(18)2011・4・16「悲観論」

 
 M・リドレーの「繁栄」によれば、インテリというのは悲観論が好きで、また周囲からも、悲観論を述べるものは思慮深いとされ、楽観論を述べるものは馬鹿かといわれて軽蔑されるのだそうである。
 1960年代:人口爆発と世界的な飢饉
 1970年代:資源の枯渇
 1980年代:酸性雨
 1990年代:疫病
 2000年代:地球温暖化
 リドレーによれば、最後の一つを除いて、これらを問題にするものはもういない。
 それならば、これらの主張はすべて間違っていたのか? そうではない? もしそれに対して何もしないのであれば、それは正しい場合がある。
 1943年には、世界にはコンピュータの需要は5台はあるといわれた。(コンピュータの重量が1トンもあるのであれば、それは正しいかもしれない。)
 鉄道ができたとき、列車が通ると馬が子を産まなくなるといわれた。
 1962年にレイチェル・カーソンは「沈黙の春」で農薬(特にDDT)によって、30年の内に人類のほぼ100%が癌によって絶滅すると述べた。
 1971年にポール・エーリックは「農薬により、1980年までにアメリカ人の寿命は42歳にまで短縮するだろう」と述べた。しかし実際にはDDTがマラリアチフスの流行をおさえ多くの人命を救った効果のほうが大きかった。もちろん、カーソンらの批判によって農薬はもっと安全なものへと変わっていった。
 冷戦時代に、双方合意の核兵器削減が実現する、冷戦が終焉する、ソ連邦が崩壊する、核兵器の多くが解体されるなどと予言するものがいたら、愚か者といわれるだけだった。
 1970年のはじめにローマクラブが「成長の限界」をまとめ、このままの消費傾向が続けば、亜鉛、金、錫、銅、石油、天然ガスの世界供給量は1992年までに枯渇するだろうと予言した。
 1970年「ライフ」は、10年以内に都市の住民は大気汚染から身を守るためガスマスクをつかなければならなくなるだろう」といった。
 1984年には「シュテルン」誌が、「ドイツ国内にある森林の三分の一がすでに枯れたか枯れつつあり、1990年までには針葉樹がすべて消失し、2002年までには森林がすべて消滅する」と述べた。酸性雨がそれをもたらすとされたのだが、実際にはそうならなかった。
 医療の世界では、対外受精やヒトゲノムの解析は大きな批判にさらされた。プリオン病では10万人を超える死者が発生するだろうといわれたが、実際には200人以下の死者だった。
 1986年のチェルノブイリの事故の後では、これにより50万人の癌患者が生じ、多くの畸形児が生まれるだろうといわれた。実際にいわれている癌の死者は4千人以下であり、畸形児の増加は観察されていない。人がいなくなったチェルノブイリの地には野生動物が異常繁殖しているが、調査されたネズミのすべてで遺伝子の変化は観察されなかった。
 2000年代は鳥インフルエンザが話題になった。H5N1の鳥インフルエンザが人間に感染した時に、国連は500万人から1億5千万人がこれで死亡すると予測した。実際の死者は300人以下だった。
 2009年にメキシコからひろがったH1N1豚インフルエンザも感染者千から一万人に一人の死亡であった。(それなら1918年のスペイン風邪による5千万人の死者は何によるのか? それは第一次世界大戦塹壕戦という特殊事情によるのではないか?)
 
 最後の豚インフルエンザはわたくしも当事者であった。大山鳴動鼠一匹。これは当初は強毒の鳥インフルエンザと同等の毒性を持つと想定されたのだから仕方がない面があったと思うのだが、この時につくづくと感じたのは、日本の医療体制を全体としてみている部門がどこにもないのだということだった。この時の直接の行政の窓口は保健所だったのだが、問い合わせても「え?、わかりません。それについてはわれわれも今テレビでみて知りました」というような返事がかえってくる有様で、その保健所に都と国から別々に違った指示があるわけで、どうしようもなかった。もし有事の場合には、「あなたの病院は軽症患者を退院させて、10ベッドを確保してください」というような強権を発動するセクションがなければいけないはずなのだが、そういう部署が存在するとは思えなかった。そもそも保健所にきくと、そういう場合に想定されている実行部隊は医師会であるらしかった。医師会にお願いして後は医師会の内部で調整してもらうという形しか具体的に何かをおこなう方策がないようだった。しかし医師会は主として開業医(診療所)の団体であって病院に具体的に指示をするような系統もなく、権限ももっていない。第一、医師会からの連絡はファックスでくる。メールでお願いできませんか?ときいたら、医師会には高齢の会員も多く、コンピュータも使わず、電子メールなどとてもとてもという医師も多く、電子メールのみとするわけにはいなかいということだった(後には、希望する会員にはメールで配信されるようになったが)。金曜にファックスが来て、事務に届き、それが仕分けされて、月曜に届けられ、外来が終わって5時ごろ机に戻ると、至急金曜中に返事をという連絡だったりした。至急といっても、ワクチンが何本いるかといった程度のものなのだが、こんなことでは、本当の危機的な状態ではとんでもないことのなるだろうと思った。今、被災地に多くの医療者がいっているが、大きな指揮系統がなく、それぞれが思い思いのところで活動をしている。危機というのはそういうもので、情報も乏しく、それぞれがとにかく目の前にある状況に対応していくしかないのであろうが、もう一ヶ月以上が経過したのだから、この地域の医療が決定的に弱体であるので、そこに医療資源を集中的に投入すべきというような情報が提供されるようになってもいいころなのではないだろうか?
 ムラーは「今この世界を生きているあなたのためのサイエンス」で、チュルノブイリでの健康被害放射線による直接の被害によるものよりも、住み慣れた土地から強制的に避難させられたことによるストレスから酒やたばこを濫用するようになったことのほうが大きいかもしれないと述べている。放射線被曝による将来の発癌リスクの増加ということはまだしも定量ができないことはないものかもしれない。しかし故郷を離れたことによるストレスが健康におよぼす被害は事後的にはある程度のことがいえるかもしれないが、事前には何もいえないはずである。もしも事態がある程度定常的になった時に、自分は10%の発癌率の向上は甘受するから、今まで住み慣れた場所でこれからも暮らしたいというひとがでてきた場合にどうしたらいいのだろうか? そしてムラーのいうことが正しいとすれば、そういうひとの方が長生きするかもしれないことになる。医療の世界では自己決定権の尊重がトレンドである。リビング・ウイルということもある。このまま今の土地に住み続けることが自分らしく生きることである。自分はそれを選択するというひとがでてきたら行政はどのように対応するのだろうか?
 

繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史(下)

繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史(下)

今この世界を生きているあなたのためのサイエンス 1

今この世界を生きているあなたのためのサイエンス 1