつぶれたのであろうかゾッキ本として売られていた。
 吉田氏の全集として最初の出たのは垂水書房版の「吉田健一著作集」ということだが、これは全19巻の予定が3巻は未完のままでおわったらしい。この原書房版の「吉田健一全集」は垂水書房版の「著作集」の紙型をそのまま用いたものということのようである。
 全10巻のうち、「第1巻 英国の文学 シェイクスピア」、「第2巻 東西文学論 その他」、「第8巻 英国の近代文学 その他」、「第9巻 文学概論 その他」以外の6巻は主として随筆というか雑文というのかをおさめていている。この全集がでたころの吉田氏は随筆家とされていたのではないかと思う。
 いつ吉田氏の本を読むようになったのかはよく覚えていないが、最初はすべてこの原書房版の全集で読んだのだから、昭和43年以降であることは確かである。全集がでるたびに買ったというようなことをした記憶もないから、43年から44年にかけてなのであろう。昭和43年(1968年)に大学の授業が一年間なかったというようなことがなければ、読まなかった可能性も高い。
 「ヨオロツパの世紀末」が刊行されたのは昭和45年なので、この原書房版の全集は氏が晩年にブレイクする前に刊行されている。全集でない氏の著作をはじめて刊行時に手にいれたのは昭和44年の「余生の文学」であったと記憶している。そこに、書きたいことはみなもう書いてしまった、あとは余生だ、というようなことが書いてあったので、その翌年の「ヨオロツパの世紀末」以降、著作刊行の嵐がおきることはまったく予想できなかった。
 この原書房版の全集ではわたくしには雑文の類が面白く、「文学概論」とか「英国の近代文学」といった方面の文学原論や近代論はすぐには理解できなかった。
 それで雑文の中から、記憶に残っている部分を引いてみることにする。

 平和とは何か。それは自分の村から隣の村に行く道の脇に大木が生えてゐて、それを通りすがりに眺めるのを邪魔するものがないことである。或は、去年に比べて今年の柿の方が出来がいいのが話題になることである。

 一体、我々に西洋風の罪の意識があつてどうなるといふのだらうか。これは、西洋の啓蒙主義者達が何とかして西洋人の意識から除かうと願つたものである。尤も、これは西洋も西洋ではなくなれと言ふやうなものでもあつたので、この意識を背負はされた西洋人はそれなりにその文明を築いた。つまり、それ程根強いものでなければ、罪の意識も役に立たないのであつて、必要悪といふのは、それなしでゐることが考へられないもの以外にとつては、単なる悪であり、他所の必要悪まで欲しがるのは、新し好きの限度を少し通り越し過ぎてゐる。

 前者は「平和を愛しませう」、後者は「神様が見ていらつしやる」という題の文で、ともに「文句の言ひどほし」という雑文集(原書房版全集 第10巻)に収められている。集英社版の著作集では第11巻収載らしい。
 こういう雑文を読み返してみるのも一興と思う。後年の「覚書」などは、こういったものを引き延ばしただけともいえるように思うが、「文句の言ひどほし」が上機嫌であるのに対して、「覚書」は何だか少し不機嫌な感じがする。あるいは雑文からすこし立派すぎる論になってしまっているような気がする。